本日は1858年にイギリスのヴィクトリア女王とアメリカのブキャナン大統領が、
大西洋横断電信ケーブルの完成を祝うメッセージを交換された日であります。
・大西洋横断電信ケーブルとは大西洋を通る電信用の海底ケーブルであります。
最初のケーブルは1858年に、大英帝国(現・アイルランド領)の
ヴァレンティア島とアメリカ(現・カナダ領)のニューファンドランド島
の間に敷設され、実用可能な最初のケーブルは1866年に敷設されました。
・電信は1830年代後半に実用化され、1840年代にはヨーロッパや
アメリカにおいて陸上の電信網が急速に普及していきました。
これに対して海底の電信は、電線を覆う絶縁物質に適した
材料を選び出す必要があり、陸路に比べて敷設が遅れていました。
しかし、マレー半島の樹木から採れる「ガタパーチャ」と呼ばれる樹液が
素材として使用できる事が判明し、海底ケーブル敷設の道が開けました。
初の海底ケーブルは、1850年にブレット兄弟によって
ドーバー海峡に敷設されました。このケーブルは敷設翌日に起こった
不慮の事故により切断されてしまいましたが翌年に再び敷設され、
英国とフランスをケーブルで結ぶ事に成功しております。
この成功によって海底ケーブルは一つのブームとなり、イギリスから
アイルランド/ベルギー/オランダへのルート、そして地中海や黒海など、
1855年の時点で25本の海底ケーブルが敷設されました。
しかし、この時点で大西洋にはまだケーブルが敷設されておらず、
情報伝達は未だに蒸気船に頼っていたというのが実情でありました。
・その後、アメリカの実業家サイラス・フィールド氏によって、
大西洋にケーブルを通す事を計画が立てられました。
しかし、大西洋を結ぶにはおよそ3000kmのケーブルが必要であり、
更にケーブルを深さ3000mの深海に通す事にもなるため、
事業は困難が予想されました。幸いにも敷設予定の地形は平坦であるという
確認が取れており、資金も順調に集まってケーブル製造が急ピッチで進められ、
1857年7月にケーブルは完成し、翌月に敷設のための航海が開始されました。
この最初の敷設は途中でケーブルが切断されてしまい失敗に終わり、
翌年に行われた2度目の敷設は航海中に記録的な暴風雨に見舞われ、
後に作業を再開するもアクシデントに対処するうちに食料や船の燃料が不足し、
作業を続ける事が出来ず断念しましたが、同年のうちに3度目の敷設のための
航海が行われ、この航海によって、ようやくケーブルの敷設が達成されました。
その後、ケーブルの構造等に起因する信号の減衰が著しくなり、
敷設されたケーブルは2か月余りで役目を終える事となりました。
海底ケーブル事業は抜本的な見直しを図る事となり、構造等を大幅に見直した
新しいケーブルや当時最大の蒸気船の使用など準備が進められました。
1865年に行われた4度目の敷設工事はケーブルの短絡や切断等によって
失敗となりましたが、翌年に行われた敷設工事でケーブルの接続に成功し、
前年に落下したケーブルの引上げ/接続作業にも成功し、ここにようやく
念願のヨーロッパ~アメリカ間の海底ケーブル接続が実現されました。
時代的にジャパリパークが開業した時点で、既に衛星通信等のワイヤレス通信が
一般的なものとなっているであろう事が想像できます。
ジャパリパークに海底ケーブルが接続されているのかは判然としておりませんが、
広大なパークには高速/大容量の通信手段が欠かせないはずであります。
通信手段の進歩は目覚ましく、今や何時でも何処でも誰とでも、
しかも簡単に繋がるのが一般的となっております。
しかし、そこに至るまでには例えば前述のような
苦難や試行錯誤の時代があった事を覚えておくべきであります。
繋がる事は「当たり前」ではなく「ありがたい」ものなのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。