本日は樺太犬「タロ」と「ジロ」の命日であります。
南極地域観測隊に同行した樺太犬の置き去りと、
兄弟犬「タロ」と「ジロ」の奇跡的な生存と発見のエピソードについては、
以前こちらにて書き込みをさせていただいた通りであります。
・1956年1月に稚内市にて生まれ、当時は「タロ」「ジロ」「サブロ」の3兄弟で、
名前は当時南極観測隊用に樺太犬を集められていた北海道大学教授の
犬飼哲夫氏によって名付けられました。この名前は白瀬矗氏の
南極探検の際に犬ぞりの先導犬として活躍した樺太犬、「タロ」と「ジロ」
(「タロウ」と「ジロウ」あるいは「タロー」と「ジロー」)に因んでおります。
同年、南極観測隊に樺太犬による犬ぞりの使用が決定されました。
当時の北海道には約1000頭の樺太犬がいましたが、
このうち犬ぞりに適した犬は40から50頭程度でありました。
この中から3頭の兄弟と父親を含む23頭が集められ、
樺太出身の後藤直太郎氏によって稚内で訓練が行われました。
このうちサブロは訓練中に病気で亡くなっております。
その後、1957年の日本の南極地域観測隊第1次越冬隊において
タロとジロを含む22頭の樺太犬は任務に従事しました。
翌年2月に第2次越冬隊は悪天候のため昭和基地への上陸を断念し、
樺太犬達は置き去りにされてしまいましたが、
1959年1月に第3次越冬隊によってタロとジロが発見されました。
タロとジロは第4次越冬隊にも参加しており、タロは第4次越冬隊と共に
1961年5月4日に4年半振りに日本に帰国しております。
1961年から1970年まで札幌市の北海道大学植物園で飼育され、
1970年8月11日に老衰のため14歳7か月の生涯を閉じております。
ジロは第4次越冬中の1960年7月9日に昭和基地にて病気により
5歳に生涯を閉じております。現在、北海道大学植物園にてタロの剥製が、
国立科学博物館にてジロの剥製が展示されております。
けものフレンズにおいて樺太犬やエスキモー犬の類いのフレンズはおりませんが、
三次創作のイラスト等で確認する事ができます。
ぜひとも正式に仲間入りしてほしく思います。
タロとジロのエピソードは大変残酷な要素を持ち合わせており、
人間と動物の関わりについて改めて考える必要があります。
動物は決して人間の道具ではなく、人間も他の動物と同じく
多くの動物の中の1種族である事に変わりはないのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。