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2年間最後のゼミ掲示板の書き込み

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2年間最後のゼミ掲示板の書き込みを1月22日(日)までに終えてください。

名前なし
作成: 2023/01/15 (日) 12:17:54
最終更新: 2023/01/18 (水) 14:52:52
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 卒業研究発表会、そして2年間のゼミナールお疲れさまでした!2日目には電波障害による遅刻でご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。心配して連絡してくれたみなさんや、マンションの住人さんがポケットWi-Fiをお貸ししてくださるという優しい世界に感謝します!どうか「あいつMVP獲って調子乗って寝坊してるよ〜」と誤解されませんように(笑)
 ついに「卒業研究からの〈解放〉」されましたね!!安堵を感じる反面、毎週のように書いていたこの掲示板の書き込みも最後だと思うと、みんなの書き込みを毎回楽しく読ませてもらっていたので、少し寂くもあります(TT)
 2年間を振り返ると、私にとってこの末廣ゼミナールで過ごした有意義な時間は、今後の人生において自信に繋がるものとなりました。まず、3年次。初めての課題である『非論理的な人のための論理的文章の書き方入門』という本に基づいたレポート執筆の難しさにいきなり悩まされることになります。しかし、今考えると論理的な文章の書き方の習得は卒論執筆において最も重要な部分。プレ・ゼミでの「論理性と創造性の両立」というキー・ワードもまた然りで、もうそのときから卒論への道のりは始まっていたのかもしれないと思うと先生の映画のような見事なまでの伏線回収には鳥肌が立ちます。その後も「シェイクスピア作品→ミュージカル映画の映像・歌詞分析→仮想敵を用いたレポート」という逆算し尽くされた授業の進め方がなされており、課題をこなすごとに少しではありますが、2年次の頃と比べて確実に成長したと思います。大学生ともなると、文章の添削はもとより、自分の短所を教えてくれるような本当の優しさを持つ人は貴重で、言わない優しさを兼ね備えた人が多くなります。その点、末廣先生は優しさによる愛の鞭でご教示してくださいました。論理的文章の書き方や問題解決能力のない私にとって、末廣ゼミが大変な場所であったことに間違いありませんが、先生の真意を汲み取れずにやっかみを唱える人に対して「ガチゼミって分かって入ったんじゃないの?知らないで入ったんなら自分を恨みな」と言葉にこそしてきませんでしたが、とんでもない辛辣っぷりで達観?諦観?していましたすみません(笑) でも、みんながゼミの雰囲気を和らげていてくれていたからこそ、毎回楽しく授業を受けることができました!こんな毒舌でひねくれた私にも優しく接して仲良くしてくれたメンバーのみんなには、本当に感謝しかありません!ともかく、ゼミでの活動を通してさまざまなことを吸収できた3年生だったと思います。
 そして4年次。ここでは卒論執筆の裏話をしますね。昨年の卒業研究発表会、MVPや敢闘賞を受賞されている先輩方の姿とその研究を目の当たりにし、サークルや部活に属していない私は「大学生活で何かひとつでも勉強を頑張って思い出を作れたら」という思いから、卒論MVP獲得という目標を掲げて卒論執筆に取り組んできました。この達成にあたり、私はかなり貪欲だったと思います。題材に『イン・ザ・ハイツ』を選んだ理由は、ざっと言えば本を読みたくなかったからです。文章を読むことがめちゃくちゃ苦手なので、ラテン系やヒスパニック系移民を描いた作品は少なく、それに関する文献も少ない。論旨も乱れなそう。これだと思いました(笑) かなり怠惰な理由(と見せかけて実は計算)で題材を決定し、MVPへの道のりは姑息とも言えるような貪欲な一手からスタートしました。3年生のコンパでレポートの評価について話題が上がったとき「ももちゃんは先生のお気に入りだし、元々頭が良いからだよ」と言われて以来(※お酒が入っていたのでその人に悪気があったわけではない笑)、オキニってなに?!正真正銘努力なんだけど…(泣)と勝手に荒野と化していた私のメンタルはMVP獲得という“sueñito”に向けて一気に潤いを取り戻し、貪欲に執筆に励みました。夏合宿では、私だけが書き出しOK一歩手前という段階でSをもらったは良いものの、「書き出しOKもらってからってこんなに忙しいんだ…やだなぁ。でもこの段階で私が愚痴を言ったらそれこそ嫌味にしか聞こえねぇ」と卒論の真の大変さを痛感するとともに、一時は誰にも相談できない孤立無縁の状態に陥りました。しかし、そんな私を見兼ねた先生や岩ちゃんをはじめとするメンバーは優しい言葉をかけてふっと引き上げてくれました。皆さんのサポートのおかげでそれからは早かったです。『イン・ザ・ハイツ』の挿入歌を聞きまくって歌詞分析に励み、今ではすべての曲をラップの部分を含め、空で歌えるまでになりました(笑) 先生の添削に挫折するかと思いきや、自己肯定感が限りなく0に近いのになぜかそういう所だけは肝の据わった私は、実は反骨心に満ちていたのかもしれません(笑) みんなに愚痴を聞いてもらったおかげもあり、そこまでメンタルをやられることもなく、「絶対に次の個人相談までにキメる」と訳の分からない内なる炎を燃やして卒論を書き終えました。最終的に、ゼミの皆さんの優しさ70%と、卒論執筆にかける貪欲さ30%が身を結んだのか、大学生活最後にMVP獲得という思い出を残すことができました。個人的としては目標を達成できて嬉しい反面、学年としては反省すべき点が多々あり、全体の士気を上げられなかったことや、もっとみんなと協力できていたらなど、後悔が残るのが正直なところです。しかし、この卒業研究を通して、学ぶことの尊さを実感するとともに、何もなく無色で終わろうとしていた大学生活が鮮やかに彩られたこともまた揺るぎない事実です。末廣先生、メンバーのみんな2年間本当にありがとうございました!心より感謝申し上げます!

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Iagomickey 2023/01/18 (水) 15:08:28

 ちーばちゃんの書き込みを代理で投稿しておきます。

 卒業研究発表会および2年間のゼミナールほんとうにお疲れさまでした!1年前の今頃は先輩方の卒業研究発表会をZOOMで見て、「1年後には自分も卒論書いてるのか~」とちゃんと論文を執筆できている未来が想像できていなかったので、ひとまず完成&発表会を無事終了できてよかったです。2日目に、めずらしくももちゃんがいないときは、「え!?勝ち逃げ!?」と驚きましたが、Wi-Fiの不具合ということで逆に安心しました^^ ポケットWi-Fiを貸してくれる住民さんエピもすてきでした。
 さて、そんなももちゃんが掲示板一人目にしてたくさんの暴露や葛藤などを吐露してくれているので、私もなにか打ち明けないといけないのかなあとビクビクしながらこの掲示板を書いています。

 ここから、イタい人がしがちだという自分語りというものを、私もしてみようと思います。
 はじめに末廣ゼミナールに所属を決めたのは、大学生活で何か達成したと思えることを経験したかったからです。そもそも、大学進学にあたり入学前から目標にしていたのは、留学に行って語学力や異文化に触れ自分の人間力を高めることでした。しかし、コロナ禍で私のすべてと言っていいほどの意欲や計画は白紙になり、かなり失望しました。皆さんご存じがわかりませんが、私は負けず嫌いで泣くなんてださいことやってらんねえ!!みたいな謎のヤンキー?ギャル?マインドを宿している(らしい)のであまり泣かないのですが、留学に行けないとわかったときは、自分でも不思議な泣き方をしました。そのときはほんとうにメンタルにきていたのか、本屋の海外ツアーガイドを見るだけでもこみあげてくるものがあったくらいです。このこともあって、留学がダメならゼミで何か成果をあげたいと思いました。ガチゼミと聞いていましたが、むしろやってやるよ?とまたまた謎の気合によって第1志望で末廣ゼミナールを志望しました。
 端的に言うと、私は末廣ゼミナールに所属してよかったと感じています。そう感じるのには大きく2つあります。1つ目は本を読んだり映画を観たりしたときに、(悔しいことに)これまでよりも作り手が作品に込めた含意や細かな工夫に気がつけるようになったこと、2つ目はほかのゼミと比べて「本気でゼミ活動をやってやる」と熱量の高い魅力あるみんなと出会えたことです。2つ目に関しては対面での活動、とくに最初で最後の夏合宿で痛感しました。夏合宿を通して思ったことは、みんなきっと、根にある才能や努力できる器量を「隠し持っている」人だということです。また、末廣ゼミナールに集まっただけあってウィットに富んだ人が多く、何気ない会話が(もしかしたら卒論よりも)優れていました。みんなの良さを知るのが4年前期を終えた夏だったのがとても悔やまれます。またゆきのとのざこうが参加できなかったこともとても残念でした。。
 夏合宿を終えてからの数か月はほんとうにあっという間でした。独自の視点で書こうと思うと、計画的に書くのはなかなか至難の業です。そのため、思いついたときに寝るのも惜しんでガッと執筆に集中するスタイルが定着していました。その恩恵なのか弊害なのか、ワールドカップをカタール時間で観戦するのも苦ではないくらいに生活サイクルを乱していました。やるからにはなにかしら賞を狙っていこうと考え執筆していましたが結果はとくになにもなく、MVPのももちゃん1名で幕を閉じたことにまず驚き、先生のZOOMの退出スピードがとても早かったことにも驚きました。みんなきっと何かしら抱えながら自分なりに頑張ったのかなと思える人もいたりいなかったりしましたが、先生の求めるレヴェルにはももちゃんのほかに存在しないことを象徴する退出スピードでした。
 私が卒論執筆にあたり、「妥協をしないこと」のほかに目標として掲げていたことがもう一つあります。それは「読み物としておもしろいこと」です。アカデミックなことばかり書いても面白くないし、なんといっても自分のモチヴェーションの維持が困難になるのを避けるためにも、エンタメ性を意識していました。プレゼン後の講評の際に、先生が「論文を読んでいて楽しい」とおっしゃってくれたときは、自分がやりたかったことが少しでも読者に伝わったかもしれないと思いました。この一言のおかげで賞を何も獲れはしませんでしたが、少し認めていただけたような錯覚を覚えました。しかし、先生に(もしかしたら)期待していただいた分を、結果として示すことができなかったことはとても悔やまれます。期待に副うことができず申し訳ありません。

 長々と、文章になっていないような手記らしいものを書いてきてしまいましたが、この辺りで終わろうと思います。
 最後に、私は卒業論文で『クルエラ』を題材にスウィンギング・ロンドンの文化を調べたりクルエラの強さを目に焼き付ける程繰り返し見たりすることができたこと、(執筆の辛さありましたが)とても楽しかったです!これからはクルエラのように強い女性として生きていけるよう精進していく所存です。
 末廣先生をはじめ、個性豊かなゼミメンバーの皆様、2年間ありがとうございました(^-^)またどこかで集まれたらいいですね^^…

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 卒業研究発表会、2年間のゼミナールお疲れさまでした!まず、自分が至らなかったせいで、メンバーの皆さん、そして末廣先生に多大なご迷惑をかけてしまったことをお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。このゼミナールに所属したことで、文章の構成法、論理的な思考法、映画の分析法を身に着けることができました。先生、今までご指導してくださり、本当にありがとうございました。この2年間は、特に卒論執筆の1年間は、本当に大変でしたが、今となってはあっという間に感じており、ノスタルジックな気持ちでいっぱいです。今回で掲示板も最後ということなので、烏滸がましくはありますが、自分も皆さんに倣って、誰得なおじさん回想をしていきたいと思います。
 まず思いつくのは、やはりゼミに入ったばかりの頃の事です。課題の量、その内容、先生からの厳しい提出物への講評など、今までに味わったことのないような厳しさがそこにはありました。しかし、それだけでなく、皆さんとの仲をうまく築けなかったことは、それ以上の厳しさを感じていました。女性の皆さんとはもちろん話せない、そして男子とも打ち解けられ、とうとう「ミステリアス」と言われてしまいます。ありがたいことに、一年の頃から多分親友だと思って優しく接してくれたえいちゃんがいてくれたおかげで、ぼっちこそ成りませんでしたが、オンライン・コンパといった懇談会の話が持ち上がるたびに、震えていました。しかし、今では、「みんなが優しく輪に入れようとしてくれているのに、どうして自分は壁なんか作っていたんだろう。それよりも、あの時もっと、自分から話しかけていたら・・・」と深く後悔しています。最悪なデビューを果たし、長らくこの状態を維持することにはなりますが、しかし、このままでは終わりませんでした。
 分岐点はやはり、夏合宿だと思っています。夏合宿で、みんなの仲や団結力が爆発したのではないでしょうか。夕食では、メンバーの皆さんだけでなく、先生とも、たくさんお話することができ、いろいろ大盛り上がりしましたね。発表が終わると、夜はいろんなゲームもみんなでしましたね。人狼では、メンタリストChiBaに、徹底的に追い込まれ、ChiBa「次にお前は『違う!俺は人狼じゃない!』という!」自分「違う!俺は人狼じゃない!はッ!」とどこぞの少年漫画の2部みたいになり、泣きそうになりました。トランプや頭の体操ゲームでは、もれなく全敗を喫し、追い打ちをかけるように汚い言葉をあやに浴びせられ、息ができなくなるくらいショックで死にそうになりました。これ以外にも、メンバーの皆さんに名前や年齢をいじられまくったわけですが、高校生に戻ったのではないかと錯覚するぐらい、本当に楽しく、幸せを感じていました。ゆきのとのざこうがいれば、もっと楽しくなっていたことを思えば本当に残念でなりませんが、最高の思い出になりました。
 さて、肝心の卒論も、本論書き出しokまであと少しと先生から評価もいただき、夏合宿を最高の形で終えることができ、いざ卒論執筆へとこのまま進むわけですが、またここもターニング・ポイントとなります。3年の最後には、先輩の素晴らしい発表に感動した自分は、自分も先輩のように有終の美を飾って、北島康介みたいに「なんもいえねぇ」とうれしさで涙を一杯にしたいと意気込み、本気で頑張ることを決意したわけですが、しかし、最終的には涙は流しても、野々村議員みたいになってしまいました。「来週までには完成させる」と言っておきながら、未完成の物を個人相談に持ってきたり、卒業論文提出では、添削にて先生がおっしゃっていた改善点をろくに改善せずに提出したりと、結局口弁慶のままで最後を迎えてしまいました。問題は自分だけに収まらず、自分のこうした怠慢な態度がメンバーの士気を下げ、いままでにもらった恩をあだで返す形になってしまいました。困っているメンバーがいれば、たとえ自分が困難に直面していたとしても、それを助けるべきだったと後悔しています。もし、切磋琢磨の良き関係性を築けていたら、今年は「末廣ゼミにならなかったゼミ」にはならなかったと、深く反省しています。
 最後とはなりますが、ここではふつう、自分の卒論で扱った作品と関連付けながら、終わりを迎えていくべきなのかもしれませんが、ろくな成績が収められなかった僕の場合、それは末廣先生、ならびにライト監督に失礼で気が引けるので、代わりの言葉で締めくくらせていただこうと思います。自分は、元WBA世界ライト級王者の畑山隆則選手が、「平成のKOキング」と呼ばれた坂本博之選手との試合前に言い放った(その後、畑山選手は見事勝利を収める)名言「彼はパンチがあるんですよ。僕はパンチがないんですよ。だから僕が勝てるんですよ。」を胸に、謙虚でいながらも貪欲で、そして有言実行できる人間になっていきたいと思います。人生どこまで続くかはわかりませんが、なんとか必死に生きていこうと思います。改めまして、末廣先生、メンバーの皆さん、この2年間本当にありがとうございました!素晴らしい皆さんと共に学べたことは一生の宝物です。もしよろしければ、これからもよろしくお願いします!

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 卒業研究発表会、および、2年間のゼミナール活動お疲れ様でした!

 ちーばちゃんにならい、私もこれまでの4年間や好きになった文学作品などを振り返りつつ、ゼミナールでの活動を反省したいと思います。
私は、小学生の頃にシェイクスピアの作品に出会い、自分が言語化できないような感動を台詞にしたシェイクスピア作品に惚れ込みました。緊張と融和が繰り返されるシェイクスピア作品は幼い私にとってとても刺激的で魅力的な作品ばかりで、特に、『テンペスト』が一番好きな作品となりました。今でも大好きです。
 大学一年、二年次には多くの講義を取ることで様々な文学作品と出会い、英語学習に励みました。この二年で好きになった文学は、ロシア文学です。特にゴーリキイの『どん底』という作品が好きになりました。社会の底辺で生きる人間たちが絶望も許されない社会でやるせなさを抱えつつも生きていく描写がとても印象的で好きです。また、全く海外文学でもないですが、太宰治の『ダス・ゲマイネ』という作品もこの頃好きでした。こうやって好きな作品を思い返すとめちゃくちゃ鬱病だったのかと思うくらい暗い作品がこの頃は好きでした。
 三年次には、シェイクスピア作品を卒論で書きたいという目標があったので、シェイクスピア研究をしている末廣先生のゼミナールに入ることを迷いなく決めました。三年次のゼミナールでは、シェイクスピア作品はもちろん、演劇や映画について学びました。正直、映画はあまり詳しくなく、超好き!というほどではなかったのですが、この一年の学びで興味を持つようになりました。映画や演劇を楽しめる術を学ぶことができたと思います。
 四年次には、実際に卒業論文で『冬物語』を研究しました。本当は『テンペスト』を題材にしたかったのですが、『冬物語』になり、やや落ち込みました。しかし、この作品と向き合うたびに、『冬物語』への愛着も湧きました。
 卒業研究では結果的に何の結果も残すことができず、本当に悔しい気持ちです。二年間多くのレポート課題をこなした結果が何の形にもならなかったと考えると、因果応報ですが、悲しい気持ちになります。そこそこやっとけばそこそこの結果がでるという甘い気持ちで、100%の力で取り組むことができなかったことが原因だと思います。また、学術奨学生に選出していただいた末廣先生や、常にモチベーションが高かった他のゼミメンバーに申し訳ない気持ちでいっぱいです。私自身、もっと本気で取り組めばよかったと後悔しています。

 四年間の振り返りと反省はこの辺で終わりにしたいと思います!

 後悔の残る卒業研究になってしまいましたが、それでもやっぱりシェイクスピア作品が好きだと認識することができました。これからも好きな文学作品たちを胸に刻んで、人生を送っていこうと思います!

 最後に、シェイクスピア作品のなかで、私が一番好きな台詞を述べたいと思います。

「やめてくれ。前兆なんか気にしてはいられない。雀一羽落ちるにも天の摂理が働いている。いま来るなら、あとには来ない。あとで来ないなら、いま来るだろう。いま来なくても、いずれは来る。覚悟がすべてだ。生き残した人生のことなど誰に何が分かる。だったら、早めに死んでも同じことだ。」(『ハムレット』)

全ての出来事には理由があって、悲劇や不幸も、結末に向けた価値あるものだ、という意味だと解釈しています。こう考えると、日々起こる悲しいことももしかしたら不幸じゃないのかなって思うことができ、前向きになれます。

卒業研究で結果を残せなかった悔しい気持ちや後悔も、将来何らかの形で活かせるように、これからの日々を送っていきたいと思います!

 ゼミメンバーのみんな、二年間ありがとう!みんな本当に個性的で、楽しかったです!マジで早く出会いたかったです!みんなと頑張った二年間は大学生活でいい思い出になりました!ほんとにありがとう!

 末廣先生、二年間ありがとうございました!厳しいアドヴァイスをいただいたこともありましたが、生徒への愛情がないと、こんなにも本気で向き合ってくれないと思うので、厳しい意見もいつも愛の鞭だと思っていました!卒業と同時に愛人関係も解消されますが、次の三年生を迎える際にまた新たな愛人を探してください!私は以上に可愛く、美しく、面白く、セクシーで、可愛い生徒はいないかもしれませんが。これからもお身体に気をつけてお過ごしください!お世話になりました!

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 卒業研究発表会および2年間のゼミナール本当にお疲れさまでした!そして末廣先生、2年間ご指導いただき本当にありがとうございました。ちーばちゃん同様、1年前に先輩方の卒業研究発表会に参加した際に卒論を書いている、発表している自分が全く想像できず、執筆前から不安しかありませんでしたが、無事に卒論を書き終えることができたことにひとまず安心しています。みなさん本当にお疲れ様でした。
 私は2年次に末廣先生の授業をいくつか受講していたことをきっかけに末廣ゼミナールを志望しました。入ってみるとみんなのレベルの高さ、課題の難しさに驚き、「入ったところ間違えたな」と頭を抱えていたのが事実です。しかし、今思い返せば末廣ゼミナールでよかったなと実感しています。なぜなら、自分自身が成長できたと感じるからです。レポート執筆や論文執筆、プレゼンテーションの際に常にレベルの高い先輩、同級生のお手本がある環境はガチゼミである末廣ゼミならではで、他のゼミでは考えられなかったと思います。一つの作品に対してこんなにも深く理解することができるんだと感心し、「私もこんな風に分析したい、論文を書いてみたい!」と思うようになりました。私は文章力がないことが昔からコンプレックスだったため、先輩やみんなのレポートを何度も読み直し参考にさせていただいてました。その結果、少しは文章力も上がったのではないかと感じています。個人相談等も末廣先生が親身になって相談に乗ってくださったり、アドヴァイスを下さったりして有意義な時間を過ごすことができ、授業内の作品だけでなく、プライベートで映画を見た際にもより作品を理解することができるようになりました。個人相談で他のメンバーの進行状況を聞くだけでもモチベーションに繋がっていて、自分がやる気がなくなっているときにいい意味で焦らされて刺激をもらっていました!
 ゼミメンバーに出会えたことも末廣ゼミナールに所属して良かったと思える点です。3年次はほとんどzoomで実際に会うことができなかったのが本当に残念でした。4年次の合宿で一気に仲を深めることができ、アドヴァイスをし合える関係になりました。みんなで夜ゲームをしたり、女子で一部屋に集まっていろんな暴露話をしたりとっても楽しかったですね。(私の暴露はまなおによってみんなに知られてしまうハメになりましたが)合宿を通して卒論に対するやる気が一気に上がったことを覚えています。それからはモチベーションの上がり下がりが自分の中で激しくみんなの士気を下げていたと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。このままでは嫌だと今回の発表会を通して思い、社会人になったらこの悔しさをバネに頑張りたいと強く思いました。
 振り返りはこの辺りにして、卒業論文の話をさせていただきます。私は卒業論文のテーマ、題材を決める際に現代の社会問題について書きたいと考えていました。そこで先生に紹介していただいた『パレードへようこそ』に出会いました。政治に対して興味がなかった私は「新自由主義とは?」と頭の中が?でいっぱいでしたが、映画だけでなく当時の時代背景はもちろん、現代の状況等知れば知るほど卒論を仕上げたい気持ちが強まりました。卒業論文発表会で末廣先生が「現代にも意義のある論文」と仰ってくださり大変嬉しく思ったと同時にまだまだな論文でしたが、達成感を覚えました。ありがとうございました。
 私は卒論で取り上げた『パレードへようこそ』(原題:Pride)を通し、登場人物たちのように「ただ自分自身の人生を生きるのではなく、人生にプライドを持って生きたい」と強く思います。
 ゼミメンバーのみんな、2年間本当にありがとうございました!一緒に2年間乗り越えることができてよかったです!機会があればまた集まりましょう!
 そして、末廣先生。2年間ご指導本当にありがとうございました。先生のおかげで作品に触れる楽しさを学ぶことができました。至らぬ点ばかりでご迷惑をおかけしたと思いますがこんな私たちに本気で向き合ってくださりありがとうございました。

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 卒業研究発表会と、2年間のゼミナールお疲れさまでした!
 私が末廣ゼミナールを第一希望に選んだきっかけは大学1年生の時に参加させていただいた、ANAに就職が決まった先輩のお話を聞く会の時です。その会では先輩の就職活動について詳しく聞かせていただいたこともありますが、先輩が先生にたくさんアドヴァイスを貰ったり、ツテで繋いでもらった?みたいな話をしていたことそして、先輩と先生がとても仲良さそうにしていたことがきっかけでした。映画鑑賞が好きなのはもちろんなのですが、先生とその先輩の関係性がすごく羨ましく、自分の就職活動の際もたくさん相談をしていい就職先に就くことを目標にしていました。実際に、3年次に就職活動が終わった先輩のアドヴァイスを聞ける機会を作ってくださったことにより、自分なりの事前準備ができ、第一志望の企業に行けたことができて本当に良かったと思います。しかし、私が思い描いていた先輩と先生の関係は私の日頃の行いのせいで程遠いものとなってしまいました。
 私が末廣ゼミナールで論外な存在、みんなの士気を下げる存在になってしまったのも、私が就職活動のサポートが手厚いと聞き、映画も好きだし!という簡単な理由で選んでしまったことによる結果だと思います。末廣先生、ゼミメンバー全員の足を引っ張ってしまい、本当に申し訳ないと思っています。ただ、私は末廣ゼミナールに入ることがなければみんなと知り合うこともなかったし、1年生から一緒だったのに仲が悪かったまなおとも仲良くなることができなかったのでみんなと仲良くなるきっかけとなってくれた末廣先生には、とても感謝しています。
 私は勝手に卒業式の後とか、別日に末廣ゼミナール全員初めて揃った状態で飲み会ができると思っていたのですが、私のせいで末廣先生が卒業式に来ないと決意してしまったことは本当にみんなに申し訳ないです。
 末廣先生の奥さんとの馴れ初めとかをオンラインコンパで聞いてもいつも奥さんがお家にいる時に話すのは恥ずかしいと言われてしまい、はぐらかされていたのでなんだかんだ聞けていないことが心残りですが、またいつか会える時がありましたら、声をかけさせていただきますので、その時はよろしくお願いします!
 みんなは卒業式で一緒に撮ってくれたら嬉しいです!2年間本当に失礼なことばかりしてしまったと思いますが、ちょっと変わってる末廣先生と、優しいみんなと一緒に末廣ゼミナールには入れたことが本当に良かったです!
 2年間ありがとうございました。

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 卒業研究発表会と2年間のゼミナール活動お疲れ様でした。
 大変なことばかりであったと同時に、あまりいい終わり方ではなかったですが、いろんな意味で成長を感じられる時間でした。このゼミに入ったきっかけとしては、1年のころから交流の深いかねやんと同じゼミに入ろうと話しており、当時、志望者が少なかったと同時に、「英米映画論」の授業を見て面白いなと思ったことから、末廣先生のゼミを志望しました。今思えば、これだけ過酷なゼミならば、たしかにそれ相応の覚悟を持った人しか志望しないと思います。自分はあまりこのゼミの情報を調べず、なんの覚悟も持たずにに入ってしまったので、後悔したとしても自分の責任です。
 3年時にゼミの活動が始まったものの、毎週のように課される課題や、自分の文章力や問題解決能力の拙さに対する先生の厳しい添削に耐えきれなくなった私は、一度先生にLINEで意義申立とゼミを抜けようとしている意を伝えました。先生はお忙しい中、親身に対応してくださいました。結果的に、私はゼミに残ることにしたので、先生の貴重な時間を無駄にし、ゼミ・リーダーにもお手数をおかけしてしまいました。誠に申し訳ありませんでした。汚名を返上するため、3年の後期からは気持ちを切り替えて、課題の提出期限をまもる、発表の原稿や資料をしっかりと作り込む、他のメンバーの発表に対してするどいコメントを述べるといった当たり前のことから改善していきました。
 4年時にも、3年時の失態を挽回するために、映画『メッセージ』の研究にいそしみました。参加できる日には積極的に個人相談のアポをとりました。さらに、中間発表の準備も、映画を何度も見返して、論文に活かせそう材料を探して分量のある資料を仕上げていきました。卒業研究はもちろん大変ではあったのですが、3年時と比べるとかなり精神的に余裕があり、自分の文章力と忍耐力が成長していることに気づき、ゼミをやめずに続けてよかったと思いました。映画『メッセージ』について、人類とエイリアンの「ノンゼロサム・ゲーム」の関係、言語を用いたコミュニケーション、時間観の共有といったファースト・コンタクトものとしての斬新さを論文で表すことができ、自分では満足のいく研究ができました。
 しかし、卒業研究発表会では、先生から『メッセージ』や結論で取り扱った『スローターハウス5』は、難解な作品であるため、もっと論文の分量を増やして執筆するべきだったと講評をいただき、もちろんMVPをとることはできませんでした。また、総評では、先生から今年度のゼミは、過去にゼミが崩壊したときに近い、ひどい結果であると言われてしまいました。その要因の一つに自分の3年時の失態も含まれていると思うので、他のメンバーには申し訳ないです。
 結果は満足のいく形にはなりませんでしたが、このゼミでは、レポートや論文の執筆、プレゼン、卒業研究を通じて、論理的な思考や文章力、プレゼン力が鍛えられ、先生やメンバーとの講義はもちろん、クリスマスパーティーや合宿、コンパでの交流を通じてコミュニケーション能力が養われました。謝辞にも書きましたが、3年時にゼミをやめず、こうして4年時に研究を終わらせることができたのは、先生とゼミの活動に必死にくらいついていたメンバーのおかげです。2年間ありがとうございました。

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卒業研究発表会および2年間ゼミナールお疲れ様でした!そして末廣先生、2年間ご教授して下さりありがとうございました!1万字超える卒論なんて自分には書けるのかと不安で去年の先輩方の卒論を聞いていたら自分の実力で先輩方のように執筆できるのか、卒業出来なかったらどうしようととてつもなく不安を抱きながら聞いていたのを覚えています。そして無事なのかは分かりませんが卒論を書き終えたことをとても安心しているところです。
 まず私が末廣ゼミナールを希望したのはずっきーと同様2年次に末廣先生の講義を受けておりそれがきっかけということもあり末廣ゼミナールに入りました。入ってすぐ「とんでもないゼミに入ってしまった」と思いました。みんなレベルが高くて私なんかが本当にやっていけるか不安になりました。しかしこのゼミに入ったことで少しではありますが考える力や書く力が培われたと思います。他のゼミでは絶対成長はできなかったと思います。このきついゼミに入ったことで成長できたので末廣ゼミナールを選んで良かったです。私は元々洋画とか見るタイプじゃなくて、『ハリー・ポッター』と『ハイスクール・ミュージカル』が好きだったのでその2つは見てましたがほかの洋画は全くと言っていいほど知識がありませんでした。なのでみんなが色々な洋画の知識があって焦りました。しかし、このゼミに入って洋画に興味が湧き今では半身浴中に洋画を見るのにハマっています。みんなが卒論で取り扱った作品も全てみたいと思うので卒論が一段落した今少しずつ見ていきたいと思います!ゼミメンバーも3年次はZoom上でコンパをしたり授業をしたりということもあり全然交流出来ていなかったのでみんなのことがあまり分かりませんでした。4年になってやっと対面で箱根にてゼミ夏合宿が無事開催され初めてゼミメンバーのみんなと1泊2日しました。卒論の中間発表ではみんなアウトラインがしっかりしていて私も頑張らないとなと気合いが入りました。また中間発表後も同じグループのももちゃんとさあやと卒論について相談し合ったりと有意義な時間を過ごせました。またその後は人狼をし、ゆずとかねやんのコンビプレーは今でも忘れません。そして私は案外人狼が得意説が浮上したので極めたいと思いました。人狼が終わってからも女子組は1つの部屋に集まりお菓子を食べながら色々な話をしました。私はゼミ合宿でジンベエとなり、父親にも私がジンベエであるということが認知されました。とっても楽しくていい思い出です。
 私が卒論の題材を決める時、とりあえず人種差別やLGBTQに触れたいと思っていました。私の仲良い友達にもトランスジェンダーな子がいる為身近な問題であるなと前々から思っていたからです。しかし題材を決めると言っても洋画の知識がない私は苦しみました。今のうちから色々な作品に触れておくことを強くオススメしたいです。長くなってしまいましたが、末廣ゼミナールで過ごせた2年間はとても有意義なものでした。こんな私に力を貸してくれ、成長させてくれたゼミのメンバーや末廣先生にはとても感謝しています。これより辛いことはないと思うので社会人も辛いと思いますがこの経験を糧に頑張っていきたいと思います。私も『ウエスト・サイド・ストーリー』のマリアのように好きという気持ちだけで突っ走るのは少しやめようと思います。地下アイドルを推すのはやめませんが(^-^; 適度に推していきたいと思います。最後に末廣先生、手厚いご指導ありがとうございました。こんな私にもご丁寧にご指導して下さりとても有難い2年間でした。お体に気をつけてこれからもお過ごしください。ありがとうございました!

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 卒論研究発表会と2年間のゼミナール活動お疲れ様でした!約1年前に先輩方の発表会を拝見したときに自分はこんな完成度の高い論文を完成させ発表することができるだろうかと大きな不安を感じたときから、1年経って自分の番が来て、完成度は低かったですが、何とか最後まで卒論を書き終えることができたことにひとまず今は安心しています。
 まず、私がこのゼミを希望したのは、映画を見るのが好きだったことと末廣先生の講義での映画の解説を聞いて面白いと感じたからです。しかし、いざゼミに入ってみると、鋭い視点と幅広い知識を持って独創的な視点で分析をするメンバーばかりで、自分と周りとのレべルの差に深く落ち込みました。ただ、そんなレベルの高いメンバーに囲まれて学んでいくことで、多くの刺激を受け自分も追いつけるよう頑張ろうと励むことができました。そして、今ではこのゼミに入った当初よりも少しは自分を成長させることができたのかなと思います。私はゼミに入った当初、洋画を見る機会がほとんどなく、作品を分析しながら見るということもあまりありませんでした。しかし、このゼミに入ったことで英米映画の奥深さに触れ、分析する楽しさを知り、自分で論理的に考えてそれを書き起こすことを繰り返し行ったことで、洋画にも興味を持って見るようになったり、自分が見ている作品について様々な考えを巡らせ分析しながら見るようになって、作品を見るのがより楽しくなりました。
 講義以外の面では、まずとても個性豊かで面白いメンバーに囲まれたおかげで楽しい2年間を送ることができました。3年のときはほとんどオンラインだったことであまり深く交流はできていませんでしたが、4年の夏合宿でしっかりと対面で3日間過ごして皆と夜集まったり、バーベキューなどで色々話す機会ができ、今まで知らなかったメンバーの意外な一面も知ることができ、とても楽しい夏合宿でした。また、皆で対面で飲み会をしたときも皆のすきなものや深い話を沢山聞けて、それらのイベントなどを通して皆と少しずつでも交流を持てて本当に良かったです。
 そして、卒論研究についての話に戻りますが、私はLGBTQのジャンルから『リリーのすべて』を選びましたが、アイナーとゲルダそれぞれの視点があるから一つのテーマにして書くのが難しいと先生が言っていた通り、私はとても苦しみながら執筆していました。途中で作品を変えようか迷いながら時間が過ぎてしまい、この作品で書くしかないと覚悟を決めて執筆したはいいものの結果的には論文全体のまとまりがなく非常に完成度が低いものとなってしまったこと、深く反省しています。
 さらに、全体の反省点として、私はリーダーとして立候補したのにもかかわらず、リーダーらしいことをほとんど何もできておらず、がんちゃんや蘭丸に頼ってしまう部分が多かったことも深く反省とともに後悔しています。元々優柔不断で内向的な部分があるため、なかなか自分から積極的に行動することができず、メンバー同士の交流の場の提供や卒論研究の話し合いの場の提供などリーダーが率先してするべき箇所が疎かになってしまい、最終的に先生にゼミが崩壊した年とほぼ同じ状況と言わせてしまったのはリーダーである私に一因があると思い本当に深く反省しています。
 長くなりましたが、最後にこんなに要領が悪くてできそこないな私に懇切丁寧にご教授してくださった末廣先生、2年間本当にありがとうございました。そして、本当に個性豊かで面白くてレベルの高い皆と2年間同じゼミメンバーとして活動できた時間は本当に刺激があって楽しく有意義な時間でした。楽しいことも苦しいこともあった2年間でしたが、このゼミで学んだことや反省したことを活かして、これから何事も積極的に行動していきたいと思います。2年間、本当にありがとうございました!

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  卒業研究発表会、2年間のゼミナールお疲れさまでした!
  みんながゼミナールの思い出を語っているので、私も便乗したいと思います。
  まず、私が末廣ゼミを志望した理由はずっきーと同じく末廣先生のを講義を受講していたからでした。その時から課題は多いイメージがあり、末廣ゼミがガチゼミと言われていることも知っていました。しかし、残りの2年間一緒に過ごす仲間は絶対にこれからの財産になると思い、ずっきーともえごんとゆきのと同じゼミナールに入りました。友達がいればどんなに大変なゼミでもやって行けるだろうと軽い気持ちで志望しました。しかし、現実はそう甘くありませんでした。課題の量、先輩やゼミ・メンバーとのレベルの差、講義の難易度、、、全てが私には釣り合っていないものでした。最初のレポートでは先生に「奈落の底」という評価を貰い、やはり私はこのゼミに入るべきじゃなかったんだと落胆しました。そしていよいよ始まった卒論執筆。作品選びから躓きました。皆のようにこの作品で書きたい!と思う作品がなかったからです。しかし、3年次の先輩の卒業研究発表会を聞いた時から人種差別をテーマとした作品で卒論執筆をしたいという思いはありました。現代でも問題となっているテーマであれば私でも考えられると思ったからです。先生に紹介していただいた『ドゥ・ザ・ライト・シング』を実際に鑑賞するとこれほどまでに悲惨な事件が世界で起こっていると思うと鳥肌がたちました。スパイク・リーの「Do the right thing」はまだ世界に浸透しきれていないという主張にしたことからも、このテーマで卒論執筆を行ったことによって世界から差別がなくなって欲しいという思いが強くなっていきました。こういう思いになれたのも末廣ゼミに入ったからです。文章力の成長やこのような現実問題に対する思いが持てて良かったです。
  結果的には何も受賞は出来ませんでしたが、ゼミ・メンバーのおかげで最後まで卒論を完成できました。夏合宿で一気に仲良くなり、ここまで仲良くなれたのもガチゼミといわれる末廣ゼミでみんなと共有する時間が長かったからだと思います。2年間本当にありがとう!
  最後に末廣先生、2年間ご指導ありがとうございました。もえごんとも被ってしまいますが、こんな私にご丁寧に添削や指導をしていただきありがとうございました。末廣ゼミで培ったことを社会でも活かしていきたいと思います。ありがとうございました。

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卒業研究発表会、2年間のゼミナールお疲れ様でした!無事卒業研究発表会を終え、安心した気持ちとともに、ゼミが終わってしまったのかと寂しさも感じています。
イタい私も2年間を振り返ってみて、卒業研究では良い結果を残すことができず後悔の念も感じていますが、映画の知識、論理的な文章力やコメント力などゼミでの活動を通して成長することができたと感じていることもあります。私は、もともと好きであった映画の世界により深く関わってみたいと感じて末廣ゼミナールに入ろうと思いました。しかし、「ガチゼミ」?とは言っても、入ってからすぐ春休みの間に課題が出され、驚かされました。原作を読み、映画も鑑賞した上でレポートを書いていく形式の課題は大変で、高校の頃に受けたReadingの授業を思い出しつつも挑戦した初めてのレポート課題は、飯間浩明による「論理的な文章の書き方入門」に基づいたレポートの書き方が難しく苦戦した思い出があります。初めのレポートは、先生から酷評を受けることになり、それから、毎度レポート課題があっては先生やゼミ・メンバーの添削からも、愛の鞭として自分の良くない点を指摘していただけたことを感謝しています。3年の頃は、コロナ禍の影響もあって対面で会える機会も少なかったなか、4年の頃には機会が増え夏合宿が行えたのは本当によかったです。勤めさせて頂いた幹事としての仕事も貴重な経験となり、発表後には人狼や様々なゲームで盛り上がり、楽しい思い出にできました。また、中間発表のレヴェルの高いメンバーからとても刺激を受けて、卒業研究を取り組むモーティヴェーションを高めらたことも感謝しています。
先生による総評を受けてから、コロナ禍の影響もあったとは思いますが、私自身も積極的に呼びかけて、メンバー同士で助け合える場を作れられていたらよかったと感じられました。そのほか様々な反省点は数え切れないほどありますが、せめてここでは明るい感じで終わらせたい気持ちもあります。熱心に指導してくださった先生、卒業まで支えてくれたゼミ・メンバーの皆さん、2年間本当にありがとうございました!これからも、この経験を活かして頑張っていきたいと思います。

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  卒業研究発表会お疲れ様でした!そして2年間のゼミナールお疲れ様でした!
  掲示板開いてスクロールしてたらみんな長文でびっくりしました!そんなに書ける気がしません!(笑)
  まず、私がこの末廣ゼミを志望したのは高校生のときに受けた模擬授業に興味を持ち、それに近い授業を受けられると思ったからです。ゼミを選んだときはその模擬授業の担当が末廣先生だとは覚えておらず、まさかの再開(?)でびっくりしました。結果的に研究を追求することができませんでした。が、この2年間で、シェイクスピアの作品に触れたり、演劇を観に行ったり、多種多様なミュージカル映画を鑑賞したりと、今までしてこなかったことを経験出来ました。映画は同じようなジャンルのものしか観てきませんでしたし、シェイクスピアは読んだ記憶もありませんでした。末廣ゼミナールで映像について学んでから、今までは何も考えずに映画を鑑賞していたのが、「今のこのシーンはこういう伏線なのかなあ」とか「こういう気持ちなのかな」とか考えながら観ちゃったり、「あ、やっぱりそうだった!」って思うこともあれば「そっちだったか〜」ってなることもあったり、今までとは違う視点で観ることができるようになって楽しくなりました。
  クリスマス会やお誕生日のお祝い、ランチ会、オンラインコンパ、授業は真面目な内容ですが、楽しい時は思い切り楽しめる内容で、とってもいい思い出です。対面では1回しか飲み会できなかったけど美味しくなーれもえもえきゅん♡したのは覚えてます( ´•ᴗ•ก )💦夏合宿参加出来なかったのはなかなかに悔しいです。ストーリー楽しそうだった😢あと3年の前期の『から騒ぎ』のときにみんなで恋愛観(?)話したのも楽しかったです!ありがとうございました。

  最後になりますが、末廣先生、2年間こんなわたしにも指導してくださり本当にありがとうございました。寒い日が続いたり、かと思えばちょっと暖かくなったり、、という日が続いています。どうぞご自愛ください💭

2年間本当にありがとうございました!!

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 皆さん卒業研究発表会お疲れさまでした!そして2年間みんなお疲れ様でした。
 長い長いと思いながら今思うとあっという間なゼミ活動だったと思います。みんなにはたくさん迷惑をかけたことが多く、ゼミリーダーとしていつもふがいなかったと思います。
 僕がこの末廣ゼミに入ったのは映画が好きで、映画好きの友達を多く作りたいと思ったからです。もちろんこのゼミは他のゼミに比べて大変だということは知っていましたが、その分楽しいことも多いだろうと思い、このゼミに入りました。しかしながら、3年生の頃はコロナの影響によってみんなで集まる機会が少なく、ただ多いゼミの課題を一人でこなしていく日々で、あまりこのゼミの楽しさを感じる事がなく、3年生後期で所属していたサークルが再活動してもゼミの課題や、公務員勉強で参加する時間がなく、大学生活が楽しいとは思えることができず、正直このゼミを辞めたい、早く卒業しないかなと思っていました。そんな中でもみんなで少しでもこのゼミが楽しくなるように、リーダーとして頑張ってきたつもりではあります。そのことがみんなに少しでも伝わってもらっていたらとても嬉しいです。
 また、こんなゼミの楽しさを感じる事ができなかった僕がこのゼミを不格好ながらもやり遂げられたのは、ゼミのみんなの存在があったからです。このゼミのみんなはそれぞれ違った個性があり、決してみんなが優秀なわけではありません。末廣先生の今年度のゼミの評価では、崩壊したゼミと大差がないと言っていましたが、逆に僕はこのみんなが優秀なわけではないというところに本当に救われたと思っています。もしみんなが優秀なのであったならば、僕は心のよりどころがどこにもなく、精神的に病んでしまって、不登校になっていたと思います。しかしながら、この代のゼミは優秀な人がいる一方、不真面目でもとても面白い人もいます。(あやのような)だからこそ僕はこのゼミをやりぬけたと思っています。もちろん末廣先生が求めるような優秀な生徒が多い方が、ゼミの研究を進めるうえで良いことなのだと思います。しかしながら、時には優秀ではない生徒がいた方が、僕みたいな落ちこぼれが救われることもあります。なので僕はこの末廣ゼミで過ごせたのが、この代のゼミで一番良かったと思います。
 本当にみんなありがとうございました。今後大学を卒業し、みんな別々の道に進みます。でも僕は卒業した後も、たまに会うような関係になれればいいと思います。

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書き込みが遅くなってしまい、申し訳ございません。

 卒業研究発表会、そして2年間のゼミナール活動お疲れさまでした!あんなに悩んで大変だった卒業論文執筆も、いざこうして終わってしまうと名残惜しいものです。
 まず、3年次から振り返っていきます。私はかなり怠け者である自覚があるため、日頃から自分を追い込んで忙しくするようにしています。末廣ゼミもガチゼミと言われていたから入りました。せっかくみんな同じ2年間を過ごすのであれば、できる限り有意義な2年間を過ごしたかったのです。実際に末廣ゼミで2年間を過ごしてみて、末廣先生の溢れんばかりの知識を浴びることができて本当に楽しかったです。ももちゃんが言っているように、今思えばプレ・ゼミから卒業論文発表会まで伏線回収が見事で、まんまと先生のプロットに乗せられていました。特に、プレ・ゼミの「クイズ文によるレポートの書き方」と「映画を分析しよう」のレクチャーは卒業論文の執筆の中核となりました。『から騒ぎ』に関するゼミナールではじょじょにメンバー同士の添削や質問をする機会が増えました。私は思ったままに、ときに厳しいコメントもしてきたつもりでいるのですが、それは本当の意味での思いやりを持ちたいと思ったからです。私は部活動やアルバイトでの経験を通して、自分がいかに外からの評価を気にしているか、そのせいで本音が言えていないか、強く実感していました。優しいことはいくらでも言えますが、厳しいことを言うには自分にも周りにもストレスがかかります。だからこそ、外面ばかり気にしている自分を変えたくて、意識して本音で接するようにしてきました。そんな私のコメントをみんなは優しさで吸収してくれてたいへんありがたかったです。ミュージカル映画のプレゼンテーションでは、みんなの鋭い独自の観察眼に刺激を受けました。個性豊かなメンバーの、個性にあふれた分析を拝聴することできて楽しかったです。
 次に、4年次を振り返っていきます。4年次に入ってからはかなり忙しない毎日を過ごしました。教職課程を履修し始めたり、バイトで昇格してマネージャーとして働くようになったりしたり、忙しく過ごしていました。そのため思うように論文執筆に充てる時間を確保することが難しかったのですが、すべて自分で選んだことなので言い訳したり文句を言ったりしないように全力で努めてまいりました。辛いことも多かったのですが、ももちゃん、ちーばちゃん、ちーちゃんをはじめとしてとっても聞き上手で優しすぎる友人たちのおかげで折れずに最後まで走り抜けることができました。特にこの三人には感謝してもしきれないです。卒業論文執筆に関して言えば、ゼミ合宿を機に大きな決断をしました。それは、研究対象となる作品を『モーリス』、『君の名前で僕を呼んで』から『赤い河』、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』へと変更したことです。結果的にこの決断は良いものだったと思います。ただ好きだという理由で選ぶのではなくて、論じたいことが、言いたいことがあるものを選ぶべきだと今では思います。賞を獲得することはできませんでしたが、自分が論じたいことをめいっぱい論じることができました。賞をいただかなかったことは先生からの贈り物だ思っています。そのおかげで今の状況に慢心せず、より上を目指してがんばっていけるからです。(もちろん涙が出るくらい悔しかったですけどね!!!!) 先生は個人相談や講評で繰り返し私の書く能力についてお褒めの言葉をくださいました。言葉、日本語は以前から好きでしたが、自分にそのような力があることは自覚していなかったので驚きました。私は書くことは好きですが、仕事にしたり長く続けたりすることは現実的に厳しいのではないかと内心諦めていました。しかしながら、先生が認めてくださったおかげで、「書くこと」に関する道も少しながら見えてきました。「書くこと」も視野に入れて将来設計を見直していきます。
 ここまで読んでくださった方は分かると思うのですが、私は基本的に自分のことばかり考えています。自分の成長、自分の満足感を最優先に生きています。本来だったら人が離れていってしまうような性質を持つ私でも、見捨てずにいつもそばにいてくれる末廣先生や友人に出会えたことが私にとってかけがえのない宝物です。このありがたみをつねに忘れないようにするので、ぜひこれからも一緒にいてね。末廣先生、メンバーのみんな、2年間ありがとうございました。心より感謝申し上げます。みんなの未来が明るく照らされますように!