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Type 90 資料用 / 247

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247
名前なし 2021/11/27 (土) 09:53:42 修正 aca6c@f1193 >> 218

横からすみません、まだちょっと話が掴めてないですけど…そもそもDM33の配備が'87年からだとしても、2次試作での技術試験も同じく'87年の9月から始まり'88年の12月まで続くので、少なくともそれまでには間に合うのでは?

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  • 325
    名前なし 2021/11/28 (日) 08:15:18 修正 dcaef@7421c >> 247

    現にDM33が90式正式化に合わせてライセンス契約をしているので、間違いなく試験や90式のFCS適応のためDM33が購入されていたはずです。DM33の性能評価のため、試作車または装甲サンプルへの射撃も実施されるのが当然と思います。DM33が1987年に納入か、1989年に納入か分かりませんが、DM33による耐弾試験が行われて90式はそれに合格したとしても矛盾は無いと思います。財務省または防衛相の当時の公文書で砲弾の購入について何か記述とか残ってないですかね?

  • 327
    名前なし 2021/11/28 (日) 11:18:48 修正 b6e18@d1ee7 >> 247

    >> 324砲弾の場合は、三菱重工の管轄ではなく防衛庁の管轄なので、あまり関係ないと思います、駐屯地の弾薬庫に保管しておけばいいんです。120mm L44滑腔砲は1985年に納品されています、1986年初めから2次試作品の製作が始まりましたので、それ以前に輸入しないと製作期限に間に合いません。
    砲と弾薬を別々に輸入する場合、砲に対するテストは不可能です。戦車開発の際には主砲を別にテストしています。 しかし、先に砲を購入して弾薬を購入した場合、主砲に関するテストは不可能です。

    そして、自国の最新鋭弾薬がすぐに輸出許可が下りたという事実もおかしいですね。1987年導入が事実なら、ドイツ政府が1987年に直ちに輸出許可を下したということですが、自国の最新鋭弾薬をすぐに輸出する場合がありますか。ドイツが弾薬を少量提供してくれたと確認された例はアメリカだけですが、これも共同開発プロジェクトで提供しただけです。

  • 328
    名前なし 2021/11/28 (日) 11:44:26 修正 66377@15174 >> 247

    だからそれはもう君自身の考察じゃん。車体部や砲塔部を先に組み上げて砲システムを最後に装着する、つまり車両製造を始める段階から砲が用意される必要はないとも言えるよね?それに1987年9月から行われた二次技術試験で主砲に関する試験をすることは十分考えられるよ、1987年9月から1988年12月までが試験期間であってそれ以前に二次技術試験はやってないからね。

  • 329
    名前なし 2021/11/28 (日) 12:20:00 修正 b6e18@d1ee7 >> 247

    世界中のどの国もそのような方式で戦車を開発することはありません、起動試作の場合、砲がなくても大丈夫なので、似たような重さの振り子を付けて試験しますが、90式戦車の2次プロトタイプのような火力試作の場合は砲を装着します。

    そして、1980年代の複合装甲の防護力技術を見ると、DM23を防ぐのは素晴らしい方です、戦車の設計は、無条件自弾を防護するのではなく、主要な脅威要素を防護するものとして設計され、その当時、主要な脅威要素だったソ連軍の弾薬は3BM22~3BM32で、これと似た威力を持つ弾薬はDM23です。IPM1のBRL-2セラミック複合装甲、レオパルト2A4のBtechセラミック複合装甲もDM23を防護する程度で終わりました。日本がもっと軽い複合装甲の重さで似たような防護力を達成したことはすごいことです。

  • 331
    名前なし 2021/11/28 (日) 13:19:58 修正 66377@15174 >> 247

    1987年9月から行う技術試験の為に1986年から1988年にかけて試作したんだよ?その試作の為に1985年中に砲を輸入する必要はないって話なんだけど。火力性能試験が行われたのは1987年9月からであって試作期間中じゃないぞ。後半はツッコミどころ満載だけど本筋じゃないからノーコメント(↓ラインメタルからDM33の導入について協議するのに、まして日米同盟もあるのに仮想敵のそういう情報をキャッチできない訳がないしね)

  • 332
    名前なし 2021/11/28 (日) 13:23:14 修正 edbda@b20fc >> 247

    あの、86年にソ連で3BM42が出て2km貫通力約450mmなのでdm33防げないと意味がないんですが…

  • 333
    名前なし 2021/11/28 (日) 13:37:45 b6b2f@57a7d >> 247

    BRL-2は非拘束型セラミック装甲だしB-tecもそうじゃなかったっすかね、仮にB-tecが拘束型でもB-tecは70年代のものになるから比較対象としておかしいけど。比較すんならC-tecとかルクレールの複合だろ

  • 334
    名前なし 2021/11/28 (日) 13:54:17 f5180@afd5c >> 247

    90式の仮想敵が自分の使用する砲弾より1世代前というのは素晴らしいどころか怠慢です。

  • 335
    名前なし 2021/11/28 (日) 14:21:13 b6e18@d1ee7 >> 247

    >> 331探してみたら、あなたの言うことが正しい。 どうやら1986年に製作を始め、1987年に完成したらしい、試作5号車が88年6月に完成した銘板があるというのを見た。試作5号車が1987年に製作を始めたから銘板通りなら1年ごろかかったね、試作3号車は87年ごろに完成したようだ。

    >> 332470mm貫徹は60度基準、90式戦車の場合、砲塔の主要装甲部が垂直で、車体の場合、弾子崩壊現象により特に問題はない(今WTではAPDSのみ)

  • 336
    名前なし 2021/11/28 (日) 14:52:29 修正 b6e18@d1ee7 >> 247

    一応主張をちょっと整理します。

    90式戦車のテストにDM23を使ったと考える理由。

    1985年の導入会議当時は、DM33を購入することができなかった。
    1985年以降、弾薬を導入していない。
    DM33は1987年実用化、しかしドイツが自国の最新型APFSDSをそんなに早く輸出許可を出すはずがない。
    1980 年代戦車の場合、ソ連製APFSDS 3BM22~3BM32 の防御を想定して開発されたため、DM23を使って試したのであろう。

    90式戦車のテストにDM33を使ったと考える理由。

    85年の会議で決定されたのは、砲と弾薬の購入だけで、詳細は決まっていない。
    87年以降も、自衛隊が実験用としてラインメタルから弾薬を購入したはずだ。
    1987年の実験でFCS等の開発のためDM33をテストしたはずである。
    自弾防御を要求するのでDM33を使用したのであろう。

    他の外国人からの意見ですが、90式戦車二次プロトタイプの設計は1985年以前に終わり、1987年に公開されたDM33の細部スペックが分からないまま設計されており、自弾防御が不可能なのではないかという意見があります。意見をお願いします。

    1986年に手袋の開発が終わったというポストを送って来たので添付します。
    https://www.whiteorder.net/type90tank-kaisetsu/
    "1984年に大砲のテストは終了し、他の部門は1986年までに重機関銃とモジュラータイプのセラミック複合装甲を開発し終えた。"

  • 337
    名前なし 2021/11/28 (日) 16:45:30 修正 66377@15174 >> 247

    ところでジェーンは少なくとも90年代以降の脅威=DM33以上を想定した要求だったと書いているようだけど。

  • 338
    名前なし 2021/11/28 (日) 20:21:39 dcaef@7421c >> 247

    防衛庁技術研究本部五十年史のII 技術研究開発 2.技術開発官(陸上担当)末尾にある「90式戦車開発の思い出」に90式戦車の研究開発は昭和63年(1988)に終了したと記述されています。平成元年(1989)の陸上自衛隊による実用試験中にDM33対応のアップデートを行っていては、昭和63年(1988)に研究開発を終了したとは言えないと思います。そのため、DMM33のFCS開発と射撃試験は昭和63年(1988)12月まで行われた技術試験(2次試作)の中で達成されていたのではないでしょうか?

  • 339
    名前なし 2021/11/28 (日) 20:23:18 修正 b6e18@d1ee7 >> 247
  • 340
    名前なし 2021/11/28 (日) 21:03:22 修正 66377@15174 >> 247

    まず畳んでくれ。議論をすればするほど試験がDM23だった証拠はないってことが分かるし他に何人もそう考えてる、結論としてあなたは自分の推測を押し通したいだけに見える。それじゃこっちが何言ってもああいえばこういうでいたちごっこになるよな。人様に時間の無駄とか言う暇があったら我が振りを直した方が良いと思うよ

  • 342
    名前なし 2021/11/28 (日) 21:27:18 b6e18@d1ee7 >> 247

    そもそもこういう議論自体が否定する人と肯定する人がお互い証拠を持ってきてぶつかるから仕方ないと思うけど、そう思うならごめんね。その前に人に時間の無駄って言ったのは意味のない返事だけ返ってくるからでしょう、むしろあなたのご意見はとてもありがたく思っているよ、いくつか学んだ点もあるし。

  • 343
    名前なし 2021/11/28 (日) 21:41:32 修正 66377@15174 >> 247

    記述内容吹き飛んだから先書くけど、君がやってるのは「不明確ながら情報の取れる文献をいくつか用意して、それをいい感じに解釈して考察する」って行為なのね。それはここでの俺や他の人の考え、所謂通説と言われるものも全てそう。見た感じ君は自分の解釈を否定されて証拠を求めてたけど、それは間違いなんだ。ここでの一連の話の中で分かったとは思うけど、同じ資料を使っているのに何か文献を用意しろと言われても困る(言ってしまえば君がDM23だと判断した資料を提示しろと言ってるようなもん)し、まして不自由な言語なら尚更だよね。

  • 344
    名前なし 2021/11/28 (日) 21:52:54 035d1@d1ee7 >> 247

    何が言いたいのかよく分かった。私たちお互いに無意味な時間の無駄使いをしたようだね。この厄介な論争に答えてくれてありがたいし、確実な資料を探すときまた話すよ、ありがとう。

  • 345
    名前なし 2021/11/28 (日) 21:55:44 66377@15174 >> 247

    今ある情報だけでも日本で30年近く探された結果だから探すのもそれはそれである意味無駄だけど、理解出来たならよかった。あと一方的に言って言いっぱなしって良くないからね

  • 346
    名前なし 2021/11/28 (日) 22:05:43 5d593@3594d >> 247

    ここ1年で1次試作車調べてまとめた人もいるし無駄ではないと思う。凄まじい時間と労力が掛かるだろうけど…

  • 347
    名前なし 2021/11/28 (日) 22:11:18 66377@15174 >> 247

    実際あの人それに掛けた実時間と情熱すげえと思うけど、あれは一次試作だったからこそっていう面もあるのよね。それ以外の部分は本当に枯れてると思う

  • 348
    名前なし 2021/11/28 (日) 22:30:21 修正 3c36b@03feb >> 247

    便乗して関係ない質問したいんだけど通説にある「砲選定に関して国産がラ社に勝ってたけどコストは後者が優れる」って何がソースなんですかね?上見るとわずかに負けた(要求性能は満たした)って書いてあるけど

  • 349
    名前なし 2021/11/28 (日) 22:35:45 66377@15174 >> 247

    多分表記揺れとかの類い。どちらにしても大差が付いたという記述がない

  • 350
    名前なし 2021/11/28 (日) 23:07:41 edbda@b20fc >> 247

    質問なんだけど、ダイキンだと2次試作(昭和59年)って書いてて、技本だと表で2次試作が昭和61年からになってて、ラ社製の採用決定は昭和60年になってるから、これはダイキンの方が記述ミスしてるってことになるのかな

  • 351
    名前なし 2021/11/28 (日) 23:28:43 3c36b@03feb >> 247

    AがBに勝ったをBがAに勝ったって記述するって表記ゆれとは言えないですよね?

  • 352
    名前なし 2021/11/29 (月) 00:01:20 修正 66377@15174 >> 247

    ↑↑一次試作その1が昭和57〜58年で、その3が59〜60だからなんとも言えないなぁ。一次試作と二次試作でダイキンが二種類の試験用APを作ったと考えれば説明は楽だけど、そんな記述はないしなあ読んだ人今のなし、ダイキンの記述ミスが一番丸いけどよーわからん。59年初期の会議で結論は出なかったけど官が導入によることを決定し、その時点では59年度から二次試作をやろうとしてた。けど内定してるDM33使うとなると結局諸々遅れた、っていうのをダイキン目線で記述したくらいしか今は考えられん。分度器アショアやる官だから見通し甘いのはまだあり得るし。あとは単純に59年に決めて以降だから二次試作((どう急いでも今からしか始まらないので)59年)以降、と記述したとかか
    ↑とかの類いであって表記揺れとは思ってないよ、↑↑にあるように微妙に記述が異なってる部分もあるからどうずれを吸収してあげようかってところ