ここは「亜空間花」といいます。最初に作ったトピックです。その後、アメーバの「グルっぽ」に書き込まれた、皆様のご意見を移しました。もともと「グルっぽ」は、年数を経て飽きられた、というか、出尽くした感じで、スレッドごとにテーマが違うことに慣れない人もあり、すでに自己紹介があるのにまた自己紹介が出てきて、自己紹介へ悩みを書いちゃう。私は割と、そういうのは気にしないんですけど、会話していた、レスの応酬で雰囲気が上がったところへ、「私のブログに来てください」「病院どこですか」宣伝と質問にぶった切られると、他の人が引いてしまいます。皆、必死であることに変わりは無いけれど、さすがに宣伝だけだと皆さんが避けてしまう。それに、私自身も、気を遣うので、硬い空気になり、気軽に書き込みできないとの意見もありました。アクセス数はあるようですが、誰も書き込みしないので、硬い空気の私は「亜空間花」に引きこもります。できるだけ旧会員様同士、或いは健常者の方も、興味を持っていただけると大変に嬉しく思います。
tokky
土岐川祐
通報 ...
私に「グルっぽ」を渡した方は、すみません、ハンドル忘れました。その方は怒っていました。脊椎関節炎の掲示板を作ったものの、来る人全員何も知らない、マナーも無い・・・それを言っちゃおしまいよ。私も素人だったし。ただ、私は「情報板」にするつもりは無かった。「同病サロン」にしたかった。それと、医師同士の仲違いについて。患者のブログに嫌がらせする人もいて、当時はめんどくさいことになっていました。医師からはじかれたのは主に「主婦」、私もそうです。しばらくは寄り添い合うようにひっそりやりとりしていましたが、時代と共に、若い患者さんが増えました。若いと、脊椎関節炎のなかでも強直性脊椎炎と認められる。そしてスマホ世代です。主婦の方は「夫が家事をしないと怒る」という悩み方をするんです。でもスマホちゃんたちは「同世代の友だち」が欲しい。そして情報が欲しいときには「他人に訊く」医師に訊くのでは駄目なのだそうです。気軽に同病の人に「訊ける」からインターネットがあるのだ、という感覚。パソコンで「すぐ他人に訊くのはマナー違反」とたたき込まれた私には理解不能でした。でも、「インスタ」ができて、若い人の居場所も出来ました。ブログやツイッターなどのユーザーは「文字列」インスタユーザーは「写真」で語る。私は古い人間ですが、それで居場所が出来るなら、それでいいと。「子育て話なんかしたくない」「子育ての話しか出来ない」両方に突き上げられても、私は子育ては終わったし、私の時代には自分の家庭のことなどは絶対書かないのが普通でした。創作、プログラミングの発表、ある種「情報発信」という空気があり、私など「世界にマイハート見せちゃうなんてボクには出来ませーん」と掲示板に書かれたことがあります。不毛な砂漠の電脳世界、今や皆がフツウに生活の日記を書いている。それを私は認め、理解し、付き合っていく。他人の私生活を知っても、んーーーあまり興味ないけど、付き合えると思います。それが私の対人スキルだから。
寝ても立ってもいられない状態から救ってくれたのは、数々の抗うつ剤を経て「トラムセット」が馴染んでからでした。確かに少しではあるけれど、焦燥感が押さえられて落ち着きを取り戻しました。そして数年後「リフレックス」という抗うつ剤を飲んでから、またぐっとがんばれるようになりました。最近のことです。抗うつ剤なんて、と反感を持つ人も多いのですが、死ぬまで、痛みと痺れとむくみ、不眠、体の動きに制限がかかり、排泄も難しくなり・・・一分一秒、毎日を苦しんできた難病患者に、抗うつ剤は不可欠だと思います。病気に対する絶対的な効果を出すクスリが無い、根本から治る見込みが少ないのです。その中で、いろいろな苦しみを神経伝達の途中でブロックするのも大切です。そこで少し体を動かす気持ちになったとき、後から負担が回ってこない程度に、ストレッチ、「動かす」ことをしてみる。私はヒュミラが体感では効果なしでした。なので、非難があろうと笑われようと、抗うつ剤や向精神薬などで、少し楽になり、少し動く。繰り返すことで年々元気を取り戻しつつあり、自分では「どうだ、自己治癒力じゃ」と威張っております。
私が病気について書いたり、けいじばんを運営すること、サイトが消えれば引っ越して続けることを、損得勘定で、他人のためにどうして、という人は少なからずいます。人と繋がりたい、人と話したい、病気について知りたい、社会の矛盾を訴えたい、自分だけの文章書いて自分で読みたい、そう希求することに「損得」がいるでしょうか。私を見て、どうして「損得」について思い浮かべるのでしょうか。自分で考えないで「損得勘定表」を持ち歩き、私についてもそれに一々当てはめて意見をするように、私からは見えています。生きて証を残したいとは思いません。むしろ死ぬ前に消しゴムで全部消したいと強く意識することがあります。なんだか、私とは遠い考えで、自分が得するときだけ私と付き合う、えぇ、上手な生き方ですよね。寂しい生き方ですね。生き方というか、毎日の生活。毎日生活するのに「これをしたら損」って基準でいる人がいるのかしら。
過去ログの移動をしながら、過去八年分を読むと、いろいろな薬があり、様々な治療法があるのだと痛感します。何を飲んでも効果が無いひと、特定の薬にリスクがあると否定するひと、西洋医学から和漢まで。私は今日、通院の日でした。三ヶ月ほど前から、整形外科の先生の紹介でお隣にある別の個人クリニック(心療内科)も行っています。「不眠」は脊椎関節炎関係には大きな病状だと思うけれど、整形外科で不眠の薬を求めることは出来なかったのです。外科医師ではわからないそうで。
電脳世界では、ベンゾジアゼピン、というお薬に対して、過大な批判があり、署名運動もあります。私も「デパス」「マイスリー」を服用しています。デパスは脊椎関節炎などの難病では「こわばり」「痛み」を和らげ、主に頓服です。「マイスリー」は寝付きを良くする薬で、「ベンゾ系」とは言われていませんが、「構造分子」は同じで、心療内科医では「同じ扱い」だそうです。私は「デパス」を飲むことに強い抵抗を感じ、減らしたい、それだけを心療内科では訴えました。
「デパス」は脳内のギャバに働き、恐怖を和らげ、また、心の作用が体に出る人に良く効く、と昔、精神科医に聞いたことがあります。厚労省で「依存」する薬を減らすお達しが出ていて、私の住む岐阜県などは、もうどこへ行っても滅多に手に入りません。岐阜県は人口が少なく、さらに山間部の私は予算のほとんど無い市町村。お役所の指示はすぐ反映します。でも、デパスは自力で突然やめることは出来ません。代替えのお薬を服用してから、少しずつ、長い期間をかけ、依存のない薬にしていきます。
心療内科の先生は、「デパスは今の病気を抑えてくれるので、まず、マイスリーをやめましょう。」と言いました。デパスだけが減らす対象ではなかったのです。依存症にならない抗鬱剤の「副作用」が眠くなるので、それを利用し、飲む時間と量を自分で調節しつつ、やはり依存性のない「睡眠時間をのばす薬」をあわせます。まだベンゾ系自体を少なくするまでには行かないのですが、個人で効果が違うのか、やはりネット住民に嫌われているトラムセットの数が減りました。でも、トラムセットは今のまま整形外科でもらって、余っても、頓服用に持っていることになりました。
「抗精神薬」「ベンゾ系」というと、岐阜県山間部ではそれだけで診てもらえません。強直性脊椎炎も門前払いです。「医師がいない」状態で、婦人科も撤退していきます。ただ否定すれば良いのではない。自分で考えつつ、無理なことはしない。そして興奮するとどんな強い薬も効かないそうです。他人の言葉に左右されず、医師を自分で選び、投げ出さないで考える。むつかしいことですが、たいせつなことです。
掲示板を世代別、ものすごくおおまかに、、、したよっ。どこに書いて良いかわからない人、子育ての話はしたくない人、介護で悩む人、もう、別れちゃいましょう。で、よくわからない人は「けいじばん一般用」に書いたらどうかな。独身男性の輪とか、そういうのも必要かも。増やすほどに混乱するので「過去ログ」には、書いてあることに返信したり、読むだけだったり。掲示板には自分のことを書いて、子育て世代はどうも、ツイッターなどでも非難されてる。子育ての悩みは、これから子供が欲しい人には、ちょっと悲しかったり、男性はわからなかったり。まだまだ男性は育児に参加する人が少ない。ソファーに座ることも出来ず、子供が欲しいけど抱いてあげられない、という話をどこかで拝読したし、難病になって旦那様から離婚するように言われているというのも悲しいし、独身男性親と同居でご近所の目を気にして、「いつまで寝ているの」と言われるとか、もう、問題山積み。何より書き込みが出来ない、わからない、これだけ書くのに二ヶ月かかった、って返信やメールが来るのは、私にはきついです。私も超初心者の時は、一行書くのに一時間という時期もありました。ホームページを出すためにパソコンを覚えたので、ホームページのソース、タグの英語は早く書けるとか、そんな感じでした。「ソースって何」と誰かに訊いて「醤油だよ」とからかわれたり。トピック表示が右側にあり、最新のものが一番上に行くようなので、迷ったら、上の方にあるけいじばんをクリックあるいはタップしてみてね。
昨日まで、小諸市にいました。唐松が黄色を通り過ぎて茶色になっていました。紅葉の赤と、古城跡の石垣・・・美しい景色でした。でも持病を抱えて旅行はちょっと楽しめない、というか、今回は家族で訪れましたが、家族に対して気を遣って、苦しくても笑ってる。それでも「さっき言ったのに」「だから違うってば」等の言葉が飛び交って、身の縮む思いでした。トイレ、食事も自分のペースで出来ない。我慢して食べて、気持ち悪くなっても、全員の食事が終わったらトイレ、トイレに行っても外で誰か待っているから早くしなくちゃ、などと「我慢」ばかり。私の場合間質性膀胱炎もあるので、トイレが近く、AS系統の病気は、どうやら、寝起きが苦しい。朝からしゃきっとしてビュッフェで食事、トングは使えないし、車いす自体が、ホテルの移動に向かない。もちろん城跡など、歩くしか無いので、杖を持って入っていきます。保存が大切な建物などは杖をつくわけにも行かない。昨日はそれほど厳しい場所は無くて助かりました。場所によっては、一人外で待つことも。
おでかけで、私としてはかなり頑張ったので、今週は回復できずにずっと寝ていそうだぁ。ASは動けば動くほどよくなる、とネットで読んで、入院したとき一日目から「リハビリ」しました。「あんまりがんばると次の日動けなくなるよ」とリハビリの先生に言われたのに、やっぱり次の日から全く動けなくて、退院しても動けず、やたらと寝っぱなしで待つこと、後六年でやっと、入院した頃の動きが戻りました。対して動かした気はしなかったけど、日ごとに動けなくなるものですね。寝返りも出来ないし、そもそも眠れなくなりました。眠剤は入院時に看護師が持って行ってしまい、管理の下に使うので、3週間一日も眠りませんでしたし、食べませんでした。全く動かなければ、眠らなくても食べなくても死なないものだと感心したものです。今回は頓服用にとっておいた薬を飲みまくりました。元の病気が治ってないのにリハビリしたり、薬を飲みまくって減薬したりってヘンだとおもうの、いつも。まず多少クスリが無くても動ける程度に回復して、それから徐々にリハビリや減薬、っていうならわかるけど、病気のままなのにリハビリしたり減薬したり、動けば動くほど治る病気だとか言われる。困る。
出掛けるときは、ある程度他人に迷惑をかけても「しりごみしない」という決心が必要なんです。杖無くても歩いていたり、杖にしがみついていたり、車いすだったり、他人から見れば、「なんで元気そうなのに車いすなんだ」と思われます。実際その手の意見を通りすがりに言う人はいるし、なかには、電車のホームで避けられない混雑なのに、「邪魔だ-」と叫ばれ、相手はベビーカーってこともあったの。私も人混みで車いす悪いと思っているけど、ベビーカーはやっぱり天下のベビーカー様、と感じました。ベビーカーを押す人全員が自分本位では無くても、イメージとして強烈に残り、ベビーカーに遠慮するようになりました。やはり、難病患者は出歩くべきじゃないと、部屋に閉じこもった半年、ということもあったよ。
脊椎関節炎を患う人のブログなどを拝見して、「惜しい」と思うことがあります。「写真に仙腸関節の病が出ていない」のに脊椎関節炎と診断され、症状も出ている、治らない、クスリが多い」と書いている人が多いことです。私の病気をAS(強直性脊椎炎)と診断した先生は、一人だけでした。MRIなんて要らない、首の骨を斜めから撮ると「竹様」になった骨がわかる」と言い、私の首のレントゲン写真を見て、「ASに間違いない」としました。そのコピーをいただいて、地元に帰り、総合病院へ行くと、紹介状も写真も、ぽいって放り出し、「あそこかぁー」と吐き捨てるだけ。線維筋痛症とされます。思うに、医師とレントゲン技師と、細かい科に別れる病院へ言っても見分けがつかないのです。私は私の元の先生がすべて正しいとは思いませんが、現実に独立して、地元の女性に手厚い診察をしているようです。全国統一の意見を持った医師はいない。ひとりの患者を、内科も外科も精神科も資格を持っていて、多角的に患者を診る人はいない。レントゲンやCT写真を今の先生に持って行ったとき、まず自分でもう一度検査してASと決めました。前の先生は線維筋痛症も合併していると言っていましたが、今の先生は強直性脊椎炎だけだと言います。レントゲンやCTの結果でさえ、医師によって意見が分かれる。「写真に出ない」と書いている人は、医師が何も出ていないと見ているだけと言えます。MRIなど私は撮ったことがありません。あの筒の中が怖い、音も我慢できません。でも、もともとMRIの検査なしで診断できたので、不要の検査費用を支払ったことになります。ただでさえ、どこの医師も認めず、探す羽目になるので、レントゲンで見分ける医師ばかりになればいいのです。レントゲンだのシンチだの、検査結果が出る前に被爆しそうだと思いました。ひどいときは週単位で血液検査して、腕はあざだらけ。げんなりしていても、やはり紹介されたのでおとなしく検査を受ける、検査を受けて血を抜かれては、精神病にされるけど、精神病って寝たきりになるほど体が悪くなる物なのか、という疑問が出ます。私は何なの。どうしてフツウに生きていられないの、と気落ちして、なにもする気が無く、何を飲んでも目が回るか、戻すか、かゆかゆになるか、眠いのに眠れなかったり、排泄が出来なくなり、眠れなくなり、油の切れた機械のように動きが硬い。そして全身痛い。浮腫む。ベルトコンベアの荷物のように、大量の患者を回し、知らない病気だと断る。そして医師によって判断が違う。自治体も相手にしないし、もう社会からは見だして生きる気力も無くて、死にたいと思っても、死ぬ元気も無かった、今は自己治癒力で動いている、と豪語しています。痛みになれた、重い体になれた、他人にわからなくてもいい、そういう割り切りで、今私は生きています。
私は口出ししない皆様の掲示板。はぁい。私にとっては楽です。私の言葉が欲しい人、私がウザイ人、いろいろだったしなあ。開放感在ります。誰も何も書かなくても、それはそれで私は平気。人気のあるサイト、人気のある掲示板、ランキング、カテゴライズ、苦手でもう、交感神経やらたと高ぶりまくり。出来れば常連さんと、茶飲み友だちみたいに、あることないこと、馬鹿話したいけど、この病気じゃ、スマホは難しいわ、パソも起きているのが苦しいし。いろいろなタイプの書き方でブログを書いているのだけれど、私はマイナーなので「いいね」いらないよー、って公言していて、こっそり見てくれている人もあるみたい。で、ものすごくフィットするコメントをもらうと、元気になっちゃうし、レスも頑張る。ネットって、一時期だけの通り過ぎていくもの、って感じる。実際にながつづきした友だちはいない。一番長いのはげ○ち○むさんだけなの。へへへ。あの頃私は、自分で「ぢい」と名乗り「ぢいさま」と呼ばせていた。元気だったけど、病気の兆候はあったと思う。苦しくてたまらない今も、自分が「難病」だと思い悩むことは無い。もう少し、クスリを忘れても苦しくならなければ最高です。焦っても落ち込んでもしゃーないしね。自分がアグニーニだった頃、ぢいだった頃、比べても今が一番精神が安定しています。もう、過去に趣味にしていたことは創作も含めてひとつも出来ない。出来なくなったことでむしろ気楽になったのかも。追われるように掌編を書いたり、写真を撮って出したり、ガレた山頂へ行くことも無い。絵筆も持ち上がらないし。その悲しさを綴っても、他人には全然わかんない。ブログに書いていた時期もあるけど、見当違いなコメントか宣伝だけ。島崎藤村の評伝も、娘のみどりが七歳で死んだところまでで止まったまま。泣いて画材と過去作を捨てたとき、創作したい自分はいなくなった。掌編も書こうと思えば書けそうだけど、気持ちが死んだ感じ。「便利に使えるトッキー」と相手に思われてしまう時点で、私は楽しさを無くしてしまう。自分が楽しくないとものを書く意味もない。
今日初めて、一日中体を起こしていたました。何年ぶりだろう、ずっと体を起こしているの。「誰か助けて、助けて」としか思い浮かばなかった日々がウソみたい。でも、まるっと八年くらいは寝たり起きたりしていた。耳鳴りはひどいし、目はどんどん白濁して・・・そう、目の手術をした日から、私の気持ちは上向きになっていった。ステロイドの副作用か、単なる歳か、ただの近視乱視で見えないのかと思っていたら、若年性白内障でした。キム・ジョンナムが暗殺されたので、検索すれば日付もわかるのですっ。目が見えると、苦しいことも我慢しやすい。それをツイートしたら「私は目が見えなくてもかまわない」とエアリプした人がいました。「寝たきりになりたい」とも。びっくりしちゃった。私たち、激しく痛む病から抜けたくて、高額医療から気休めまで、なんでも試す。お金の続く限り、少しでも楽になりたがっているのに、「そうなりたい」と思う人がいた、でも、その方は、介護と育児で大変で、しかも手のかかる夫で苦労していました。私が、他の人に比べて割と元気そうと言うか、強気というか、むにゃむにゃなのは、ある意味、自由になれたから。自由も何も、不自由には違いないけれど、家事からは解放されました。そこだけはすごい開放感がございます。家人は、私の代わりに右往左往でやつれました。それでも、うちは買い食い、外食が多いので、それなりにやっていけます。主婦の多くが、夫の期待する「お袋の味」朝ご飯に悩まされるみたいです。自分の子供時代からすると、ずっと贅沢な時代なのだけれども、男性が結婚相手に求めるものは昔風な気がいたします。イマドキは、結婚しない男女が多い。私の知人にも多くいます。古風な「お袋の味」風主婦など、つらいだけだと、知っている人が多くなったのだと思っています。病で家事から解放された私も。
線維筋痛症には、「味覚異常」という項目もあるらしい。以前通っていた診療所のセンセがそう言っていたのを覚えています。私はずっと口の中が苦しいなあ。ぐっと歯をかみしめてしまう。顎関節が疲れている。舌を噛んだり、口内炎が出来たり・・・ピリ辛は口の中が「痛い」ですね。僅かな刺激も強烈に痛い。熱いものも痛い。半端なく痛い。誰か「私も同じ」って人いないかしら。「脊椎関節炎あるある」スレ、作ろうかな。
私が寝込んでいるとき、「誰か使っていますかー」と書き込まれたり、必死でレスしたり更新すると、誰も参加しなかったり。うん。もうマイペースが一番。とにかく痛いの。味もわからない。炊きたてのご飯が、味のないスポンジの感触なの。元々ご飯は好きで無いのでいいんだけれど。甘いものは割と平気。菓子パンばかり食べて高脂血症になってしまいました。
少し動くと疲労がとれない。おもくて、横向きになって背中を丸めるのは良くないと知っていても赤子のようなポーズが楽です。膝と膝があたる、骨が痛い、枕にのっている頭がおもい。横向きだとほっぺが枕につぶれそう。階段を上がれない。ひどいときは、杖をおなかにさして、立ってる。杖が地面にのめり込みそう。風呂には入れない。頑張りゃ出来るけど、頑張りたくない。女のくせに風呂が嫌いなんて。苦しければ「綺麗でいたい」という気持ちも失せる。頭に浮かばないというか・・・誰か助けてって、想っても言っても、誰にも伝わらないのか寂しいの。
知らない人なのに悪口はあかんとわかっていても、難病の奥さんと離婚とか、姑が怒るとか、ひどいひともいるのね。自分の妻でしょ、どうして夫が助けないのかわからないの。「トッキー、トッキーは恵まれているんだよ」と言った難病ピグともさんの言葉が蘇る。うちも、何年経っても家事が上手にならないし、洗濯物には嫌気がさしていて、夫自身も疲れています。でも、家事なんて元々疲れるもので、女ばかりが当たり前だと信じてこなしてきたんだもの。それでも、ウチの夫は、食事は買い食いか外食で、台所に立っても簡単なものだけなので、ご飯を作らないだけ楽かも。妻が大変な病気になっているのに、仕事へ出掛けて金を稼いで欲しがる夫、働かせてやるからには家事は完璧にしろ、うちの母は熱があっても台所にいた、それらのことは、私が実際に本人から訊いたの。オトコって・・・ばか?
やたらとアクセスが多くて、コメントが無いの。割と気楽よ。どこにでも意見してくれて良いのに。ネットとはそういうところなんだ、という経験、多くした方が良いと思います。くよくよして、それから自己正当化して立ち直る。そのあと、冷静になって、次に生かそうとするんです。病気のカミングアウトにはつきもの、「業者」っちゅうやつ。弱い人を叩いて商売、無駄に人生論をぶつひとはいないので、何かを非難する人はそれを弱みにする人につけこむか、自演か、そのほかにやる理由があるのかしら。ホント、皆いやがるのに。私はもう、多くの人で賑わうサイトは目指していないので、きっぱりはっきり主張いたしますよん。
ベンゾ系やリリカ、トラムセット依存を訴える人は多く、私も悩み、心療内科で相談すると、「依存」しなきゃいられない人は、クスリ全般、その他のことでも混合で依存しているそうで、通り一遍に批判できない問題だと習いました。精神科で二年以上、難しい大学で資格を取ったカウンセラー二人、延々と話しました。座っているのが難しくなり、自分が難病であることを知っても、まだ通院していました。医師が難病を「思い込み」だといって怒鳴り、本を机にたたきつける瞬間まで、よ。医師は多くの人を診るので、一々覚えていないと思うけど、怒り爆発でした。カウンセリングの先生は、人生論なんて言わない。ただ相手の話を聞くだけ。話して自分で気がつくまで。そして、ネットにカウンセラーを名乗る人はカウンセラーではないのだと言われました。三年近くでもらった言葉はこれだけ。
私の毒吐きが怖くて掲示板使用者ゼロ?特別毒でも無いんだけれど、ちょっと元貴乃花的な人にはついていけないの。自分らしさは他人に言われてわかるものでなし、自分らしい人生は他人に言われるまでも無い。クスリにリスクはつきものだ。リスクの無いクスリは無い。医師は「インターネットはやめろ」と怒ります。インターネットでアメリカから情報を取れ、と行った医師はいましたが、大抵は、ネットの間違った知識で口答えする患者に困っている医師の立場にことばを選んで悩む・・・そういうこと、病んでいる人は医師のことも見えているんです。そもそも、インターネットなど、多くが戯言で、遊びなのだから、ネット医学など信じる方がアブナイっての。たまにはお医者様の立場になって考えるワタクシ。診察室でネットの知識を披露、医師の逆鱗に触れますよ。
AS、線維筋痛症その他膠原病系統の病気の方は、「着る物」をどうしているんだろう、と気になります。薬が効いていて、比較的元気なときは良いのですが、薬が効かないとき、体調が悪いときは一気に着ている物を負担に感じます。苦しさと共にどんどん脱いでいきますね(笑)下着の締め付け、服の縫い合わせられたロック糸、昨今は一律大量生産なので、体型に合わないことが、そのまま線維筋痛症の症状になりました。やはり何も無いのに突然痛む、というのは私に限ってはなく、服を脱いだら楽になった、多々あります。zozo通販で、体のサイズを読み取り、サイズを選んでくれる、というのは上手いやり方です。ついでに敏感肌用服とか手足が日本人離れした長さのひと用とか、欲しいな。タオルやハンカチだけ肌に優しくても、常に身に纏うものがちくちくざわざしていれば、それだけで交感神経振幅マックス、低反発マットに沈む。
今日、ゆるめのジャージが欲しくて買いに行く予定なんですけど、ピッタリサイズが無いし、試着していると疲れて倒れるんですよ。歩けるのに車いすはウソ、という人は友だちにも居ますが、すぎたがんばり、で、もがき苦しみ、周囲に迷惑をかけるのも考え物で。車いすが唯一使えるチェーン店ですもの、用服を直に見たい、手触りを知りたい。車いすで試着室へ行ける便利な店なので、来てみたいけど、腕を上げて脱ぎ着していると、急激に具合が悪くなるんです。背筋力を使うと耐えられなくなるものと想われ。
以前通っていた診療所の先生は、専門は麻酔科でした。それでクスリのリスクなどにも五月蠅かった。私の病気への理解も泣く「線維筋痛症」にしてしまった。有名先生の本でいうところの「わかんないとなんでも線維筋痛症にする危険」なのでした。「突然八十歳の体を持ってしまったようなものなのだ」とも。そして「ずっと痛み続けるなんてありえん、痛くない時間が絶対あるし、痛みが一生続くなんてあり得ない」とも。そして「似たような人が来てずつとクスリを出していると、『先生、私もう薬いらんわ』と言ってくる。」人の話を信じず自説ぶちまけタイプ。その当時は苦しくてたまらないので反論する元気もありませんでした。今は「センセ、間違っていましたね」と言いたい気分です。
私が病名をもらったのは約八年前です。それ以前から自分は他人より体力が無いし、運動神経も鈍い、病になりやすい、慢性的に痛いところがある、などは、十代の頃からありました。私の生家は核家族でしたが、両親ともに田舎の、昔風の、イマドキから見ればきつい家でした。それでなにとはなく、周囲に痛みや苦しみなどを言わない習慣がついていて、結婚後、とにかく毎日がラクというか、どうにかすると「笑う」ことさえありました。精神科では言われなかったけれど、外科の先生などは「それが原因、精神的なもの」と言いますが、私の世代だと私のような躾を受けた人は多いかとおもわれます。
十年前後前の話になります。線維筋痛症を歯科で治す、というものが「流行って」?いました。上手くいった人には会ったことがありませんが、「治った」という人のブログは見ました。在る地区というか地方というか、では歯科で線維筋痛症を治すと教える歯科医の学校があるそうで、近所の歯科でそのことを知りました。そのとき、「ほんとうに歯科で線維筋痛症の治療」をするのかと驚きました。「症」とは「シンドローム」で病名では無い、だから歯科でも線維筋痛症の治療しても良いんだろうか。「医師免許」とか「法律」について考えて、難しすぎて未だによくわかりません。
その頃知り合った方で、歯科治療法で線維筋痛症か悪化、何百万円もつぎ込んで、身動きできなくなり・・・という話を聞きました。お互い絶不調なので、スカイプのアカウントがあったので、それで話しました。それはその人の苦労なのでここではあまり書けません。とにかく、一部の地域で「線維筋痛症」を歯医者さんが治療することに疑問を感じていました。「歯科で病気を治すって違法っぽいと思わなかったの?」「今思えばその通りだけど当時は必死で、西洋医学にいや気がさしていたので、すがりついてしまった。」ということでした。
IPアドレスで個人特定されるからと、代わりに私がその司会のサイトを見ていました。そしてメールで報告。どうやら「治った」というブログの持ち主は、歯科医の友人らしいのでした。その頃は、多くの人が合宿していたので、患者同士が知り合いだったらしいのです。私はヤフーブログで病気をカミングアウトしたと同時に「AntiN県派」あちらから見れば、こちらがAnti有名大学病院派なのですが、ステハン(用事が済んだら消されるアカウント)で、ものすごく嫌がらせされました。ほかの人には見えない設定で書き込みできるシステムで、自説を熱弁し、私はASではないと書くんです。反論するとアカウントが消えてまた別のステハンで、毎日繰り返されることに疲れました。
それに、線維筋痛症が悪化した人の代わりに、毎日見ていた歯科医のサイトにさりげなく質問を書いていて、その後「線維筋痛症を治療する歯科医」のはずが、別の病名に変わりました。私はブログを引っ越しては、病気のことや趣味のことも書いて、アクセスした人のIPアドレスを検索すると、その歯科医不ログからのアクセスが必ずあるのでした。あら、追われているわ、怪しんでいるなあ、と気づきましたが、もともと誰が見ても良いのがネットの良さなので、あまり気にせず、知り合った人とも自然に離れました。お互いに悪化して、ネットどころでは無くなったのかもしれない・・・
ここ数日調子が悪くて、やはりネットできないんですね、慢性疲労症候群の人が何故か私の書いたことに反論、二ヶ月かかって書いた、という論説、時々あるんですけど、私としては、医学のサイトではないし、異説を主張するためにネットにものを書いているのでは無いので、やたら反論されても、申し訳ないけれど読んでいません。ひとつは、病人が他に目が行かず、必死になった誰への、何の反論か、よくわからない、もうひとつは、私は慢性疲労症候群ではないのでよくわからない・・・ごめんなさい。
今思うのは、歯の治療で、歯をいじると、次の日当たりから、いじった場所から痛み出し、首、肩、と痛みが広がりました。歯医者さんは気を遣ってくださるのですが、どうしても、体調が崩れていきます。
歯の治療で線維筋痛症が治った人のブログで、「楽な格好で寝ていても治らない、着替えてお化粧などして気分を上げると良い」と書いてあったので実行したら、後から倒れました。「私何したのー」と自分でも不思議で、思い当たるのは、「化粧」です。腕を持ち上げて顔にものを塗るわけですから、背筋力も、足の筋肉も使いますね。両手をぶらぶらさせて、地面に対して垂直に、反動なども使って、適度に歩くのと違い、化粧を念入りにすると同じ箇所を酷使してしまうようです。
従って、包丁をにぎり三食作るとか、毎日洗濯物を「ピンチ」または洗濯ばさみで止める、というような作業をすると、利き腕ばかり使いすぎて後から痛み、やがて体全体が痛んできて、痛みが引いた後も、自分の体の重みで動けない、自分なりに理屈をつけるとそうなります。ブログに化粧の話を書いた人は「気持ちの上昇」について言いたかったのでしょう。それに対して異論はありません。
カウンターは、自分でキリ番踏んだりして、2000年問題の時期にネットデビューしたので、カウンターごときに騒ぐのはうんざりなの。更新した文章などの表示を確認しようと、キャッシュではなくリロードしてダウンロードしたものを見るとカウンターの数字が上がるんだもの。掲示板などのCGIは自分で微調整できるけど、カウンターはプロバイダー任せ、よくわからないけれども、カウンターのプログラムをいじると、ホストコンピュータにも影響するそうで・・・
病について書くんだけどいきなりカウンターの話ではじまっちゃった、というのも、私が過去ログ引っ越ししたここは、自分でアクセスを繰り返しても数字が上がらないみたいなのです。過去ログの数が多いので500回くらいはアクセスしていたみたい、でも、この亜空間花は、直にコメント形式で書いているので、そんなに閲覧数があがらないはずなんだけど、今見ると書き込みの数の三倍近くアクセスがあります。
辺境の地で、一般向けでない話を延々と綴るだけなのに、元々の私の読者様か、ツイッターに宣伝しているので、そこからか、案外(失礼)見てくださる人が居るんだなあ、と嬉しかったり怖かったり。タイムライン表示を見る人はそんなにいないと思うけど、私がリアルタイムで書いている時間は、圧倒的に午後でしょ。
暇人のハズなのに、一日中はアクセスしていませんね。難病キャラバン関係の病人は、多くが「朝のこわばり」を経験しています。「朝のこわばり」と名詞化していると、健常者にはよくわからないのだけれども。要するに、朝に限らず、寝起きが苦しい、というか、苦しくて目が覚めるのですわ。寝る前に飲んだ薬の効果が切れるのかもしれないし、単にすっきり目覚めない体質なのかもしれないけれど、「症状」として名詞化されています。仕事に行く人は、フレックスで午後にしてもらう。それでもかなり苦しいのを我慢しているはずです。
私は一時期、眠るとき、「このまま二度と目が覚めなければ良いのに」と強くねがって、寝付くのをイライラしながら待っていました。婉曲な自殺願望かと思われます。サボっているとか、頭がおかしいとか、悲劇のヒロイン、不幸自慢、と内側から、外側から、心ない言葉が飛び交うので、みんな限定公開にしていますね。患者同士、意見の相違でけんかになるらしいし。「らしい」というのは、私自身がけんかしたことは無いので・・・怖いなあと思ったら引っ越しちゃう(笑)
開き直りというか、そもそもネットにもの申すのだから異論があって当たり前、人前に出すのだから考察して当たり前、自分のサイトの責任を持つのは当たり前、という気持ちがあります。一昔前は病気のことをネットに書く人は居なかったんです。匿名掲示板のエサになるだけ。でも、時代は変わったのだから、もう遠慮する必要は無いとおもいます。
資本主義とは、利益の追求ですね。利益で新しい投資をする、そして資産を継いでいく、その過程でもめ事は起きますが、究極は、利益を福祉に使うこと。学校の社会では「資本主義社会」をそう教えるらしいのです。「福祉」というと、左派の思想家と思われがちですが、左派の国、つまり社会主義は極端な「平等社会」です。「平等」の観点から競争意識が働かないので経済の停滞が起きた。現在社会主義国も、社会主義という名の資本主義です。
福祉を受けることも資本主義の経済活動に貢献していると私は考えます。
間質性膀胱炎を併発している人、旧「グルっぽ」ではありませんでした。女性だとたしなみ云々感じて言いづらいものですね。私も以前はそうでしたが、何年も患って、「いつ治るんでしょうか」と掲示板で尋ねられると、形容しがたい痛みを感じました。かなりの怒り。「治る」と思うのか、医師から説明されないのか。
色々とネットで拝見したところ、脊椎関節炎系の病気に間質性膀胱炎を併発している人はいらっしゃるんです。なかには自分で研究して電子書籍にしている人も。これこそ文字通り「売り物になるものは何でも売る」の正しい実例では無いかしら。
間質性膀胱炎と診察が下ったのは、ASと言われたときより数年さかのぼります。そのころは、感染症の膀胱炎と同じ症状で、どこの病院へ行っても「尿検査で菌が出ない」、怒鳴られたこともありました。自分で「菌が出ない 膀胱炎」の文字列で検索し、東海地区で唯一と言われている先生のところを初診で尋ねて、一日中待って、紙コップとメモ帳をいただいて、自宅に戻り、一日に何リットルの尿が出るか記録しました。そして「間質性膀胱炎で間違いない」と宣言された、血液検査とか尿の中の細菌など調べないのです。DoctorShoppingになってしまうところも脊椎関節炎と似ています。
そのとき「膀胱拡張術」の予約をしました。手術では無く「拡張術だ」と言われました。それを施術したとして、良くなる期間は最大三ヶ月とも言われました。それでもこの症状、誰も理解できないし、母のプチ家出に付き合ってカラオケ店へ運転し、母が歌っている間、トイレばかり行きました。「ヒロ、便所ばかり行く」と母が咎めるので、出掛ける前に「間質性膀胱炎だからトイレが近いよ」と言ったのに、とがっくり。親子でも他人のことはわからないのです。「間質性」という単語も知らないだろう。「膀胱炎みたいなものよ」と言っても、「あ~『しょんかちしょんべん』か、わたしもわかいときなったなった」嫌な言い方をするなあ、とおもうけど余計なことは言わない。母は自分の、心身の痛みにしか興味が無いのです。わからないひとに説明する気力も無い。
数日後に、病院から電話で「オペの予約の変更」と連絡が来ました。その時「オペ」の意味がなんとなく「手術」だと判断して、「オペの予約はしたことがありません」と返事しました。そのまま私はその病院で診てもらえなくなりました。オペとは「膀胱拡張術」のことでした。つらくて三ヶ月でも良い、楽になってみたいと期待していたので、納得いかなくて、車中トイレが出来るように携帯トイレをいくつも持参し、遠い隣県の病院まで確認に行きました。確かに拡張術はオペでは無いけれど、事務用語としてオペと呼ぶのだそうです。
ものすごく興奮して怒りが爆発して、どうしたらいいのかわからない・・・その頃はまだ精神科通院だったので、結果を報告したら、先生が「あなたは何もやっても駄目なんですねぇ」と言われました。その後、駄目と言われそうなことは、精神科で極力言わないようにしました。ある日、なんだか私と無関係に思われることで「してはいけない」と言われました。たしかインターネットだと。その時ネットは一切休止していたので、「していない」ことと、「何をやっても駄目」と言われたので駄目で無いように振る舞っている、と返事をしたところ、「何をしても駄目なんて、そんなひどいことは言いません」とのたまわる。自分の発言について何も覚えていない。傷つきました。でもその痛みもみ怒りも向けるところがありません。間質性膀胱炎は、治らない、私の場合は、「手術して膀胱を作るような事態になる前に、寿命が終わるので、治療は必要ない」と専門家の有名先生に言われています。死ぬまでこのつらさは終わらないのだと知りました。
その後、PCが壊れて交換する前のことでした。/のところで以後を消し、エンターを押すと、サイトのホームだけにブロックがかかっている場合、中のフォルダが表示され、仲間内しか見られない治療のノウハウを、意図せず見ることになってしまいました。そこには「報告、膀胱拡張術は、拡張することで、臓器を形作るもの自体を傷つけ、膀胱に繋がる臓器も痛めた症例が出た。」とありました。
今日は通院の日でした。いつも往復だけで疲れて寝込みます。でも、また看護師に「一体どこが痛いの」と訊かれました。何年も何ヶ月も同じことを言う・・・次に行くと、また同じことを言われ同じことを応える。顔や態度に出さない人は、車いすに居ると言うだけでもかなり不審がられる、がんばれる人ほど叩かれる、行くときは、期待しないで薬だけもらえれば良いと思い、帰宅すると怒りを抱えています。後から倒れるとしても、車いすはやめようかと。もともと月に一度のクリニックでしか使わないんです。家の中も、斜面ばかりの田舎の庭も、街も道も、車いすは役立たないのです。段差、少しの傾斜でも低い方へ落ちていくし、自走(自分の手で動かすこと)は難しい、少し動かしたら、次は足で漕ぐようなかんじ、杖は持ちません。手が駄目になる、直立で地面に対して垂直に立っているのが一番ラクです。PCは座ってもバランスが取れていないのか、立ち上がると腰の骨が伸びなくなります。座っていること自体が苦しい。「車いすは目で見て足が使えない人しか使わせない」という空気は痛いですね。
間質性膀胱炎の症状が始めて起きたのは、二十代前半の妊娠中であること、髄膜炎のため半年は治療していたこと、その時背中から背骨をくぐって髄液を採ったこと、以前にシンチで再び髄膜を調べ、注入に三回失敗、麻酔と注射で六回、背骨の飛び出ているところに指したこと、など話してみました。通院何年目だろう。いつも口の中に力が入り、塩味などは痛みしか感じないことも・・・話しても、次に行ったらきっと忘れている・・・
このクリニックを紹介した前のセンセは何を言っても「それは治らん」だったので、その先生を師とする今のセンセもわかんないのかも、と考えていました。怒鳴られたり罵られたりするよりはましだと思って。それに私は、全く申し訳ないことに指定難病の福祉を受けています。体感が安定しないので手帳ももらっているし、子供時代の交通事故で癒えない負傷もあり、「障害基礎年金」もいただいていて、それは、この病名を言われたとき、役所や保健所に相談して、出し得る申請は片っ端から試したら、そこに引っかかっただけです。それでも、なにひとつ受けていない同病の人もあり、かなりの引け目があります。
なにもかもを誰もかもにわかってもらうことは出来ません。私が不当に福祉を受けていると思われるなら、その気持ちを持って自分からダメ元で申請してみる、すべてはそこから始まります。私や同じような補助を受けている人のことをとやかく言う暇があるなら、それで他人をいたぶる元気があるなら、黙って根性論を自分に向けよ。
間質性膀胱炎が併発なら、私はASをすでに発症していたのだそうです。私の「いきつけ」のセンセの意見ですけどね。「間違ったことを吹聴するな、頭おかしいぞ」散々いただいていますからね、ステハンで。私が医療について語ったわけではないので宜しく(一応書いておく
女性の場合、私のように中年になってからの発症というか病名が明らかになるそうです。前のセンセは子供時代の交通事故から、若いときの工場で重労働などを挙げましたが、事故の時からなんともなかったのはおかしいから違う、とか、死ぬ思いをしたのでPTSD、という人もいましたが、男女ともに子供の頃から徐々に悪くなる人もあるそうです。痛めた箇所があるのに、「こんなものだろう」と我慢した、私の場合「誰に言っても叱られる」と思い込んで我慢していた、そういうのは「ある」という見解でした。
男性の方が重篤になる可能性が高いと言う話は前にも書いた気がします。女性の方が体に柔軟性があり、骨が完全にくっついてしまうことが少ないと。一昔前はご高名の医師が「男性しかこの病気にならない」とおっしゃったので、訪れた病院或いは診療所、クリニックなどで見解が違います。
線維筋痛症は女性に多い、と言われていたのが、ブログなど拝見すると男性にも多いなど、まだわからないことが多いようです。それでも、一昔前の通説は覆されつつある、というか医学は進歩している「らしい」のです。これからは「個人クリニックの時代」、患者も選ぶ権利はあると思っております。私は大学病院で悲しい思いをしたので個人クリニック派。
注射針の使い回し予防注射でB型肝炎キャリアになり、年齢を経て発症する人もあるので、子供時代の傷があとからくる、または私のような妊娠中の感染症が徐々に健康を害した、可能性はいくらでもあり、その話をしてみたい気持ちもありますが、まだ、医学ではわからないことが多いかと思います。昨日の報道で「寒暖差」による交感神経と副交感神経の振幅について触れていました。私のブログ「交感神経増幅器」はそこから発想して書きました。こちららからのコピペもありますが・・・目的ははっきりしていて、私の書くことへのこだわりと満足感のためです。自己嫌悪にまみれてシャットアウトしていた過去の自分を解放してやろう、という気持ちもあります。
今年お亡くなりになった、漫画家で小説化のあさぎり夕先生が、本の中で、私もネットにHPを作りました、これで誰も私の書き物を出版してくれなくても、歳を取っても、書くことが出来ます、と書いていらしたのを覚えています。表現をするのは生きることではないでしょうか。
こそっと、トン、トン、トン。
遅くなりました。ちっぷです。
引越し作業、何もお手伝いせず、申し訳ないです。
トッキーさんに助けて貰っているのは、私の方です。
トッキーさんに、このような居場所を作って頂いているのですから。
ちゃんと書き込みができているか、あるいは変なところに書き込んでいるかもしれません。
初めての書き込みはちょっと勇気がいります。
でも、トッキーさんのご苦労に比べれば、ですよね。
改めて、宜しくお願い致します。
ちっぷ
いらっしゃいませ。はーい、過去ログは移動完了なので、もうどこに何を書いても良いですよぉぉぉ
引っ越しはネットの宿命です。超初心者の時、契約したプロバイダーが買収され、借りていた掲示板が突然消え、まあ、その手の話は山ほど、おばんなもので、をほほほほ。
数年にわたり、ちっぷさんには大変にお世話になったというか、勉強になったというか・・・私が無知なのを多くの方は知らないので、結構むつかしい言葉が飛び交って、一時は放置状態に・・・w
私たち「レア病」患者は、生涯レアな症状と向き合うことになりました。もう、拗ねたりイライラしても、あしたはあしたの風が吹く~って開き直りの境地です。トピックありすぎでわかりづらいですが、勝手に書き足し、どこにも意見しちゃってくださひ。
傷みの体もこころにも、時間だけは平らかに過ぎていくぅぅぅ。よろちくっ
トッキーさん、こんにちは、ちっぷです。
寒くなってきましたが、お身体の調子は如何でしょうか。
トッキーさんは変な言い方ですが、完全主義者だと思います。
約10年間に及ぶ大量の書き込みを移動させて、ASの患者さんや親戚の患者の方のために利用できるように、責任をもってなさっているわけですから。
そして、当時の嫌がらせなどの記憶を思い出したりしてまで・・・
トッキーさんのご経験はとても重いものです。私などはそれに便乗しているだけです。
少し前の「寒暖差」の報道の話、トッキーさんのアンテナはとても高いです。私は11月頃、体調が悪かったのですが、その理由(言い訳)の1つに前日と当日の気温差と漠然と思っていました。
しかし、団地住まいなので、外気温が変化しても、室内はそれほど変化しないはずだし、お前は変温動物かと思ったり、いずれにしても医学的根拠はないなぁと思っていました。それでも、たった1度の差が普通の人の10倍にも100倍にも感じるのだと勝手に思っていました。
トッキーさんは、それをいち早くキャッチして発信して下さる。さすがだなぁと思います。
それを知っても朝辛いのは変わらないのだとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、私は少しでもこの病気のことを知りたいと思っています。
自己主張になってしまいました。すみません。
ちっぷ
照れるなあ・・・私は併発した病気から逆算すると30年以上前には発病していたことになります。女性は見つけられづらいレア病なので、最近病名を言われた人も昔からのキャリアと言えます。医学的証明はありません。男性は、私のリア友もそうなのですが、子供の頃からかなり寝込みがちだったそうです。私は運動音痴でしたが、水泳と器械体操は好きでした。そして登山をしていました。登山では3000メートル級だと、激しく気圧が変わるので、一メートル一気圧として、森林限界2400メートルだと、気圧に弱い人は高山病になります。今年は暑さ寒さが激しく入れ替わったので、レア病の人は、バス旅行で山に行ったときのように耳が遠くなったり、やたらと交感神経が高ぶってせっかちに動きたくなるはずです。私もマイルームでエアコン、テレビ、クローゼットの棚まで積まれている本に囲まれて、らくちんなはずなのに、咽がおかしくなりました。テレビのニュースをはしごして、ちょうど寒いと交感神経云々やっていました。森林限界というのはその標高を超えると樹木が育たない境界線です。緯度も関係します。マイルームでは杖も車いすも使わないので、やたらとちらかし、片付けの繰り返しで、極端に調子が狂うと漫画の頁も捲れない激痛です。自分なりに体調が上向きの時は、登山の歩き方ですが、重力に逆らってのぼるわけですので、「重心の傾き」に気をつけます。私が入院しても長く寝込んでも、見た目、楽そうなのはたぶん、常に登山の歩き方をしているからだと勝手に考えています。それはフィギュアスケートのテレビ観戦でも考えます。氷に対してブレードが平らかについたり、左右に傾く。すると体もスピードに合わせて大きく傾け、一蹴りが伸びやかでどんな体勢になっても重心の取り方の上手い人は安定して勝ちます。
自己主張しないでどうするレア病患者頑張らなくとも年は過ぎゆく
短歌風にしてみました。ヘタクソ。
私がこれを書くと「トピック」の一覧に「亜空間花」が上がるので、えっと、匿名掲示板みたいにage、sageと指定できると良いんだけどw ←これわかる人ネット歴がながいか○ちゃんネル用語に精通していることになります。
あ、いや病気について書くのである。失礼しました。私は検査師でも医師でもないのですが、今年終盤の通院から、血液検査の方法が変わっていたので書きます。細かい数字は私もワケワカメなので、どう変わっただけ。以前は「CRPの呪い」と私が呼んでいたものが、「精密CRP検査結果」になりました。すると、CRPが「低い」ので「リウマチ」でもなければ「難病」でも無い、「身体表現性障害」と「怒鳴られ」、古い医師免許年代の先生から「リウマチ」と言われても、「まだ骨が曲がってないから薬は要らない」と言われたとか、いろいろと愚痴っていました。昔はリウマチ、CRPが低くても「リウマチ因子」が高ければ、リウマチでした。現在では、CRPなるものが数値的にボーダーを超えないと精神的な病気にされる確率は高いと思います。
CRPって?と医師に訊いても「炎症」と言われる。コレステロールや血糖値はわかるけど、CRPは私にとって謎の文字。やたらとそればかり言われて、好む好まざるを得ないでDoctorShopping状態。そしてこの言葉も医師の前で使うと怪しまれる。私の初期ブログは「DoctorShopping」という名前でした。本当の意味は、寂しくて医師に頼り、相手にしてもらえるまでクリニックを渡り歩くことです。別に医師の話し相手など望んでいないのに、CRPの数値で相手にしてもらえない、でも体はどんどん悪くなる。これはまさしく「呪い」ですっ。
それが精密になると、私はボーダーラインを超えた数値というか、これ高めだね程度の数値が出たのです。とっても高い値段の自己注射を二年くらいして、それでも高いのだそうです。もしも、CRPが以前の方法であれば、私の呪いは永遠に続いたでしょう。
過去のブログはとくにステハンで異議、もの申す人が多かったのですが、血液検査その他の専門分野の数値、一々「そんなはずはない」「その数字だと正常だ」と書き、ブログ管理人しか見られないような設定で専門知識を披露してくれました。とどめが「私は○○先生の患者だから『正当』なAS」という答えに行き着く・・・
レア病は、単に持病があると言うだけの人です。持病がレアだっただけの普通の人。「選ばれた人」と勘違いしないで欲しい。痛みを抱える人同士が差別する、そのこと自体が卑しい行為です。
まあ、私はあまり血液検査の結果など見ないし、先生がその用紙を示しながら色々と説明してくれるのをぼーっと聞きます。その後、掲示板で質問されたことなどを、自分のことのように言って、答えをもらい、ちらっと用紙の裏にメモ。そして家のパソで返信。この繰り返し。わはははは、「何でも知っているトッキーさん」はこんな人でした-。
皆さん、寒い中、お体の調子はいかがでしょうか。インフルエンザ大流行ですね。私の地区は先日まで全国一の発症率でした。もともと肺結核の発生率も日本一でした。東部は林業、中部は窯業、国道は名古屋から木曽を抜けて松本へ抜ける唯一の道で、トラックが多い。祝祭日は観光客も多い。製紙会社が主要産業の町もあり、大気を汚す大元に住んでいるのかもしれません。住民よりも通り過ぎるヒトと特別天然記念の保護動物の方が多いかと思われます。山奥ですw
このCRPについて、「私の数値は高い」と書いてしまいましたが、違っていました。「少ない」ようです・・・わぁぁぁごめんなさい。
「高感度CRP」は数値の縮尺が違うそうです。数学苦手でよぐわがんねだ。←(方言は可愛いと思っている
私は記録しないし血液検査の結果はまじまじ見ないし、細かい数値を考えるとイライラしてしまい、また細かい数字で、「血液検査でこうだったからあなたは違う」論法で叩かれるのがつらいことでした。
私はリウマチ因子が平均より高いのですが、ASまたは脊椎関節炎で、リウマチ因子が高いとその病気に「当たらない」と言われていました。膠原病系難病、リウマチ系難病でリウマチ因子が高いと病気じゃない、と判定されるのはよくわかりませんでした。電話相談した有名な専門医様は、「あなたの年齢なら、その程度のリウマチ因子の高さはフツウだ」と言われました。
もう過去の、違和感を感じた事柄、ひどいと思った扱いは忘れつつあり、また慣れてしまったカンジです。それでもまだ様々なことにこだわるのは、やっぱり掲示板を見る皆様に少しでもなにかを伝えたい、教えて欲しいから。
インフルエンザは病名がついた以後に罹患しています。年々新型ですね。タミフルを飲んで三日で治りました。今、予防注射するかしないか、考慮中で、じつは製薬会社に問い合わせたのですが、ネットに書くのは待って欲しいとのことでした。すみません。エキセントリックな騒ぎになるといけないのでそれだけです。ごめんなさいぃぃぃぃ
血液検査で言うと、私はリウマチ因子が平均より高い、それだけです。自己注射の回数も数えていないし、「ノート」なるものも最近いただきました。そんなものがあるともしらず、なんで皆、注射の回数に詳しいんだろう、とか、オオボケしてました。血液検査で一喜一憂もしません。そんなもの、気にして結果が変わるわけでなし、私は元々高脂血症的な数字がすごい。平均体重か、それより多少軽めかでずっと生きてきました。従姉妹も、高脂血症とはほど遠いとおもわれるスリムな体で高脂血症だと言われていました。母方は全員そんなカンジです。
血液の数値は、遺伝や体質も関係している、きっちり平均で無いと「駄目」と思うこと自体が、交感神経の振幅を上げるかと考えます。女系の親戚一同、悪玉コレステロール満載の血管を保持して、全員長生きしています。