難病キャラバン

線維筋痛症

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線維筋痛症は、脊椎関節炎に併発するものと習いました。でも、ネットで知り合った人々には慢性疲労症候群に併発するものばかりと思っていた人も居ました。メールで抗議されました。また、線維筋痛症はリウマチ系の難病としてカテゴライズされていると聞きました。一度でも、線維筋痛症という言葉を医師から告げられた経験のある方々、すべての人に、このトピックを開放します。ツイートやラインではログが流れます。掲示板の方が過去ログを読み返しやすく、返信しやすい。また、訪れる専門医によって、受けられる情報も変わりやすいところを、多面的に体験談でまとめられます。痛みの激しい人には、掲示板にものを投稿するのも大変でしょうが、ツイッターやラインでひとりごとしても敷衍の確率は低いと思われます。少しだけ頑張って、ご意見をお願いいたします。

土岐川祐
作成: 2019/01/01 (火) 16:57:07
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土岐川祐 2019/01/01 (火) 17:57:58 修正

2010年頃のつぶやき。身体表現性障害と言われたこと、線維筋痛症と言われたことで混乱していました。整形外科ではリウマチと言われたり。「CRPの呪い」とか、色々書いています。ツイッターの見えない常識が理解できず、戸惑っていた時期です。毒を吐いたり、泣き言だったり。精神科では身体表現性障害、それ以外では線維筋痛症と言われた、今でもいろいろな病気にこの「シンドローム」がくっついていますが、単独の線維筋痛症と診断されたこともあります。今だ治療法は確立されていないと思う。当時は線維筋痛症は健康保険も利かなかったと記憶します。皆併発なのでもう一つの病気で保険適用にしたり。アメーバの「グルっぽ」はどこも荒れていた。この病気はつらい。だから知りたい。真実。

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土岐川祐 2019/01/02 (水) 14:21:07

線維筋痛症は訳のわからない病気です。一晩じゃ誰も書かないですね。信用度もないし。気楽に愚痴っていっていただけるとありがたいのですが・・・私は一応ASですが、自分では線維筋痛症だと思っていました。県外の医師の紹介で県内の医師を梯子する羽目になり、県内では多くの医師が線維筋痛症だと言いました。なので飲んでいる薬も線維筋痛症の薬です。症状も、線維筋痛症だと思っていました。つまりはASと言われて県外に通院していたとき、待合室で書く症状の記録は「脊椎関節炎・線維筋痛症」とひとくくりになっていました。で、ぽろっと慢性疲労症候群を個人で調べている人のブログに、私と症状が似ている、と書いてしまい、大反論のメールが来ました。言い訳しても仕方ないので事実をありのままに、脊椎関節炎には線維筋痛症が併発すると習った、と書いたら、その方のブログは非公開になりました。なんだか私の所為のように感じました。ツイートで知り合った患者さんには、横になれないから積み上げた布団とクッションにもたれて、立ったままの姿勢で眠ると書いていた人もありました。その頃から慢性疲労症候群を筋痛性脳脊髄炎という名前にしよう、という運動がありました。そして、慢性疲労症候群と筋痛性脳脊髄炎を別のものとして捉えているのか、病名が追加されるようになりました。そういうことを細かく追求するのはどっちでもよくて、ただ、こんな症状で苦しんでいる、ってことを書いていただけると嬉しいな。「病院どこですか」はやめてね。理由は、それはネットの常識として、人生の常識として、難病掲示板はスマホに向かって質問する場では無いからです。自説をお持ちの方はそれを書いていただけるとありがたく思います。著作権をお持ちで、掲示板ごときに自説を書きたくない方はスルーの方向で。

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土岐川祐 2019/01/03 (木) 09:49:11 修正

線維筋痛症の原因について、「グルっぽ」では意見を見かけませんでした。手元の資料に医学的説明はあるんですけれども、素人にはよくわからないので、本やブログなどを拝見して目についたことを少し書きます。「間違った情報の宣伝」ではないのでよろしく。

まず病気の区分けから。
アメリカリウマチ学会基準で18カ所の圧痛点のうち11カ所以上に傷みがある・・・ステージ1
手足の指など末梢神経に至り、不眠、不安、うつで日常生活が難しい・・・ステージ2
激しく痛み、爪や髪への刺激、温度、湿度などの刺激で全身傷む・・・ステージ3
痛みのためにほとんど寝たきり・・・ステージ4
膀胱、直腸への障害、口、目の乾き、尿路感染症で日常生活は不可能・・・ステージ5
アメリカ基準ですよー、お間違いなく。

脳内の血流、あるいは脳内物質の何かしらに異常が認められる、というのもアメリカの症例です。

症状について。
四肢の痺れ、四肢のだるさ、冷感、全身のこわばり、肩こり、レイノー、口腔乾燥、眼球乾燥、関節の腫れを自覚する、関節痛・・・ほかにもあるだろうと思われます。

で、これからワタクシごとでございます。私はこれだけ見ると、全部の症状に該当しました。圧痛点もありました。首の骨が竹様・・・とレントゲンでわかって、すぐさま強直性脊椎炎と診断されました。そして紹介状をもらい、県内で医師を探して見つからず、その時、脊椎関節炎どころか線維筋痛症も知られていませんでした。なので二年ほど、線維筋痛症として診療所に通いました。かかりつけのお医者さんとしてなら、薬は出すと、先生がのたまったので。

何を訴えても線維筋痛症で片付きます。ステージ5の自覚があるけれど、見た目は何ともないし、通院時は痛み止めと抗うつ剤と向精神薬を飲んでからタクシーで行きます。運転なんて出来ませんものね。タクシー代がすごいんですけど、私は障害基礎年金をもらい始めていましたので、それでなんとか。

障害基礎年金のトピックはまだありませんのでここで説明すると、「なんだかわからんけど身動きできなくなった」時点で私はまず、市役所の福祉課に電話しました。そして「相談員」さんに来ていただき話したところ、手帳、障害年金、障害基礎年金の申請をしてみよう、となりました。手帳は県内限定で医療費無料、障害年金は、病名に関係なく何らかの障害がある時国から出されるもの、基礎年金は、障害が出たのが未成年の場合、私のように中年になって初めて申請しても、国の基準に引っかかればいただけます。

国の指定難病だけでなく、手帳も年金も、申請して合格?すればもらえます。私の知人には複数の人←これが肝心ね、「あなた」の悪口では無いですよぉ。申請しても無駄、申請したってもらえるのは少額と言いきる人がひとりやふたりじゃ無いんです。「もらえる金が少ない」といっても、6万円くらいはあります!田舎でパートに出てもそんなにもらえません。6万円じゃ暮らせないって言われます。でも、多少の貯金があり、家があり、シングルの人は除外して、家族が働いていれば、そこに6万円足せば、少なくとも、結婚相手や子供に対して、6万円分は自分で出せるよ、という主張が出来ます。まるきり、親や子や結婚相手に出してもらっては肩身が狭くていられない。でも6万円で月一回のタクシー代はでます。

都会から田舎まで、福祉の助成金をいろいろな意味でいやがる向きがありますが、お金もらっているなんて、黙ってりゃわかんないっ。あてもなく自己流で悩むよりは現実的と、割り切れないものでしょうか?

世の中、いろいろな人が居ますので、・・・まあはっきりいって親の年金と親の立てた家をあてに暮らしている人も多いはず。それだけ世の中に低賃金がはびこっている、そのような現実がある限り、本当に苦しくて耐えられないうえに、家族に遠慮しなくちゃならない。

線維筋痛症の症例には、親、祖父母の介護が原因で発症した(と思われる)人もあります。
病院などで既往歴を調べられますね、私の場合、小学生の時の交通事故、妊娠中の髄膜炎、限界集落での冠婚葬祭で長男の嫁として働く、婚家の義父他界のときの責任感にさいなまされたし、世代もあるでしょうが、今の常識から比べたら、とんでもなくいびつな人間関係の中で育ちました。

子供の頃受けた虐待、戦時中のシベリア抑留、という項目も本で見ました。

私に限って考えると、脊椎関節炎のときは誰も認めず、線維筋痛症にされ、その原因はPTSD、ということになったわけです。そして二年ほど薬を飲み続けましたが治らず、再び県外で高額な薬を打つことになりました。生物的なんとか製剤、または免疫なんとか製剤とかバイオとか、いろいろ言われています。定価は7万円で、最初はひと月2本から。年金が足りません。ひと月6万円程度で所得税も引かれています。ところがこの薬は、年齢により、収入により価格が変わります。低賃金のひとは安い、年配の人は安い、もうこの時点でかなりの国の補助を受けていることになります。

以上のことを考えると、ASは免疫の病気、線維筋痛症は脳内物質あるいは精神衛生上の問題で起きる病気と言えます。しかし個人差が大きく、私は尿路の感染はなく、膀胱を形成する組織が損なわれる病気も併発しています。それ以前には、子宮腺筋症(内膜症とは違います)で、子宮、卵巣、卵管を摘出していますし、子供の頃にも、二度ほど(今は病名が違う)腸の手術を受けています。婦人科手術はどちらの病気の原因にも挙げられていて、何とも言えません。女性に多いと言われつづけた線維筋痛症ですが男性の患者も少なからずあるようで、私の持っている資料も古くなりました。今以上に詳しい本は無いのか、医師に聞いてみましたが、「ない」そうです。理由は、「お金がかかるので誰もやらない。」

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土岐川祐 2019/07/20 (土) 21:09:22 修正

今日は線維筋痛症、または一度でもそれと判断された経験を持つ人全員に向けて、自分の気持ちを書きたいと思います。まず、私はASという病名が先にあてがわれ、医療機関を放浪し続けてスッカラカンの貯金とすり減った体をもてあまし、とりあえずASという指定難病を申請して福祉を受けています。そのあたりは「指定難病医療助成」というスレッドに詳しく書いてあります。

未成年時に取り返しのつかない怪我をして大人になっても影響がある場合、申請すれば、障害年金か障害基礎年金も受けられます。私は基礎年金で審査通過いたしました。そしてベッドに貼り付けられたみたいに動けなくて、市の相談員さんに代筆してもらい、手帳もいただきました。

私の場合他にも併発した特定疾患を発症していて、それは大学教授のおっしゃるところ、手術しなければらないほどに悪化する前に寿命が終わるので治療しなくて良い」と言われて、そのまま何の治療もしていません。

子供時代に交通事故にまきこまれはね飛ばされ、その後いろいろな症状が出ても放置しました。当時としては普通のことです。おなかも三回切っているし、妊娠中に感染症で数ヶ月入院もした、あたしってよわすぎじゃん、っと自己嫌悪しています。それでも元気な時代も長くあり、十分に恵まれて生きてきました。

それでも、線維筋痛症はつらい! 病気と認められず精神科通院して悪化するばかり。保険も出ず。向精神薬と抗うつ剤の服用がなければ気が狂っていたかもしれん、と思います。線維筋痛症は「シンドローム」として受け止められ病として受け入れてもらえません。

いつも心苦しく思うのは、単独で線維筋痛症に悩んでいる人に申し訳ないこと。似たような症状で毎日のたうち回っているのに、私は助成を受けていて、それだけでもかなり気持ちが楽になるんです。相反して、見た目が健康そうなので、車椅子を咎められたり、杖も咎められたり、冷房の待合室で関節保護のために付けていた日よけカバーが、スタッフの目にとまり、たまたまレース編みがついていたので「痛いのはレースのちくちくじゃないのぉ~」などと皮肉られると傷つきます。いまどき、百円で花柄のニットが買えるのに、そんなつまんないことで反感を買う。

私の目に見えない苦しみは、もともと何も知らないひとからの反感と同時に、申請して通れば助成を受けられるという中途半端な状態になりました。ターニングポイントは、抗うつ剤と痛み止めの合成薬トラムセットを飲み始めたことと、リウマチ系難病の人が使っている自己注射でした。同病の方々のブログなどを拝見すると、「ものすごく効いた」という意見もあるのですが、私は最初、全然効果が無いと思っていました。

でも、何年も掛けて少しずつ寝たきりの頃より良くなったというか、苦しいことに自分の方で「慣れ」をつくっただけなのか、高い薬なのだから効果が出たと自己暗示を掛けてしまったのか、いまだはっきりしません。今の通院先では私の「線維筋痛症」を否定しています。地元だとどこへ行ってもこれにされるんですけど・・・

私が著しく悪化したとき、偶然にも、同県の若い女の子が線維筋痛症と闘う美少女として地元のテレビに出演していました。彼女は慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)+線維筋痛症でした。モデル、歌、ミスユニバース、と活躍されていて、癌で髪を失った人のために髪の毛を寄付していました。私も見習おうと思い、ひたすら髪を伸ばして32センチ寄付しました。先日その証明所が送られてきて、自己満足なのだろうけれど、純粋に自分のためでないことをひとつ出来た!と、ちょっと気分上昇しました。

同県ご当地タレントになった彼女を知らなければ、私は今もひねくれていた。もちろん親子ほどの年の差なので、彼女のご家族の努力も見逃せません。結婚して子供がいる、夫の家族と同居して「家事をしない」と責められる。難病になったので離婚したという人も多々あるようです。人それぞれの人生ですが、家族が理解してくれるかくれないかは病気の本人にとっては大変な差異です。そこでまたひとつ私は、「ウチの嫁がご飯を作らない」という姑を抱えている人に対し、私ばかり甘えていてゴメン、と感じます。

薬を多めに飲んでいるし、自分の愛車はもう売られて、今在る車は運転の仕方もわからない。高齢者の交通事故報道などが盛んで、こういうとき、強い薬を使っている人が運転して事故を起こしたら問題になる、と思うと外出できなくなりました。バスも電車もない田舎で、送り迎えしてくれる家族がいないと、行動範囲は著しく狭い。つまり自分のベッドと、私の愛する樹木に触れられる庭の往復です。自分の家の敷地から出ないわけです。それでも、「歩ける」「座れる」「家がある」「庭がある」「しかも薔薇を育てている」というのは、それを持たない人にはつらいことのようです。

家族が寄り添い、それなりに努力してお手軽な中古の家を、都会とは比較にならない土地の安さで、すこし年の差のある夫が定年退職して次の職について、収入が激減する前にローンも支払って、今、直しても直してもどこか壊れる家ですが、なんだか比べられやすい。それも私にはつらいことです。

都会の便利さをすべて擲って、閉鎖的な田舎に住む。私は近所づきあいしないし、顔も名前も覚えていません。それどころじや無かったんだもの。十年くらい寝たきりしていたと思うのですが、それがとにかく短く感じられて、そんなに長く寝ていたのか・・・と呆然としています。ただ、体を動かすためと、心の豊かさを維持するためだけに、丁寧に樹木を世話してきました。庭に在ることで、風、光、小鳥の声で天気の変化を察知したり、日照不足で弱った木々に感じるところがあったり。落ち葉、枝ばかりの木々、長く「しみる」冬、ゆっくりすぎる春を楽しむ・・・

私は私なりの楽しみ方でこの十年を乗り切った。一年、一日が、午前午後が、一分一秒が、「祐、あんたは今どう生きているの」と問いかけてきます。

とりあえず減薬が課題ですが、減薬すると症状が出る。薬を飲まないで痛みを我慢する日を作ったとして、気持ちが後ろ向きになるばかり。私は自分に、人様に対して「前向き」を押しつけません。今少しでもさっきより楽しければ良い、みたいな感じです。

病気になると、或いは難病、レア病で福祉を受けると、どこか遠慮する気持ちになってしまいます。他の方の気持ちはわからないけれど、私はそうです。私も元気なときは働いてホームワーカーを長くこなしてきたのです。私も納税者で、消費者で、直接税を大量に支払っている、経済の輪にたよりなくも参加しているのです。

気になってしまうのは、患う人がおしゃれできないこと。なぜか、髪を伸ばして化粧して、レースの服を着て、おしゃれにする、家の中もおしゃれに飾る、庭も可愛くしたいし、自分の心もおしゃれな人になりたいの。容姿や年齢は関係ない。私は綺麗なものが好きです。ときどき医療スタッフに「土岐川さんはおしゃれだからぁ~」と皮肉られる。どうして・・・

しわもしみもある普通のおばんなのに、どうして、と悩みます。この十年で定住したので同級生と会うこともあったのですが、私だけがどこか友だちと違うらしい、でも私の何が友だちと違うのかわかんない! 読書好きだからか、若作りな服のせいか、私の持っている空気感なのか、考えていても仕方ない。

病める女性達よ、もっともっとおしゃれしませんか?

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土岐川祐 2019/07/23 (火) 12:20:23

最初に車椅子を買って八年くらい。自己負担7万円で使える場所のない車椅子を作って六年。実は地元で再来月あたりに説明会があるらしい。そのことで気分は疷飛行です。手帳を申請して断られたり、書き直して出したら通ったりしたことで、県を超えた病院に通院すると、面倒な手続きばかりで、挙げ句、「他県の大学病院を梯子して金儲けしている」ことにされたのでした。当時、ASが東京だけの特定疾患であったことも関係あります。あのごたごたが再び来るなら、もう車椅子要らないって思う。

ASには個人差があり、投薬しながら仕事を持つ人、ちらっとツイッターにASでプロゴルファーという方も。逆に手術したけれど痛みが治まらない人、本当に極端な差があります。私のように地元では線維筋痛症とされて、他県でレア病の治療を受けている人も多いと想われます。

この頃はツイッターに呟くことが多いので、「おすすめ」に慢性疲労症候群の人も上がってきます。線維筋痛症を患う人たちには「脳脊髄液減少症」と診断されている人もいらして、私もナントカシンチ?すでに忘れていますが検査しました。脳髄液は漏れていない。それで線維筋痛症にされたのですが、脳髄液が漏れていなくても慢性疲労症候群の患者さんが居たり…その方達を否定する気持ちはないのですが、相手方が、私の病気の状態を否定する向きがありました。

もちろん、私はステハン、または一時的なアカウントで私に反対する人の気持ちを受け入れているつもりです。ただ、たまたま検査した先で「脳髄液が漏れていないので線維筋痛症」と大学教授に「言われた」というだけなので、私に反論しても無意味かと。

私はそういう悲しみを背負った人にこそ、匿名の匿名でなく、普通の匿名?かハンドルで、書き殴りで消えないで、思うところを教えていただきたいと思っております。

どなただったか、どこかで見たサイトで「慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)」が一番苦しい。寝床から出ることも出来ない、と悲痛な現状を書いていたのを読んで、胸が痛くなり、たぶん死ぬまで覚えているでしょう。

私はネットで自分の病のことは、聞かれれば誰にも話していました。アメーバピグのアバターなどだと、ひとりを相手に説明しても、「ガーデン」なるもの入り口で二頭身アバターが眠っていて、でも私の発言はチェックされていた方もあった模様です。

私が余りに何回も説明したので「不幸自慢」にされましたw パラリンピックの車椅子みたいな形のに乗って走れば良いんじゃない?とか言われてたw

自慢も何も、それが売り物になる不幸なら売るけど、レア病とシンドロームは売れないのよ・・・

見た目は健康な人にしか見えないので、車椅子の助成を受けるか受けないか悩んでいます。実のところ車椅子に座り続けているって。ものすごく苦しいのね。ある程度座る姿勢を維持できる筋力が無いと苦しい。そして自走(自分で車椅子を動かすこと)も難しい。こうしてパソコンの前に座っていても、終わると寝込む・・・

そうした状態を、線維筋痛症その他の重力に押しつぶされて動けない系の患者として、説明会に来て簡単に検査する医師にわかるのでしょうか。私は地元の医師に「まず車椅子から降りて歩け」「手帳は取り上げる」と言われました。田舎の病院かどんどん消えていくイマドキ、通院するために抗うつ剤と痛み止めを使い果たす悪循環。

引っ越してきた町内会も市役所との会話も、私はすべてにあきらめました。今年はわりと庭に出るけれど、過去には「病気で寝たきりと言って町内会に参加しないくせに『いつも』庭に立っている」と班長さんに言われて十年ひきこもりました。

自分の家の敷地でも他人の目に触れるところに出られない。強いストレス。疲労すれば車椅子からもずり落ちるのに、薬が効いて元気のある時間は経って歩ける。そして動き回りまた疲労して倒れる。リクライニングの車椅子があれば、と何度も願いました。リクライニングどころか、ホームセンターの車椅子だって、駅前通りで使うことは出来ません。段差、舗装の立体的模様、老朽化して草の生える歩道、ムリです。

自宅から車椅子のみで移動できるところはありません。前回揉めて何のための車椅子か考えたけど、市役所の偉い人の言うように「障害者も自由に外に出られるような福祉」だとは今も信じられません。バスも駅もない市内の山奥。一番使える感じがしたのは、高速道路のサービスエリアだけでした。

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土岐川祐 2019/09/19 (木) 15:35:24

県外のクリニックに通院していますが、AS専門医なので、県内と今のクリニックを紹介してくださった病院の先生とは診断が違います。私は線維筋痛症を否定されています。そしてなぜか私の夫も診てもらっていて、夫は線維筋痛症と言われました。それは数年前のことで今は、腰痛という病名に・・・通院先で心療内科の紹介状を書いていただき、数ヶ月前から、ASクリニックと同じ日に通院しています。先月でしょうか。思い切って、線維筋痛症を併発する病気について質問しました。お互いに慣れて、通ううちに訊けるタイミングというものがあります。患者の方が詳しいときもあるし、今回は先生が線維筋痛症に否定的だなと感じたのです。それで慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)、脊椎関節炎に限らず、いろいろな病気に線維筋痛症は併発するとのことでした。私は「単独の線維筋痛症」と宣告されたことがあるのですが、多くの人が複数の病気を持ち、線維筋痛症を併発していて、それは医師同士の議論になり、昔から様々な説が言われているが、今も決着はついていない、という趣旨のお話でした。

なんだか絶望的になりそうな話ですが、多くの人が余り馴染みのない病名を持っていて、付随するのが線維筋痛症と考えれば、元になっている病気の治療を続けると、併発する「シンドローム」は収まってくる、と通院先の整形外科では考えているようです。

先日、線維筋痛症の人がテレビ出演なさって、テレビ局側の説明では「一年以内、早期発見ならば治る」と放送していました。長年寝たきりだけれども、そんな話は初耳でした。家の中に居るしかないときも、庭で植物と会話する元気のあるときも、体調は常に不安定で、苦しみを他人に悟られないようにつくり笑顔をするのが精一杯でした。人は病者を嫌うからです。でも、テレビ出演して車椅子から立ち上がるのをカメラの前で見せてくれた人もいらっしゃる。

そこまでがんばれる根性が無いひとが殆どかと推測いたします。なので少し心のアンテナを立てて、テレビ出演する人があれば視聴する。滅多にないけれど特集などがあれば見る。全部が正しいとは思えない筈です、精一杯の心の美しさを見せて、自説にこだわって他人を攻撃しないことも大切かと思います。

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土岐川祐 2019/10/02 (水) 22:20:55 修正 >> 6

とうとう、私も、「慢性疲労症候群のような症状」と心療内科で言われました。慢性疲労症候群と決定したわけではないんですけど、線維筋痛症も慢性疲労症候群も症状は同じ、と先生は思っていらっしゃるようでした。前に訪れ、脳髄液漏れを調べた大学教授に「漏れていないので線維筋痛症」と決められてしまって以来の慢性疲労症候群が出てきました。今私は、自分をレア病としています。強直性脊椎炎のことです。特定疾患なので「レア病」と自己流に名前を付けたのです。他にも指定難病としては「間質性膀胱炎」も患っておりますが、それは放置しています。一つは指定難病は一つしか申告できない。もうひとつは、異変を感じて隣の県の大学病院へ行ったときその診断をもらい、さらに「悪化する前に寿命が終わるので治療は要らない」と言われたことが私に「あきらめ」を強いてきたのでした。今や寝たきりで手帳をいただく身、やたらと県外の病院へ行くと「手帳を使って大学病院を梯子受診して金儲けしている」と怒られます。昔隣県大学病院へ行ったときは普通に三割負担だったんですけど。手帳をもらう頃には「難病」を理由に診察拒否されるので何があっても我慢して、現在の通院先の予約日まで待ちます。昔は単に「鬱病」とされていました。子宮腺筋症の手術をした頃には、家族で入っていた保険の支払いは拒否されました。精神科通院があることが理由でした。

いまさら慢性疲労症候群のような、といわれても、心療内科の先生は、原因不明のシンドロームについて治療する気持ちはありません。随分昔から論議され、いまだに結論が出ていないので対応できないそうです。

今心療内科へ通院しているのは、ベンゾジアゼピン系の薬をやめるというはっきりした私の目標があるから。

デパス、マイスリー、精神科の頃から飲み続け、他にもベンゾ系の薬を何種類も飲んでいました。ある日突然強直性脊椎炎とされ、整形外科にシフトしたので治療法が変わってしまい、反動で余計に苦しくなっていました。巡っていた診療所の一つでベンゾ系の多さを非難されて、その日から薬をやめたところ、のたうち回った挙げ句救急車で運ばれて、難病なのに相談室から話が回らないうちにやってきた、と後にソーシャルワーカーに怒られました。救急の広いスペースで苦しさの余り声も出ず、やっと目を開けて天井を確認し、声を出して自分のことを言ったら、周りには誰ひとりいませんでした。胃薬を点滴されて逆に吐いてしまい、医師に「治療の仕方は?」と聞かれても答えられなかったので放っておかれた模様です。

今、厚生労働省ではベンゾジアゼピンの排斥?方向で激しく動いています。以前使用して効果のあった薬は生産中止になっているものがあります。生産中止になる前に、少しずつ代替えの薬を飲む、という作戦です。

線維筋痛症は「不眠」も症状の一つです。でも今は強直性脊椎炎の治療をしているのです。これが良く成れば他の併発しているシンドロームも治まってくるという方針に文句はありません。他県からの患者に丁寧に対応してくださっている今のクリニックが「最後の砦」だと思って、絶対に文句を付けないようにしています。

線維筋痛症の患者さんが「リリカ」を使っているのを知っていますが、何故か夫婦そろってそれを飲むと吐くのですね・・・同じようにデパスで気持ち悪くなる人もいるようです。ベンゾ系の嫌いな医師の時、トラムセットに少しずつシフトしていくという話があり、最近デパスを減らしてトラムセットを飲むようになりました。ところが・・・

今の先生はトラムセットがお好きでないようです。びっくりするほど楽になるんですけど、それも依存しやすい。そもそも効果のある薬は依存性が高い。では私はどっちに向かって行けばいいのか、いつまでも混乱しています。

記憶の混濁、というのは慢性疲労症候群の症状にありましたし、私は今、記憶がかなり変になっています。味覚異常は線維筋痛症の・・・体にかかる重力が他人の何十杯にも感じるのはいろいろなレア病にある症状。季候が変わるときの耳の敏感、耳鳴り、もしかして単なる老化かもしれん。

注射は毎月、血液検査用のものを四本取られていますw 一度膝が曲がったままになってしまい何か打たれたし、手首の腱鞘炎だと言われてきた痛みにはエコーを当てながら生理食塩水を打たれました。長年通院してひたすら生物製剤と向精神薬をもらってくるだけです。あ、ここ、二、三年はリウマチの薬を打ってもらっています。リウマチの薬が一番効きましたね・・・昔からある古いリウマチの注射なのだそうです。

つまりは、一番最初に訪れた地元の診療所の診断が正しかったのでした。「リウマチ因子が高いからリウマチだけどまだ曲がっていないから薬は要らない」そして他の整形外科を探し、CRPなるものが基準値に届かないのでリウマチではない、ということになりました。関節リウマチも特定疾患ですね。「昔はリウマチを軽く見る医師が多かったからなあ、アンタもいつまでもそれ言うなよ」と今の先生には言われていますが、当時に何年も前のリウマチ手帳をもらって内容は古く、CRPについて質問したら激怒して、バシッと手帳をはたくように奪われて、そんなに言うならよそへ行け」とまで言われたのは一生忘れないと思います。忘れたいけれど忘れられないのよ。

リウマチ、脊椎関節炎、線維筋痛症はすべて「膠原病」にカテゴライズされています。脊椎関節炎の中でも強直性脊椎炎だけが指定難病、関節リウマチも指定難病。時として五分おきにトイレに行くので眠れない「間質性」膀胱炎も指定難病。

訪れたセンセの言うことは一々違うので、病名だけ増えました。病名だけで失望しちゃうのはおかしな事です。そもそも、私はクルマにはね飛ばされたことがある。妊娠中に髄膜炎になり死にそうになったこともある。腎臓は二つあるものだそうですが、私は一つひからびて他の臓器にくっついている。卵巣卵管子宮は施術で取ってしまった。おばんになっても生きてます。おばん故、夫だけが頼りですが、長患いしてしまったのでピリピリしている。家の中の空気が重い。例え家族でも、便利に使えるときしか近寄ってきません。私の痛みだけが私の財産です。(それがめっちゃ痛む病気ばかり次々と発症したのよ・・・

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土岐川祐 2019/12/12 (木) 13:38:23 修正

今年も、というのか、有名人の癌が多くニュースになりましたね。あるタレントさんが助かるんだろうかと思われるようなひどいことになり、手術を経て今はお元気になりつつあるようですね。ブログの情報だけなので本当のところはわかりませんが。この頃やたらとテレビで騒がれ、ブログへの嫌がらせ書き込みも話題になりました。病気の人は、無関係の人から反感を買いやすく、すぐに「不幸自慢」その他いろいろ罵られますし、こういう掲示板を運営しつつ、此処とは無関係の媒体で友だちを作ろうとしては失敗続きでした。
私は年配で、他の人は私よりずっと若く、同世代を求めていたり、私のレア病は知らないので、重病人の友だちからメールで責められたり…その内容が「あの人が一度でも不幸自慢したんですか!」ですってぇぇぇ、サイトの空気感ですぐわかる、ご自身で病名を自己紹介に書いているんです。友だちも病気の友だちに悩むことを書きまくっていたのでむしろ友だち氏のほうが思い切り自意識過剰でしたが…私が言葉で嫌がらせする人だと思われたことがつらかったよ…

病む人は神経質になるし、気持ちもわからんでもないです。世代間の差というか…ラインでグループを作る、そのノリで「公開している」ことを気遣いできず人目を気にしない、そして自分たちだけのノリを誇示する。揉めて当たり前です。

それよりもテレビ出演する「医師」が「リウマチ系の薬を飲んでいると癌になりやすい」と発言しているのを観て、あたしー、当事者やんってかなり退きました。そういうの、全然知らなかった、とほほ。そういえばたら癌の発表をする人も多かったと今更ながら気がつきました。毎月の血液検査で癌の検査もしてくれんのか・・・

やっと本題、十一月十一日(水)の東海地方限定新聞にこんな記事がありました。「M大学『慢性疲労』に道」
というもの。引用すると難しすぎる、長すぎるので、要点だけ書くと「タンパク質に含まれるアクチンが通常の二倍以上多くでている」

細胞生物学の先生たちが研究したのだそうです。この記事の中では「筋痛性脳脊髄炎とも呼ばれ」と書いてありました。「慢性疲労症候群」と言う名前のもたらすイメージ、「サボっている人」認識が、患者さん達に余多くの苦痛をもたらしている現状を鑑みてこれは良いことだと思います。

ウチの地元だけどものすごく遠い大学病院の先生は、テレビで「名前は変わらない」と発言されていたし、私をシンチにかけて「脳髄漏れがないから線維筋痛症」と診断した人です。それを報告したブログにものすごく傷ついて反論してきた人もありました。たぶん、脳髄液漏れがなくても慢性疲労症候群と診断された人かと思います。

いやいや、私も数え切れないほどレア病その他、名前は付けられたので、決して他人様の事を否定はしません。ただそういう意見を突きつけられた、という報告で、私自身もつらかったけど、自分の気持ちは省いただけ。それでも突っかかる人はどんどん出る。敏感になってしまうのです。

私もそういう時期があり、地元のホントに小さい新聞社で、強直性脊椎炎の記事について「HLAーB27」を保有する、とあるのは「断定できない」と電話で言おうとしただけなのに、やたらガードが堅くて、了いには「クレーマーだー」と二回繰り返して電話を切られましたw
相手の言うにはどこかの大手が出した記事を転載しただけなのでしらん、とのことでした。それはそれでやっちゃあかんやろ、とは思いましたとも。でもインタビュー相手は「友の会」会員。今はどうなったかわかりませんが当時は「ヒト白血球抗原」の型について「hlaーB27」を保有している、という伝説があり、レアな病気のステイタスになっていました。

1980年代に、アメリカの学者がそれを発表した翻訳が出たのですね。その本を持って訪れた医師は、名古屋方面有名大学から週に一度出向してきてくださる。私たち白どころかグレーな箱のある無医村状態地方にありがたい方々が、どこの病院にもクリニックにもあるのです。とりあえずその派閥は当時、脊椎関節炎説は全否定していて、大学で教えていなかったのでした。

2015年でしたかねー、数字に弱い史記憶力も無いし…とにかく指定難病医療助成ウチのセンセ読んだら訂正してね。変に窓を出しまくるとpcが壊れる。

十年も病み続けていれば、いろんな病気も併発するだろうし、美容と健康にも悪いし気持ちもギザギザになりがちです。いつまでも過去の医療機関のハラスメントにうじうじ、くどいよ、と自分でも思うのですが、ネットを続けているといろいろな人に出会うので、似たことがあると重ねて悩んでしまいます。

まだ何もわからないか、派閥により意見が違う争いとか、妙に特別感を抱きがちとか、ちょっと「人として」悲しい。優しくなる余裕は出なくても、心の隅に、暖かいものをとどめておきたいのです。

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土岐川祐 2020/11/26 (木) 11:34:31 修正

こちらに書くのは久しぶりかも。ご覧になった方は自由に意見などを書いてくださると嬉しくおもいます。

線維筋痛症で身体が痛くても、ダイエットしたい時ってどんな事してますか?

という質問をツイートで見かけましたので上げてみます。

*服を着ていても、シーツを掛けても痛いとき。
  全部脱いで、寒いときは室温を上げ、暑いときも苦しいですので室温を下げて、ベッドから頭や手足を落として伸ばします。ストレッチと動かすのは別のことで、ダイエットには「動く」。あるいは動かす。頭と手足をなんとか元に戻してから、足首を回す、腕を軽く振る、両足を上げて自転車こぎ。軽めに軽めに。

*関節が部分的に痛いとき。
  まず少しずつ温めて冷えを緩和、その後クリニックで出していただいた塗り薬を塗っています。手首などは一度痛み出すとずっと痛いので、本を捲る、トイレットペーパーをちぎるのが苦しいので、調子が悪いときはあまり手作業をしないで、立つときも座るときも姿勢に気をつけ、手すりのついた階段を三段ぐらい踏み台昇降のように使い、体力を維持します。やり過ぎると一週間くらい動けなくなります。

*頭が痛いとき。
  ロキソニンを飲みます。運動すると逆効果なのでダイエットのことは考えずひたすらリラックス。

*痛みが移動するとき。
  塗り薬などを塗ると別の処に痛みが移動するので、そのたびに別の場所に塗り薬をつけて、肩の力を抜く。少しずつ緩んでくるので、おなかだけを回す、二の腕だけを回すなど、動くところだけ動かす。

*そしてなにより、ダイエットにはバランスの良い食事が大切ですが、台所仕事をすると寝込むので、コンビニの惣菜などを買ってきてもらって用意してもらい、袋入りのソースやドレッシングも手では無理なので、使えるときはハサミ、大抵夫が封を開けてくれます。きゃっ

*ダイエットするぞ、と気合いを入れるより、少しでも余力のあるとき、まめに動き回り、食べ過ぎても苦しさが身にしみるので、常に軽めの食事を心がけています。私の場合、味覚は過敏で顎関節も動きづらく、誤嚥も多いので、ゆっくり、飲み物を摂りながら。

*普段から、無糖の飲み物をちまちまと飲みます。水分を摂って出すことでデトックスになります。無理にガバガバ飲むとケホケホ、オエッとなるので焦らずゆっくり。

*爆発的に痛み出した初期は身動きが取れず、食べることもできず、封を切ることもできなかったので、家人に封を切ってもらって並べたカロリーブロックを三食食べていました。凄く痩せたけど起きると目眩がしましたw