難病キャラバン

亜空間花 / 43

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土岐川祐 2018/11/21 (水) 19:11:04

私は口出ししない皆様の掲示板。はぁい。私にとっては楽です。私の言葉が欲しい人、私がウザイ人、いろいろだったしなあ。開放感在ります。誰も何も書かなくても、それはそれで私は平気。人気のあるサイト、人気のある掲示板、ランキング、カテゴライズ、苦手でもう、交感神経やらたと高ぶりまくり。出来れば常連さんと、茶飲み友だちみたいに、あることないこと、馬鹿話したいけど、この病気じゃ、スマホは難しいわ、パソも起きているのが苦しいし。いろいろなタイプの書き方でブログを書いているのだけれど、私はマイナーなので「いいね」いらないよー、って公言していて、こっそり見てくれている人もあるみたい。で、ものすごくフィットするコメントをもらうと、元気になっちゃうし、レスも頑張る。ネットって、一時期だけの通り過ぎていくもの、って感じる。実際にながつづきした友だちはいない。一番長いのはげ○ち○むさんだけなの。へへへ。あの頃私は、自分で「ぢい」と名乗り「ぢいさま」と呼ばせていた。元気だったけど、病気の兆候はあったと思う。苦しくてたまらない今も、自分が「難病」だと思い悩むことは無い。もう少し、クスリを忘れても苦しくならなければ最高です。焦っても落ち込んでもしゃーないしね。自分がアグニーニだった頃、ぢいだった頃、比べても今が一番精神が安定しています。もう、過去に趣味にしていたことは創作も含めてひとつも出来ない。出来なくなったことでむしろ気楽になったのかも。追われるように掌編を書いたり、写真を撮って出したり、ガレた山頂へ行くことも無い。絵筆も持ち上がらないし。その悲しさを綴っても、他人には全然わかんない。ブログに書いていた時期もあるけど、見当違いなコメントか宣伝だけ。島崎藤村の評伝も、娘のみどりが七歳で死んだところまでで止まったまま。泣いて画材と過去作を捨てたとき、創作したい自分はいなくなった。掌編も書こうと思えば書けそうだけど、気持ちが死んだ感じ。「便利に使えるトッキー」と相手に思われてしまう時点で、私は楽しさを無くしてしまう。自分が楽しくないとものを書く意味もない。

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