本日は2006年に京都大学名誉教授の伊藤清氏が、
第1回ガウス賞を受賞された日であります。
・伊藤清氏は1915年9月7日に三重県員弁郡(現・いなべ市)にお生まれになり、
1938年に東京帝国大学理学部数学科を卒業された後に、
大蔵省に入省され、銀行局に配属されました。
1939年に内閣統計局に配転され、1943年に退官された後に
名古屋帝国大学の助教授に就任されました。
1945年には東京帝国大学より理学博士の学位を取得され、
1952年に名古屋大学を退官された後に、京都大学の教授に就任されました。
1954年から1956年までアメリカプリンストン高等研究所研究員となられ、
1961年から1964年までアメリカのスタンフォード大学の教授を、
1966年から1969年までデンマークのオーフス大学の教授を、
1969年から1975年までアメリカのコーネル大学の教授を、
1976年から1979年まで京都大学数理解析研究所の所長を務められました。
1979年に京都大学退官された後に、学習院大学理学部の教授に就任され、
1985年に学習院大学を退職されました。
2008年11月10日に呼吸器不全により93年の生涯を閉じられました。
伊藤氏の功績の中で最も著名なものといえば、大戦中の1942年に確立された
確率微分方程式で「伊藤の補題」として知られております。
確率積分を計算する上で重要な伊藤氏の公式(伊藤ルール)は
アメリカ科学アカデミーにおいて高く評価されております。
伊藤氏の公式は確率解析学における基本定理で、
確率積分の計算手段を示したものであり、この公式無しでは
確率解析学における計算はほぼ不可能であるとされております。
・ガウス賞は、社会の技術的発展と日常生活に対して
優れた数学的貢献をされた研究者に贈られる賞であります。
4年に1度の国際数学者会議(ICM)の開会式において授与されます。
ドイツの数学者カール・フリードリヒ・ガウス氏の生誕225周年を記念し、
2002年にドイツ数学会と国際数学連合が共同で設けた賞であり、
その名は、一旦は発見されながら見失われてしまった小惑星セレスの軌道を
ガウス氏が1801年に最小二乗法の改良により突き止められ、
小惑星の再発見を成功させた故事に由来しております。
国際数学者会議が他に主催するものとしても有名なフィールズ賞など、
一般に数学の賞は純粋な数学的業績(数学分野への貢献)を評価するのに対し、
ガウス賞はそれが実際に社会的な技術発展など、
数学分野以外に与えた影響や貢献を評価しており、
例えば2006年の第1回の伊藤清氏の受賞理由である確率微分方程式は、
金融工学及び経済学の発展に多大な影響を与えたものであります。
そのため、実社会に広まる時間差を考慮して、フィールズ賞や
ネヴァンリンナ賞に見られる受賞資格の年齢制限は設けられておりません。
ジャパリパークは自然環境に最大限配慮した動物園施設でありますが、
来園者からの入園料などの収入を要する商業施設でもあり、
当然の事ながら経済という側面も切り離せないところであります。
そこには伊藤氏が影響を与えられた経済学も活かされていると思われます。
数学には理論や定理など難しいものが様々ありますが、
それらの多くは私達の日々の生活に繋がっております。
理論などを確立された先人の方々には頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。