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みんみ教徒の集い / 3419

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流浪のみんみ教徒 2022/08/13 (土) 00:03:03 457e0@c8a2d

本日は1926年に東北大学教授の八木秀次氏が、
「八木・宇田アンテナ」の特許を取得された日であります。
・八木秀次氏は電気工学や通信工学を専門とする研究者/教育者で、
 「八木・宇田アンテナ」の発明家でいらっしゃいます。
 1886年1月28日に大阪府にてお生まれになり、北野中学や三高を経られて、
 1909年7月に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業された後に
 仙台高等工業学校電気科講師に就任されました。同年12月に一年志願兵として
 中野電信隊に入営された後、1910年に陸軍工兵軍曹となられ、
 後に仙台高等工業学校電気科教授に就任されました。
 1913年にドイツのドレスデン工科専門大学(現・ドレスデン工科大学)
 に留学され、バルクハウゼン教授に師事されました。
 1914年、スイス滞在中に第一次世界大戦勃発のため
 留学地をイギリスに移され、ユニバーシティカレッジの
 ジョン・アンブローズ・フレミング教授の下で実験研究に従事された後、
 1915年に渡米され、ハーバード大学のジョージ・ワシントン・ピアス教授に
 師事された後に、1916年に帰国されました。
 1919年に東北帝国大学工学部教授に就任された後に
 工学博士の学位を取得され、1924年に東北帝国大学工学部長に就任されました。
 1925年に「八木・宇田アンテナ」の基礎理論を提案され、
 同年12月に指向性短波アンテナの特許を単独名で出願された後に、
 1926年8月13日に「八木・宇田アンテナ」を特許化されました。
 1929年に東北帝国大学工学部長に就任され、
 1931年に大阪帝国大学理学部物理学科の初代主任教授就任の打診を
 一度は断られるも後に諾意され、同年12月に理学部創立委員を受諾されました。
 1932年には大阪帝国大学理学部創立委員が正式に決まって創立委員会が開かれ、
 同年10月に大阪帝国大学教授を兼任されました。
 1934年に大阪帝国大学教授兼東北帝国大学教授として更任され、
 1936年に依願免兼官により東北帝国大学教授を退官された後、
 大阪帝国大学専任となられました。その後、1937年に電気通信学会会長に、
 1939年に大阪帝国大学理学部長に、1940年に電気学会会長に、
 1942年に東京工業大学学長に、1943年に日本音響学会会長に就任され、
 同年10月に興亜工業大学(現・千葉工業大学)の顧問(顧問教授)の
 本多光太郎氏の後任として同大学の相談役に就任されました。
 1944年に内閣技術院総裁に就任された後に、
 1945年1月に宮中講書始にて洋書進講を行われ、
 1946年に大阪帝国大学総長に就任されるも、
 GHQによる公職追放者指定を受けて辞職されました。
 後に日本アマチュア無線連盟会長に就任され、
 1951年に日本学士院会員に選出された後に、
 大阪大学名誉教授や民主社会主義連盟会長に就任されました。
 1952年に八木アンテナ株式会社社長に就任された後に、
 1953年に第3回参議院議員選挙の全国区から
 右派社会党公認で出馬されて51位で補欠当選されました。
 1955年に五島慶太氏の要請で武蔵工業大学(現・東京都市大学)学長に就任され、
 1956年の第4回参議院議員選挙にて落選された後に、
 1957年に日本経営管理士会(現・日本経営管理協会)会長に就任されました。
 1974年に東北大学名誉教授に就任された後、
 1976年1月19日に89年の生涯を閉じられました。
・「八木・宇田アンテナ」は、複数のアンテナ素子(放射素子)を規則的に配列し、
 一定の励振条件で給電するアレイアンテナの一種であり、
 主にテレビ放送、FM放送の受信用やアマチュア無線、
 業務無線の基地局用などに利用されるアンテナであります。
 工学者の宇田新太郎氏の主導的研究により、八木氏との共同で発明されました。
 発明の発端は、当時八木氏と宇田氏が所属されていた
 東北帝国大学工学部電気工学科にて行われていた実験でありました。
 1924年、八木教授指導の元、卒業研究中だった学生の西村雄二氏により、
 種々のコイルを電磁波の中において、その近傍の電磁波強度を、
 今日でいう棒状アンテナに流れる高周波電流値を測定して、
 コイルの形状の変化に伴って測定値がいかに変わるかを調べる実験中に、
 条件によって電流計の針が異常な振れ方をする事が発見されました。
 西村氏の卒業後に八木教授と助手が原因を探求されたところ、
 コイルを金属棒に置き換え電磁波の来る方向においてみると、
 異常な振れはその長さが関係している事が突き止められました。
 これらの結果とその原理を1925年9月に八木教授が、
 西村氏の論文の後につける形で発表されました。
 ここからこのアンテナの基本となる原理が発見され、
 以後は八木教授の原理的解明/発展の指導の下で大学院で研究を続けられていた
 宇田氏の主導的な実験により詳細な解明が進められました。
 これらの原理を発展させてまとめたものを同年12月に八木教授が
 特許として出願され、これとは別に宇田氏も結果を発表され、
 また翌年1月に二氏連名の形で、学士院記事に英文で論文を発表されました。
 1926年3月発表の第一報告から、電気学会誌にて結果を第十一報告まで
 まとめて発表され、また八木教授の単名でイギリスで特許を取得された後、
 その権利をマルコーニ社に譲渡されました。このアンテナ技術は
 第二次大戦時の航空機等に活用され、戦況に大きな影響を与えました。
 後に前述の民間放送分野にて広く用いられ、その後、電気技術史に
 大きな足跡を残すものとして、1995年にIEEEマイルストーンに認定され、
 2016年9月13日には、世界最初の超短波アンテナである事を評価され、
 国立科学博物館の重要科学技術史資料(通称:未来技術遺産)の
 第00210号として登録されました。
ジャパリパークは非常に広大な敷地面積を有する動物園施設であるため、
可能な限り通信環境を充実させているものと想像できます。
パーク内においてテレビ放送を受信しているのかは判然としておりませんが、
受信している場合は八木・宇田アンテナよりも
更に進んだ技術のアンテナが用いられているものと考えられます。
放送技術の進歩に伴ってアンテナ技術も進化していき、
情報の伝達や取得はますます高度かつ容易となる時代が訪れる事でありましょう。
これからの技術の進歩に期待しております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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