本日は地質の日であります。
1876年のこの日に、アメリカの地質学者/鉱山学者の
ベンジャミン・スミス・ライマン氏らが日本初となる
広域的な地質図「日本蝦夷地質要略之図」を作成され、
また、1878年のこの日には地質調査を扱う
「内務省地理局地質課」が設置されるなど、
5月10日は地質に関する出来事が重なった事に因んで、
地質関係の組織や学会が共同で2007年3月13日に制定しております。
地質はその土地の歴史を知る上で非常に重要な記録でもあり、
例年5月10日前後の週には、地質への理解と関心を深める事を目的に、
全国の博物館や大学をはじめとした各研究機関で
地質に関するイベントが開催されております。
ベンジャミン・スミス・ライマン氏はアメリカ合衆国の地質学者/鉱山学者で、
お雇い外国人として日本に招かれた一人でいらっしゃいます。
1835年12月11日、マサチューセッツ州のノーサンプトンにて、
判事である父親と名家の御息女であった母親との間にお生まれになりました。
ハーバード大学を修了後、アメリカ鉄鉱協会会長であった叔父の助手となられ、
鉱山調査に関わられる事となりました。1859年にパリの鉱山学校、
1861年にドイツのフライベルクにあるフライベルク鉱山学校
(現在のフライベルク工科大学)に留学されて鉱山学を学ばれました。
ペンシルベニア州やインドなどでの石油調査を終えられた後の1872年に、
お雇い外国人として北海道庁に勤められていたアメリカの化学者/鉱山技師の
トーマス・アンチセル氏の後任として、開拓使次官の黒田清隆氏との
3年間の契約で開拓使雇となられました。その後、北海道開拓使による招待で
来日され、1876年まで北海道での地質調査に従事されました。
後に工部省の依頼で1876年から1879年の間、
日本各地にて石炭/石油/地質調査にあたられました。
1881年に帰国されるまでに山内徳三郎氏をはじめとした自身の
日本人助手に教育を施されるなど日本の地質学に大きく貢献されました。
帰国後はペンシルベニア州地質調査所次長に就任されました。
1895年に地質調査所を退職された後は、1906年にフィリピンでの
鉱山調査に行く途上にて日本に立ち寄られ、帰路に再びの訪日を
望んでおられましたが赤痢に罹られて訪日が叶わず、1920年8月30日に
ペンシルベニア州チェルトナムにて84年の生涯を閉じられました。
・一般社団法人 日本地質学会は地質学の発展や普及を目指して設立された、
日本の地球諸科学関連学協会の中で最大規模の学会であります。
地質及び地質学に関する様々な活動を行っており、
シンポジウムやパネルディスカッションなどの学術活動、
地質調査研修/地質災害調査/技術者教育などの社会活動、
博物館イベントや地学オリンピックなどの普及教育活動、
出版物の発行など多岐にわたっております。
1893年5月に「東京地質学会」を創立。“地質学雑誌”を創刊。
(The Geological Magazine .
現在はJournal of the Geological Society of Japan)
1934年10月に「日本地質学会」に改称。 1953年に「日本地質学会賞」を創設。
1968年に創立75周年記念討論会論文集として“地質学論集”を創刊。
1992年に欧文誌“The Island Arc”(Blackwell社)を創刊。
1998年に地質学雑誌より分離する形で“日本地質学会News”を創刊。
2008年12月1日に「一般社団法人 日本地質学会」を設立。
2010年5月23日に「任意団体 日本地質学会」を解散し、
任意団体の事業及び財産を一般社団法人に移譲。
2018年に創立125周年。
ジャパリパークは海底火山の噴火によって出現した複数の島を
そのまま利用する形で運営されている動物園施設であり、
その島ごとに大きさや形状はもちろん環境も異なり、
その地質も島ごとに異なっているものと考えられます。
上記の通り、地質はその土地の歴史を知る上で非常に重要な記録であります。
この日を機に、土地について見識を深められるのも良いかもしれません。
本日もお祈りいたします、みんみー。