本日は1876年に上野恩賜公園が開園された日であります。
・上野恩賜公園は東京都台東区にある公園であります。
通称「上野公園」「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地
「上野台」に公園が位置する事から「上野の山」とも呼ばれております。
また、「上野公園」は台東区の町名でもあります。
約53haの面積を有する公園内には多くの文化施設が存在しており、
東京都立恩賜上野動物園をはじめ、動物園の付近には
旧東京音楽学校奏楽堂などの芸術博物館、東京芸術大学、
東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、
東京都立上野高等学校などの教育施設が設置されております。
鶯谷駅方面には徳川家霊廟の歴史的建築などが存在する寛永寺や
東京国立博物館、国際子ども図書館があり、
噴水池周辺には東京都美術館、国立科学博物館があり、
上野駅公園口近くには国立西洋美術館、東京文化会館があります。
更に、京成上野駅そばには上野の森美術館や
西郷隆盛像があり、その西側に桜並木が続いております。
桜並木沿いに清水観音堂(寛永寺)、五条天神社・花園稲荷神社があります。
脇道に逸れると上野東照宮、寛永寺五重塔(東京都所有)があり、
伊豆栄梅川亭、上野精養軒など老舗料理屋があります。
西側に坂を降りると不忍池が広がり、橋を渡った所に
不忍池弁才天(寛永寺:谷中七福神)があります。
池の周りには下町風俗資料館や水上音楽堂が点在しております。
・江戸時代、三代将軍・徳川家光公が江戸城の丑寅(北東)の方角、
すなわち鬼門を封じるためにこの地に東叡山寛永寺を建てられました。
以来、寛永寺は芝の増上寺と並ぶ将軍家の墓所として権勢を誇りましたが、
戊辰戦争では寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が
包囲殲滅したために(上野戦争)伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化しました。
1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察された
オランダ人医師アントニウス・ボードウィン氏(「ボードワン」とも呼ばれる)が、
公園として残すよう日本政府に働きかけられた結果、
1873年に日本初の公園に指定されました。
この事からボードウィン氏は上野公園生みの親と称されております。
その後、2010年度から2015年度までの計画で、
世界に文化と芸術を発信する「文化の森」を創出する事を目的として、
「上野恩賜公園再生整備事業」が行われております。
1625年に東叡山寛永寺が創建。 1631年に五重塔を奉納。
寛永年間に天海氏が京都滋賀の名所を上野に移し替えられ、
水谷伊勢守が不忍池に中島を築かれ、弁天堂を建立。
1666年に柏木大助氏の願い入れで時の鐘が建立。
1698年に根本中堂と玻璃殿が完成。江戸一般市民の花見を許可。
上野山内の管理が大蔵省会計官から東京府に移管。
1699年2月に茶屋の設置を許可。
1868年7月4日に上野戦争により寛永寺伽藍の大部分を焼失。
1870年に文部省が上野山内に大学東校を建設する計画を立案。
1873年に黒門を袴腰から東照宮鳥居脇に移設。
3月に太政官布達第16号により東京府公園に指定。
10月、廃絶していた忍岡稲荷社が花園稲荷として再建。
1875年に上野山内に加え不忍池も公園地に併合。山王台に彰義隊墓碑を建立。
1876年1月に東京府から内務省博物局に移管、博物館所属となる。
4月に上野精養軒が開業。5月に公園が竣工し、開園。
7月に大仏の下に不忍池を一望できる勝覧所を設置。
園内に新聞縦覧所、自働体重計(日本最古の自動販売機)を設置。
1877年に国立科学博物館の前身である教育博物館を竣工。(後の東京芸大の地)
寛永寺本坊跡地にて第1回内国勧業博覧会を開催。
1879年8月、訪日中のグラント将軍と明治天皇のため、
島津忠義公が天覧犬追物を開催。
タイサンボクとローソンヒノキを植樹。
1881年に第2回内国勧業博覧会を開催、閉会後に博物館が使用する前提で
煉瓦造の建物を建設。島津忠義公が2度目の天覧犬追物を開催。
1882年に新橋~上野広小路間に馬車鉄道が開通。
3月20日に国立博物館及び付属動物園が(元寒松院跡の清水谷に)開館。
1884年7月に上野駅駅舎本館が落成。11月に上野共同競馬場が落成。
1887年12月に図面取調掛は東京美術学校と改称し、現在の地に移転。
1890年に公園地が帝室御料地となり宮内省管轄となる。5月に奏楽堂落成。
1898年に西郷隆盛像の除幕式を開催。 1902年3月に帝室博物館の開館式臨幸。
1909年2月に東京帝室博物館表慶館が開館。1914年に東京大正博覧会を開催。
1916年4月に公園南入口にあった三橋を取り壊し、忍川が暗渠となる。
1924年に宮内省から東京市に下賜(払い下げ)、名称を「上野恩賜公園」に変更。
東京市により旧制第二東京市立中学校が開校。
1925年に上野駅に公園口を設置。 1926年5月に東京府美術館が開館。
1927年に上野~浅草間に地下鉄が開通。旧制第二東京市立中学校が
上野公園に住所を持つ東叡山寛永寺護国院から敷地譲受移転。
1930年1月に上野~万世橋間に地下鉄が開通。3月に上野図書館新館が落成。
1931年4月に不忍池ボート場が開場。11月に東京科学博物館が開館。
1932年に国鉄上野駅舎が落成。
1933年12月に京成電鉄上野地下駅が竣工。
京成本線日暮里駅~京成上野駅間に博物館動物園駅が開業。
1946年に戦災者救済会により不忍池(蓮池)の水を落として
水田とされ、「上野田圃」と呼ばれる。
1948年3月に上野鐘声会によって1250本のサクラを植樹。
1952年に上野動物園を拡張。東京科学博物館を廃止、国立科学博物館を設置。
西郷隆盛像下に戦後処理施策として上野百貨店を建設。
1953年に竹の台周辺の整備を開始。4月に水上音楽堂が竣工。
1959年に公園の夜間開放を許可。6月に国立西洋美術館が開館。
1961年4月に東京文化会館が開館。11月に上野精養軒を新築。
上野動物園内に「いそっぷ橋」を設置。
1962年5月に竹の台噴水テラス沈床芝生が完成。
1965年に東照宮が国の重要文化財に指定。
1968年4月に明治100年記念としてサクラを植樹。
1972年4月に上野の森美術館開館。10月に上野動物園にパンダが到着。
1973年に公園指定100周年を記念して、アントニウス・ボードウィン氏の
銅像が建立され、後にボードウィン氏の弟の顔との取り違えが発覚。
1975年9月に東京都美術館新館が開館。1976年7月に京成上野駅改良工事が竣工。
1979年11月に国立西洋美術館新館が開館。1980年10月に下町風俗資料館が開館。
1987年3月に東京芸術大学旧奏楽堂を移築復元。
1988年6月に水上音楽堂を改築竣工。 1997年に博物館動物園駅が営業休止。
1997年12月に国立西洋美術館企画展示館が竣工。
1998年3月に東京芸術大学奏楽堂が竣工。1999年に東京芸術大学美術館が開館。
1999年10月に東京国立博物館平成館が開館。2000年10月に「パンダ橋」が竣工。
2004年に博物館動物園駅が廃止。
2006年にボードウィンの銅像の(正しい顔への)建て替えが完了。
2008年9月に水上音楽堂が改築竣工され、野外ステージに改名。
2012年に「上野恩賜公園再生整備事業」における
「竹の台・文化施設エリア」の再整備工事が完了。
2020年3月にJR上野駅公園口周辺の再整備により、
公園敷地と公園口改札の歩行者空間を一体化。
ジャパリパークは動物園としての主要施設はもちろん、
遊園地や図書館などお客様が楽しめる様々な施設が設置されており、
そして、その広大な敷地は公園としての役割も有しているとも考えられ、
その点では上野恩賜公園に近いと言えるかもしれません。
公園は気軽に自然環境に接する事ができる憩いの場であり、
自然環境が限られている都市部においては殊更重要な場所でもあります。
公園が憩いの場として末永く存在し続けるためにも、
私達の日々の取り組みの積み重ねが重要となるのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。