本日は1965年に競走馬のシンザンが有馬記念を制して、
日本競馬史上初となる五冠馬に輝いた日であります。
・シンザンは1960年代半ばに活躍した競走馬で、
日本競馬史における伝説の名馬のうちの1頭であります。
1961年4月2日に北海道浦河町の松橋吉松牧場で誕生し、
血統名を「松風」と名付けられました。その後、馬主の橋元幸吉氏から
「松風」の名付けを依頼された調教師の武田文吾によって、橋元氏の孫の
栗田伸一氏の一字を取られて「伸山」を由来とする「シンザン」と命名されました。
1963年11月10日に京都競馬場での新馬戦でデビューして初勝利を収めると、
その後の2戦も勝利して1963年シーズンを終えました。
1964年は1月のオープン競走と3月のスプリングステークスを勝利し、
その後に皐月賞を制してクラシック初勝利を獲得しました。
東京優駿(日本ダービー)の前にオープン競走で初の敗北を喫しましたが、
1番人気で出走したダービーを制してクラシック二冠目を達成しました。
その後、菊花賞へ向けて京都競馬場で調整しておりましたが、この年の夏は
40年ぶりの猛暑となり、7月の下旬に重度の夏負けにかかってしまいました。
夏負けの影響から10月に入るまで本格的な調教を行う事ができず、
調整を兼ねてオープン競走に出走するも2着に敗れ、
その後も調子が上がらないまま京都杯も2着に敗れる結果となりました。
11月に入りようやく体調が上向き、菊花賞直前の調教での好内容そのままに
菊花賞を制して、戦後初、セントライト以来23年ぶりの三冠達成となりました。
1965年は蹄が炎症を起こした影響から食欲が低下するなど体調が芳しくなく、
また腰痛を発症していたため天皇賞・春を回避し、
オープン競走2戦を制した後に宝塚記念に出走して勝利を収めました。
この年の夏は前年ほど暑くならなかった事で夏負けを起こす事なく過ごし、
秋のローテーションとして、当初は阪神競馬場のオープン競走への出走後に
関東へ輸送し、オープン競走を経て天皇賞・秋に出走する計画でありましたが、
阪神競馬場のオープンを勝利した直後に東京/中山/阪神の各競馬場にて
馬インフルエンザが蔓延したため競走馬移動禁止令が出され、
禁止解除を待つ間に出走を予定していたオープン競走が行われたため、
やむなく目黒記念への出走が決まりました。このレースでは63kgという
重い斤量が課されましたが、これを克服して勝利を果たしました。
この目黒記念を前に、馬主の橋元氏は武田氏に対し有馬記念を最後に
シンザンを引退させて種牡馬にする事を打診しておりました。
天皇賞・秋は単勝支持率78.3%の圧倒的人気に応えて勝利し、
その後、武田氏は中村広厩舎で催された祝勝会の場で、
シンザンを有馬記念を最後に引退させる事を発表されました。
有馬記念の前走となるオープン競走では2着に敗れる結果となりましたが、
有馬記念では単勝オッズ1.1倍の圧倒的1番人気に加えて人気投票も1位となり、
この時の獲得票数26853票はそれまでの記録を40%以上更新し、
その後もハイセイコーやテンポイントでも破ることはできず、
投票方式が変更された1978年まで破られませんでした。
レース本番では、馬場状態の悪いインコースを走らせるために外へ進路をとって
外側のラチ近くを走行したミハルカスに対して、レースを撮影していた
テレビカメラの視野からシンザンが消えるほど外側を通ってレースを進め、
人気どおりの強さを発揮して有終の美を飾りました。
競走成績19戦15勝、シンザンは伝説的活躍と共にターフを去る事となりました。
引退式は1966年1月9日に東京競馬場で、同月16日に京都競馬場で行われました。
1968年10月13日、京都競馬場にて銅像の除幕式が行われた際に
シンザンはゲストとして京都競馬場に呼ばれて3年ぶりに武田厩舎に戻りました。
栗田騎手は朝の乗り運動で久々に騎乗された他、銅像とも対面されております。
また、シンザンは昼休みにファンの方々に
現役時代より一回り大きくなった姿を披露しております。
引退後は谷川牧場にて繋養されて種牡馬生活を送る事となり、
2年目の産駒から、三嶋牧場で生産されたシングンが1972年の金鯱賞と
朝日チャレンジカップを制して産駒初の重賞制覇となりました。
続く3年目はスガノホマレ、シンザンミサキ、4年目はシルバーランド、
ブルスイショーなど複数の重賞を制する産駒が現れました。
1981年にミナガワマンナが菊花賞で優勝し、
その後にミホシンザンが二冠馬となる活躍を見せました。
ミホシンザンが天皇賞・春を制した1987年に種牡馬を引退し、
最終的に産駒の重賞勝利数は49勝に達しました。
また、1969年~1992年には産駒の24年連続勝利の記録を打ち立て、
これは後にノーザンテーストが更新するまでの日本最長記録でありました。
晩年は幾度となく自力で立つ事ができなくなるなど衰弱が目立つようになり、
1996年7月13日2時頃、老衰により35歳3か月11日の大往生となりました。
これは当時のサラブレッドおよび軽種馬最長寿記録を更新するものでありました。
その後にシンザンの葬儀が行われ、日本の競走馬としては
テンポイント以来となる土葬が行われました。
墓は生まれ故郷である北海道浦河郡浦河町の谷川牧場にあり、
この牧場にはシンザンの銅像も建てられております。
けものフレンズに登場されるサラブレッドのフレンズの皆様は、
走りを含めて身体能力に優れた方々でいらっしゃいます。
その中でも、あおかげ様がみんみ様との競走を前に
何かを思い浮かべておられたような様子でありましたが、
どういったレース等の光景なのか気になるところであります。
今年の有馬記念はシンザンが制した日と同じ12月26日に行われ、
注目すべきメンバーが揃った事で好レースが期待されます。
私が願う事は、心に残るような名勝負はもちろん、
皆様が無事にレースを終えて穏やかに年を越される事であります。
本日もお祈りいたします、みんみー。