本日は宗教家の田中智學氏の誕生日であります。
・田中 智學(ちがく)氏は、第二次大戦前の時代に活躍され、
「日本国体学」を提唱された宗教家でいらっしゃいます。
1861年12月14日(文久元年11月13日)、江戸にて多田玄龍氏と凛子氏の
三男としてお生まれになり、10歳の時に日蓮宗の宗門に入られて
「智學」と名乗られました。1872年から名字と田中とされております。
その後、宗学に疑問を持たれて還俗され、宗門改革を目指されて
1880年に横浜にて「蓮華会」を設立され、その4年後の1884年に
活動拠点を東京へ移されて「蓮華会」を「立正安国会」と改称されました。
1903年11月11日に行われた講演では「皇宗の建国と本化の大教」において
「三綱建国」を詮され、国体開顕について解説されました。
1911年8月3日~23日まで開催された三保での第2回の夏期講習会では、
「日本国体学」について初めて提唱されました。
「日本国体学」とは田中氏が日蓮主義の研究により発得、提唱された学問で、
世間でいう政体や国柄を意味する国体とは異なり「国の精神(こころ)」を、
その精神(こころ)が「国の法」である事を意味する学問であります。
1913年3月11日に機関紙である国柱新聞「神武天皇の建国」にて、
日本建国の主義「道義的世界統一」を意味する
「八紘一宇」について言及されました。「八紘一宇」という言葉は戦後に
軍国主義のスローガンであったかのように言及されましたが、
造語された田中氏は戦争を批判され、死刑廃止も訴えておられます。
1914年にはそれまでの諸団体を統合されて「国柱会」を結成、
日蓮主義運動を展開されて「日本国体学」を創始/推進されました。
1923年11月3日には「日本国体の研究を発表するに就いて」の大宣言を
天業民報紙上に発表され、日蓮主義と国体主義による社会運動を行う事を
目的として「立憲養正會」を創設、総裁に就任されました。
その後の「日本国体学」の推進を中心に様々な活動を行われた後、
1939年11月17日に脳溢血と悪性肺炎により79年の生涯を閉じられました。
田中智學氏が生前に行われてきた様々な活動は、
ご子息やご息女の方々によって現在も継承されております。
みんみ教は慈愛と寛容の象徴であらせられる、
みんみ様を中心とした穏やかな集まりであります。
平和的かつ友好的な雰囲気は確立以降も維持されており、
これまでのコンテンツの浮き沈みの際にも安定した存在として知られております。
現在は無宗教の方々も多くいらっしゃいますが、
それでも宗教は現在においても人々の心の拠り所であります。
宗教はいつの時代においても、平和的かつ友好的で
人々の心に寄り添う存在であってほしいと願っております。
世界にみんみ様の御加護のあらん事を……
本日もお祈りいたします、みんみー。