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みんみ教徒の集い / 3105

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流浪のみんみ教徒 2021/11/19 (金) 00:30:30 修正 457e0@9e154

本日はペレの日であります。
1969年のこの日、「サッカーの神様」と称されるペレ選手が、
キャリア通算1000ゴールの偉業を達成された事に因んで、
所属チームの所在地となるブラジルのサントス市によって
1995年11月19日に制定されました。
・ペレ氏ことエドソン・アランテス・ド・ナシメント氏は、
 アフリカ系ブラジル人の元サッカー選手でいらっしゃいます。
 1940年10月23日、ブラジル南東部のミナスジェライス州の
 トレス・コラソンエスにてお生まれになり、出生と同時期に町に
 電気が敷設された事から、発明王と呼ばれたトーマス・エジソン氏に因んで
 「エドソン(Edson)」と名付けられました。しかし、出生証明書には
 「エジソン(Edison)」と誤って表記されており、
 この誤表記は現在も訂正されていないようであります。
 父親はミナスジェライス州の州都ベロオリゾンテの強豪クラブに
 所属されていた事もあるヘディングの名手でありました。
 「ペレ」の愛称は父親の所属していたサッカークラブのゴールキーパー
 「ビレ(Bilé)」のファンであった事に由来しております。
 当時の本人が幼少であった事や、ミナス・ジェライス訛りもあって
 「B」の発音が出来ず「P」と発音されていた事から、
 いつしかクラスメイトからも「Pelé」と呼ばれるようになりましたが、
 少年時代の本人はこの呼び名を好んでおりませんでした。
 父親の引退によって収入が途絶えて生活に困窮していた時期には、
 靴磨きの仕事で家計を助けておられましたが、その一方で
 ペレ氏は当初は飛行機のパイロットを夢見ておられました。
 しかし、とある出来事をきっかけにパイロットの夢を断念され、
 父親と同じくサッカー選手を志されるようになりました。
 10代の頃にバウル市内外の複数のクラブを渡り歩かれる中で、
 父親の古くからの友人で元ブラジル代表選手のヴァウデマール氏から、
 後のキャリアの礎となる様々な事を学ばれました。
 1956年にサントスFCに入団され、翌年4月に正式契約を結ばれ、
 1958年にはFWのポジションを不動のものとされ、サンパウロ州選手権では
 2年連続得点王を獲得すると共に優勝に貢献され、同年に開催された
 ワールドカップではブラジル代表として初優勝に貢献されました。
 また、この時期は兵役の義務を負わなければならない時期でもあり、
 サントス/ブラジル代表/サンパウロ選抜/兵役で配属された
 沿岸防衛部隊のチームでのプレーと、多忙な日々を送られました。
 その後、ペレ氏の素晴らしい活躍から海外からのオファーもありましたが、
 他の多くの選手と同様にブラジル国内のリーグ戦にてプレーを続けられました。
 所属チームのアフリカ遠征が次々と行われた後の1969年11月19日、
 ペレ氏はマラカナンスタジアムで行われたCRヴァスコ・ダ・ガマ戦にて
 キャリア通算1000ゴールの偉業を達成されました。
 そして、1971年7月18日にマラカナン・スタジアムで行われた
 ユーゴスラビア戦を最後にブラジル代表からの引退を表明されました。
 その後、サントスFCは以前の主力選手達が去られ、
 監督も短期間のうちに次々と入れ代わるなど徐々に衰退していきました。
 ペレ氏は引退後の生活も視野に入れられるようになり、
 1974年10月2日の試合を最後にサントスFCを退団されました。
 翌年、北米サッカーリーグ(NASL)のニューヨーク・コスモスに移籍され、
 1977年には同チームの北米選手権のタイトル獲得に貢献されました。
 そして、同年10月1日にジャイアンツ・スタジアムで行われた
 引退試合をもって現役生活にピリオドを打たれました。
 引退後は芸術面での才能を生かされ、映画に出演をされている一方、
 国際サッカー連盟(FIFA)の大使やフェアプレー委員会の一員として
 広報活動に携わられた他、国際連合児童基金(UNICEF)の親善大使に任命され、
 子供達の基本的権利の保護を訴えたイベントに携わられました。
 また、他にも多くの名誉職に任命された他、1998年にはサッカーにおける
 功績と数々のボランティア活動を讃えられイギリス政府から
 大英帝国勲章を授与されております。2001年のFIFAとUNICEFの
 パートナーシップ締結の際にも、ペレ氏は業務に携わっておられます。
 2010年8月1日、現役時代に在籍されたニューヨーク・コスモスが
 再建される事に伴い、同クラブの名誉会長に就任されております。
 この書き込みの時点においてもご存命のペレ氏は、
 現在でも世界中で「サッカーの王様」として親しまれております。
けものフレンズにおいてサッカーで思い浮場面といえば、
アニメ一期のへいげんちほーの方々かもしれません。
城内にあった毬と城外の大型カラータイヤのある広場を用いて、
ライオン様達とヘラジカ様達が勝負をしておられた際に、
ライオン様が近くを通りかかられたアライグマ様とフェネック様に
パスを頼んでおられました。アライグマ様は空振りされましたが
フェネック様が蹴られてゴールを決められた形となりました。
もちろん、ゴールとは認められませんでしたが。
サッカーの競技人口や、サッカーを主なスポーツとしている国の多さは
皆様ご存知の通りであり、それは正に国を越えたコミュニケーションであります。
スポーツの楽しみに人種や国境など存在しないはずであり、
それこそが世界平和に繋がるものであると私は信じております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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