本日は1922年にエジプト考古学者のハワード・カーター氏が
ツタンカーメン王墓の封印を解かれた日であります。
ハワード・カーター氏は、イギリス・ケンジントン生まれの
エジプト考古学者でいらっしゃいます。
エジプト考古学の大家と呼ばれるフリンダーズ・ピートリー卿の下で学ばれ、
1891年、17歳の時に遺跡発掘現場の助手としてエジプトに渡られました。
イギリスでは高等教育こそ受けられなかったものの、
精緻な模写や考古学への強い情熱によって高い評価を受けられ、
1899年から1903年までの4年間、エジプトの考古局首席監督官
(遺跡監督官)を務められました。30歳の時に遺跡監督官を退かれましたが、
その後も考古学者として活躍されました。その後、イギリス貴族を中心に
遺跡発掘の資金援助を受けられ、1916年からカーナヴォン卿の援助によって
エジプトの王家の谷の発掘調査に着手されました。
そして、援助の契約の最終年となる1922年、
遂に「世紀の発見」と言われる「ツタンカーメン王の墓」をされました。
前述の通りカーター氏は高等教育を受けておられなかったため、
当時の学会においてカーター氏及び自身の成果は低く扱われ、
王墓の発見後もそれは殆ど変わる事はありませんでした。
そして、社会的地位や報酬もその業績に比較すれば低いものでありました。
一方、晩年はお住まいを一等地に建てられ、発掘以前より恵まれた環境で
余裕のある研究生活を送る事ができたとされております。
カーター氏の著書に「ツタンカーメンの墓」などがあります。
1926年、エジプトのムハンマド・アリー朝の第9代君主、
フアード1世からナイル勲章(第三等)を受章されております。
1939年3月2日、64年の生涯を閉じられました。
けものフレンズにおいて遺跡で思い浮かぶ場面といえば、
私はアニメ一期の第四話かもしれません。
ツチノコ様は地下迷宮を主な住まいとしておられますが、
いつ頃その存在を知られたかは明らかになっておりません。
しかし、発見された当時はその構造や規模の大きさに驚かれたかもしれません。
これまで、「歴史に残る発見」と呼ばれるものが幾つもありましたが、
発見される事がなければ現在も謎のままであります。
世の中にはどれほど多くの謎が隠れているのでしょうか?
本日もお祈りいたします、みんみー。