本日は1991年にアルプス山脈の氷河にて、
約5300年前の男性のミイラ「アイスマン」が発見された日であります。
・「アイスマン」は、1991年にオーストリア共和国チロル州に位置する
アルプス山脈の渓谷「エッツタール」(エッツ渓谷)の氷河にて発見された、
約5300年前(紀元前3300年頃)の男性のミイラであります。
エッツタールに因んだ「エッツィ」(Ötzi)の愛称で知られる他、
英語圏では「エッツィ・ジ・アイスマン」(Ötzi the Iceman)、
「ハウスラプヨッホの男」(Man from Hauslabjoch)等とも呼ばれております。
・1991年9月19日、アルプス登山のルートから外れた場所を歩いておられた
ニュルンベルクからの観光客・ジモン夫妻(ヘルムート氏とエリカ氏)が、
溶けた雪の下からミイラ化した遺体を発見されました。
当初、それは通常の遭難者の遺体として処理されておりましたが、
遺体の周囲から見つかった物品が現代では見慣れない物だったため、
司法解剖の前にインスブルック大学の考古学者に紹介されたところ、
これらはヨーロッパの青銅器時代前期の物である事が判明しました。
なお、発見された場所については1991年10月2日に測量が行われ、
オーストリア/イタリア国境からイタリア側へ
92.56m入った場所である事が判明した事によってイタリアに引き渡され、
「アイスマン」はボルツァーノ県立考古学博物館にて公開されております。
・2012年に初めて実施された解凍調査の結果、瞳や髪の色は茶色、
肌の色は白色、身長160cm/体重50kgの筋肉質な体型、
骨からのデータにより年齢47歳前後であると解明されました。
また、腰椎すべり症を患っており、腰痛が持病であったと考えられております。
背後や脚に刺青の跡があり、それが腰痛に効果のある現代のツボの位置と
一致しており、つぼ治療を受けられた痕であると推測されております。
そして、胃の内容物からパンを食べておられた可能性も示唆されております。
この男性は作りかけの弓矢や精錬された銅製の斧を所持しておられ、
特に斧に用いられた銅の純度99.7%は高度な銅の精錬技術を窺わせます。
靴は靴底が丈夫な熊の毛皮で作られ、中には防寒の為の藁を詰めてあり、
革のゲートルも装着されておりました。草を編んで作った服の上に
色違いの革を縦縞模様に継ぎ接いで作られた外套を纏っており、
ベルトにはフリントやスクレイパー、乾燥したキノコなどが入った
小さい袋が装着されておりました。そして、頭には熊の毛皮で作られた
顎紐付きのフードを被っておられたとされております。
・ミイラの基となった男性が亡くなられた理由については、
発見当初は凍死説が長らく有力でありましたが、2001年に行われた
X線撮影調査で左肩に発見された矢尻が要因である可能性が高まりました。
2007年に行われたコンピュータ断層撮影調査においては、
動脈の損傷が詳細に分析された他、右眼窩に骨にまで至る裂傷が認められ、
更に後頭部に即死に至る量の脳内出血の痕跡が発見された事から、
何者かによって矢を放たれた後に側頭部を石などの鈍器で殴打され、
倒れた際に後頭部を強打した事が止めとなった事が推測されました。
どういう経緯でこのような事に至ったかは仮説の域をでないものであり、
実証できる証拠が殆ど存在していないのが実情であります。
・2021年現在もイタリアの南チロル考古学研究所にて調査が続けられており、
「アイスマン」は普段は摂氏-6℃/湿度99%の冷凍庫の中で保管され、
ミイラに水分を補給する為に2ヶ月に1度だけ冷凍庫の外に出されます。
また、同研究所は発見当時の氷の中の「アイスマン」の精巧なレプリカの他、
「アイスマン」の所持品のレプリカと研究の成果を合わせて、
世界各国にて「氷の中からやってきた男」と題した展示会を開催しております。
けものフレンズには、いわゆる「未確認生物(UMA)」や
「伝説上の存在」とされるフレンズの方々がいらっしゃいます。
御神体や元の存在由来の何かがサンドスターの影響を受けられた可能性の他、
フレンズとなられる前の姿として存在しておられた可能性も考えられます。
未知の存在は度々話題に上りますが推測の域を出ない事が多くある一方、
地球や人類の歴史の奥深さを感じさせるのもまた事実であります。
この地球にはどれほどの謎が秘められているのでしょうか?
本日もお祈りいたします、みんみー。