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みんみ教徒の集い / 3015

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流浪のみんみ教徒 2021/09/17 (金) 00:03:03 修正 457e0@9c7df

本日は1920年に、佐伯矩(さいき ただす)氏の私立営養研究所を発展させた
国立栄養研究所(現・「国立健康・栄養研究所」)が設立された日であります。
 国立健康・栄養研究所は、健康と栄養に関する調査研究を行っている機関で、
 健康日本21(第2次)などの国の政策推進に資するため、
 国民健康・栄養調査のデータを活用した研究と情報発信、
 および食事摂取基準や身体活動ガイドラインなどの国のガイドライン策定、
 WHO協力センターとしての国際貢献、「健康食品」の安全性・有効性情報の
 ウェブサイト「HFNet」の公開等を行っております。
 「国民の健康の保持及び増進に関する調査及び研究並びに国民の栄養
  その他国民の食生活に関する調査及び研究等を行うことにより、
  公衆衛生の向上及び増進を図ること」を目的としております。
 1914年、佐伯矩氏が東京芝区白金三光町に
 世界初の栄養学研究機関となる、私立の営養研究所を設立。
 1919年、佐伯氏が国立栄養研究所設立のため衆議院に参考資料を提出し、
 1920年9月17日に「内務省栄養研究所」を開設。
 1938年1月11日、新設された厚生省の管轄下に移り、
 1940年12月4日に公衆衛生院と合併し、「厚生科学研究所国民栄養部」を開設。
 1942年11月1日、「厚生科学研究所」「人口問題研究所」「産業安全研究所」が
 合併して設置された「厚生省研究所」の管轄下に移行。
 1946年5月1日に「厚生省研究所」が解散し、
 再置された「公衆衛生院」の管轄下に移行。
 1947年5月1日に「公衆衛生院」から独立再置され「国立栄養研究所」を開設。
 1989年に現在の「国立健康・栄養研究所」に改称。
 2001年4月に厚生労働省管轄の独立行政法人に移行。
 2015年4月1日に「医薬基盤研究所」と合併し、国立研究開発法人
 「医薬基盤・健康・栄養研究所 国立健康・栄養研究所」を開設。
 2017年3月31日、大阪府摂津市に位置する北大阪健康医療都市(健都)の
 「健都イノベーションパーク」内への全面移転方針を発表。
・佐伯矩氏は「栄養学の父」と称される医学博士であります。
 1876年9月1日に愛媛県新居郡氷見村(現在の西条市)の
 医師の家にお生まれになり、後に生家の跡とりとして
 岡山の第三高等学校医学部(現在の岡山大学医学部)を卒業された後、
 京都帝国大学にて荒木寅三郎氏に師事されて医化学を学ばれました。
 1902年に上京されて内務省伝染病研究所の北里柴三郎教授のもとで
 細菌学と毒素化学を学ばれ、1904年に大根に含まれる消化酵素
 「大根ジアスターゼ」を発見されて学会で発表されました。
 1905年にアメリカのイェール大学大学院に留学され、
 1911年までアメリカ滞在を続けられる間に、アメリカ合衆国政府
 農商務省技師や医科大学講師などを歴任され、栄養問題研究のため
 ヨーロッパ諸国の実情を視察されました。1913年に上京され、
 1914年に東京芝区白金三光町に私立の栄養研究所を設立されました。
 1917年には世界初の栄養学講習会を開催されております。
 1919年に「国立栄養研究所」設立のため衆議院に参考資料を提出され、
 1920年に開設された「内務省栄養研究所」の初代所長に就任されました。
 1921年に「栄養学会」を設立され、1924年に私立の栄養研究所跡に
 世界初の栄養士養成施設である、現在の「佐伯栄養専門学校」を開設されました。
 その後は研究の傍ら、日本や海外での様々な会議や学会等にて講演を行われ、
 1939年に栄養研究所が「厚生科学研究所国民栄養部」となった事により退官され、
 1941年に勲三等旭日中綬章を受章されております。
 1959年11月29日、急性肺炎により73年の生涯を閉じられました。
フレンズの方々の主食であるジャパリまんの開発にあたっては、
栄養学が存分に活かされているものと想像できます。
まして、フレンズ化によってヒトに近い姿となられているとはいえ、
ヒト以外の動物の要素もある程度含まれておりますので、
栄養素の配合等はより一層複雑なものであると考えられます。
栄養はどの生き物にも当てはまる重要な要素であり、
生涯を健やかに過ごすためにも、しっかりと考えたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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