本日はマラソンの日であります。
紀元前450年のこの日、「マラトンの戦い」において
アテナイ・プラタイア連合軍がペルシャ軍を撃退して勝利を収め、
その勝利の知らせを伝えるべく伝令役の兵士が
マラトンからアテネまでの距離をほぼ全速力で走りきられ、
勝利の知らせを伝えると同時に倒れて亡くなられました。
その後、第1回の近代オリンピックが開催されるにあたり、
前述の出来事を偲んで、マラトンからアテネ競技場までの競走が
オリンピック競技に加えられる事になったのが、
マラソン競技の由来とされている事から記念日が制定されました。
・マラトンの戦いは、紀元前490年にギリシアのアッティカ半島東部の
マラトンにて、アテナイ・プラタイア連合軍と
アケメネス朝ペルシャの遠征軍によって行われた戦争であります。
西方への勢力を拡大しつつあったペルシャ王国に対して
ギリシアの都市国家は有効な手を打つ事ができず、
陸軍国スパルタは内紛、海洋国家であるアテナイとアイギナは
ペルシャに対する方針の違いと利権争いで対立を起こす有り様でありました。
ペルシャ軍がマラトンを上陸の地とした理由は諸説ありますが、
ペルシャ軍の動きを察知していたアテナイは10人の将軍を選出し、
プラタイアからの援軍と合流した重装歩兵部隊をマラトンに派遣し、
スパルタにも援軍の使者を出してペルシャ軍との戦いに備えました。
ペルシャ軍は三段櫂船600隻で20000人または26000人の兵力を上陸させ、
対して連合軍はアテナイ兵約9000人/プラタイア兵約600人または1000人の
ほぼ全軍を重装歩兵で固めて中央部と左右両翼からペルシャ軍を包囲しました。
連合軍はペルシャ軍と同じ長さの戦線を確保したために
中央部が手薄でありましたが、ペルシャ軍の戦法を存じておられた
ミルティアデス将軍はペルシャ軍に駆け足で突撃する奇襲戦法を用いられ、
白兵戦に持ち込んだ連合軍は重装歩兵密集陣を駆使して長時間を戦いました。
戦線の拡張に伴って中央部はペルシャ歩兵に押し込まれましたが、
両翼が十分な厚みを持っていたため逆にペルシア軍を敗走させました。
両翼の軍は敗走する敵を追わずに中央部のペルシア軍を包囲して壊滅させ、
撤退するペルシャ軍を追撃した結果、連合軍の勝利が決定的となりました。
なお、スパルタからの増援約2000人がアテナイに到着したのは、
マラトンの戦いが全て終結した後でありました。
この戦いでの勝利の知らせを伝えるべく、兵士のエウクレス氏
(他の伝承ではフェイディピデス氏という説もあり)は完全武装状態のまま
アテネ城門までの約36.75kmの距離をほぼ全速力で走りきられ、
「我ら勝てり」とエウアンゲリオン(良い知らせ・福音)を告げられると同時に
そのまま倒れて亡くなられてしまいました。
後の時代に行われた第1回の近代オリンピックでは、
このエピソードを基としたアテナイ~マラトン間の走行競技が行われ、
これがマラソン競技の始まりとされております。
・また、マラトンでの勝利はアテナイに大きな自信を与え、
特にマラトンで戦った市民軍はマラトーノマカイと呼ばれて
アテナイ戦士像の理想となり、古典期の陶芸芸術に影響を及ぼしております。
けものフレンズに登場されるフレンズの方々の中には、
長距離を走る事を得意とされる方々がいらっしゃいます。
元の動物で考えれば肉食動物であれば狩りを成功させるために、
草食動物であれば天敵から逃げ切るために必要な能力であり、
その高い能力はフレンズの方々にそのまま備わっております。
もっとも、フレンズとなられてからは捕食関係が失われているので、
こういった能力は単純に特技の一つとして認識されているものと思われます。
マラソンといえば、今年行われた東京オリンピックにおいても競技が行われ、
非常に暑い環境の中で選手の方々による熱い戦いが繰り広げられました。
長距離を走る事は身体に非常に大きな負担がかかります。
行われる際には環境や体調などに充分お気をつけ下さい。
本日もお祈りいたします、みんみー。