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みんみ教徒の集い / 3008

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3008
流浪のみんみ教徒 2021/09/10 (金) 07:03:03 修正 457e0@fe706

本日はカラーテレビの日であります。
1960年のこの日に、カラーテレビの本放送がNHK(東京・大阪)/
日本テレビ/ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)/読売テレビ/
朝日放送(現:朝日放送テレビ)で開始された事に因んで制定されました。
・カラーで画像を送る発想は、1928年にイギリスのJ・L・ベアード氏が
 三重スパイラルニポー円盤を使用して行った試みが最初であり、
 翌年にアメリカのベル研究所で飛点走査方式による実験が行われました。
 ブラウン管を使った実用的カラーテレビ方式の実験は、1940年に行われた
 アメリカのコロンビア放送による「CBS方式」の実験が最初であります。
 第二次大戦の戦時中は中断されましたが戦後に再開され、
 1950年に一度はCBS方式がアメリカのカラーテレビ放送の標準方式として
 FCC(連邦通信委員会)に採用されましたが、RCAを中心とする
 アメリカ電子工業会では従来のモノクロテレビではCBS方式が
 全く受像できない事を理由に反対し、全米テレビジョン方式委員会
 (NTSC:National Television System Committee)を組織して
 全電子方式を開発して1953年に公表し、同年FCCは「NTSC方式」を
 標準方式として採用し、日本でも1960年にこの方式の採用が決定されました。
 (他の方式には、ヨーロッパで採用されるPAL方式や
  フランスやロシアで採用されるSECAM方式があります。)
 世界初のカラー本放送は1954年1月23日に放送を開始した
 アメリカのNBCのニューヨーク局であるWNBC局が最初であり、
 日本では1960年9月10日にカラー本放送が開始されました。
 ただし、この後すぐにカラーテレビが広まったわけではなく、
 アメリカでも1965年4月の時点でカラーテレビの保有率は
 モノクロテレビの1割にも満たない状態であり、
 普及が活発化したのは同年の後半になってからでありました。
 日本では更に遅く、1965年の時点でもカラーテレビの全国台数は5万台以下で、
 カラー番組の週間合計時間は東京の4社を合わせても少ない状況でしたが、
 1964年の東京オリンピックを契機に日本電信電話公社(現:NTT)の
 国内中継路線のカラー規格化が行われ、撮影方法・テレビ本体の双方で
 画質の改善等も行われた結果、テレビの生産台数も急激に伸び始めました。
 1968年4月からNHKがラジオ契約を廃止してカラー契約を創設した事によって、
 カラー放送を大幅に増やした事などからカラーテレビの普及が促進され、
 1968年頃から1970年代にかけてメーカー各社から高性能のテレビが出揃い、
 それと同時に大量生産による値下がりによって爆発的に普及し、
 1973年にはカラーテレビの普及率がモノクロテレビを上回りました。
 1969年には日本が世界での生産数で首位となったものの、
 1970年に日本国外において国内よりも廉価で販売していたため、
 アメリカ政府からダンピング認定を受けた結果、同年に日本国内において
 消費者団体によりカラーテレビ買い控え運動を推奨され、
 各メーカーは国内での販売価格の値下げを余儀なくされました。
 その後は日本国外への工場移転が進み、
 日本国内での生産は薄型テレビへとシフトしていきました。
けものフレンズにおいてカラー放送はもちろんアニメ版でありますが、
そういった方面以外で思い浮かぶものといえば、
日清食品とのコラボレーション作品「ふっくら」かもしれません。
ゆきやまちほーの温泉宿の一室には課金方式のテレビが置かれており、
カップ麺「どん兵衛」の作り方について、アフリカオオコノハズク様と
ワシミミズク様から依頼を受けられたギンギツネ様とキタキツネ様が、
テレビに映し出された「どん兵衛」のCM映像を参考にしておられました。
インターネットが普及して久しい世の中でありますが、
現在でもテレビは一定の影響力を持つメディアであると言えます。
テレビというメディアが今後どうなるかは未知数でありますが、
この先も素晴らしい発見をもたらしてくれる事を期待しております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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