わたしがキモいと言ったのは、かなめさんに対してではなくて、その考え方に対してです
たしかに、あなたの言うとおり、言語の機能を社会的・公共的な規則に還元したり、それに準ずるものの中で収めようとすることは理想かもしれません
しかし、その結果、元来この界隈が大切にしてきたアングラな雰囲気が薄れてしまいませんか?
たとえば、ここのシンボル。
白いうさぎさんなんて、どこがアングラなんですか?
むしろ、アンチテーゼな気さえします
武将が、戦場の中で、褒めあって作ってきた歴史なんて見たくないじゃないですか
殺伐のなかを生きてきたからこそ、うつくしいんじゃないですか
わたしは、そんな書物のなかの喧嘩が好きなんです
つまり、リスペクトです
でも、この文化を、その中に、どう残していくかという難題に立ち向かうのが、喧嘩師の究極の命題だとも思います
まるで、江戸時代の侍のように--
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--侍といえば、江戸時代以前、特に戦国時代以前は、源氏や平氏といった貴族以外は、ならず者だったみたいです
という話を教科書などで見ることがありますよね
たとえば、ヤンキーの兄ちゃんが、とつぜん市長になったり、総理大臣になったらどうでしょう
…SNSが荒れそうですよね
そんな感じで、みんな、恐怖だったのです
しかし、そんな武士たちも、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代を経て、立派な人物として歴史に名を残すようになりました
士族という立派な身分がありますよね
さて、今、喧嘩師と聞いて何を思い浮かべるでしょう?
士族です?武将です?
いいえ、ならず者です
今からtwitterで同じことをしてみたらわかります
おそらくブロックされて終わりでしょう
…だって、あぶない人なんですから
ところで、武将たちは、自分たちが認められるために何をしていたかご存知でしょうか?
この前の大河ドラマでもやってましたが、彼らは、貴族文化を習っていました
具体的には、和歌・蹴鞠です
貴族に好かれることで、安心してもらおうとしたのです
…ならば、わたしたちのすべきこともおのずと見えてくるのではないでしょうか?
たとえば、芥川龍之介の『文芸的な、余りに文芸的な』という評論は、谷崎潤一郎との論争が見どころだと言われます
でも、われわれの論争のように、ブロックされるような印象はないですよね
むしろ、立派な文学作品です
わたしたちも文章家のはずです
あなた方の文章は文学作品といえますか?
>「自身がそれに拘泥しなければいいのです」
これは、あるセンパイが遺した言葉です
他人になにを言われても、自分がそれを気にしないなら、それは我を通していることにはなりませんか?
…おわりになりますが、多様性が認められていくなかで、ある表現が死んでいく昨今、なにかジレンマを抱えている気がしてなりません
はたして、それはほんとうに多様性なのでしょうか
ただ、多様性というひとつの正論を否定できてないだけではないでしょうか…
P.S.
長くなってもうしわけありません…
無視してたわけじゃないんだけど、なごむの話は言うなればフェーズ5だったので>> 24までの工程を踏ませてもらいました。
まずそのアングラな雰囲気から片付けさせてもらうと、具体的にはサイトの配色だったり、そこで行われるごっこ全開の言葉の組み合わせ方のことだよね。
なぜ10年より前の時代でそれが流行ったか。
今ではまったくと言っていいほど見られなくなったよね。
これはインターネットの歴史と密接に関わっていて、当時、電子上に文字を表示させるということ自体極めて革新的なことだったわけだ。
ある意味制限された環境だからこそ、アスキーアートが生まれ、独自のネットスラングが生まれた、という背景がある。
喧嘩界もその影響を多分に受けていた、というだけの話であって、それがあたりまえになると今度は適切な形に収束していくのが世の常だよね。
ガラケーでいろんなキャリアが競ってたと思いきや、今じゃ携帯はほとんどスマホ、とりわけiPhoneで統一されている。
それと同じことで、文字への価値も最適化されていったわけだよ。
ごく一部の古参はそういう文化に未だ何らかの可能性を見出そうとしてるのかもしれないけど、俺個人としてはマジで時代遅れっていうかもうそんなのどうでもいい次元まできてるって認識だ。
白うさぎについては、そもそも初期設定がうさぎのアイコンだったというのもあるけど、正直黒うさぎへのアンチテーゼとしての意味は最初から持たせてある。
一生気付かれないと思ったけどまさかそんなところまで拾ってくれるとは感動したぞ…。
喧嘩界の歴史上、すげえと思われている喧嘩師のレベルはとっくに超えている。
はっきり言って今の喧嘩界の水準は、全盛期より上なはず。
ここができてからネット喧嘩もそれなりに最適化されたってことだよ。
じゃなきゃお前らはこの一見意味不明なトピックに取り合えない。
最初は元のレベルにまで戻そうって感じだったけど、気がついたらくるとこまできちゃってるし、開設当初はこんな話ができるなんて思いもしなかった。
喧嘩界を利用してくれている人たちには感謝している。
江戸時代の侍が、その後刀を必要としなくなったように、侍という文化が消えていったように、喧嘩師と呼ばれる人たちも何か別のものに変わっていくのかな、と思う。
その中でなごむが絶えず刀を使うのもありでしょうよ。
ただそれはお前個人の問題であって、変わりゆく時代に強制させるものではないよね。
現に俺とお前の対話はこうして成り立っているし、そこには共通の享楽が存在していると言っていいだろう。
それをなんと呼ぶか、それを行う人たちをなんと名付けるか、なんて大した問題じゃないと思うよ。
一般的な認識で言うなら、ただただウザい人でしかないだろうね。
でも、絡み方やある程度相手を選べば、十分ここで行われている喧嘩のようなやりとりも外部の人たちと行うことはできるよ。
というか俺は何度もそれをやってる。
相手が喧嘩と認識してなくても俺にとっては喧嘩ってことは過去に多々あったよ。
今はこうしてここに集ってくれてる人たちがいるから、別に外へ出向こうとは思わないけどね。
>> 16は本当に優秀としか言いようがないよ。
立派な文学作品ってのはまさにその通りで、要は「何らかの価値のあるテキスト」ってことだよね。
もちろん俺たちは物書きと言えどもそれをここで生業としているわけではない。
金銭が発生するなんてことはないし、どこまでいっても「趣味」や「遊び」、「暇つぶし」の枠ではあるけど、少なからずそれらを満たすことができる程度の価値は与えたいという一心で俺は書いてる。
それで十分じゃないかな?
それはただの自己中としか思わんけどね。
極めて主観的な視野しか持とうとしない奴にはお前がそれでいいんならいいんじゃないとしか言えんわ。
我にこだわることと、我を通すことはまた微妙に違うと思うけど。
ある表現が死ぬことによる問題ってある?
喧嘩界における多様性について正論か否か語ることになんの意味があるのかわからない。
重要なのは自分たちがしたい喧嘩ができるかどうかで、その目的にあたって適者生存できるかどうかじゃない?
どっちが勝ってもいいようなくだらない弱肉強食の成れの果てを知らないわけじゃないよね。
>> 25
言葉の生かし合いを本当の意味でするならーー
多様性という名前で、適切な形に収束していく中で、昔の文化・表現そのものが時代遅れだとして見捨てられていくのは哀しいことだと思いませんか?
ーー言葉の殺し合いだって、活かす環境を作っていくのが
わたしが相対した時のセンパイはスーツ姿です
でも、わたしたちが、ほんとうに憧れたのは書物のなかの、鎧をつけたセンパイなんです
…おいてけぼりなんて、悲しいじゃないですか
こんなことは、一般には関係のないことです
でも、喧嘩師にとっては、大きな価値だと思うのです
まったく思わない。
そんな時代もあったなぁ、で終わり。
ローカル便器でしか容認されないクソの投げ合いという思い出作りは十分すぎるほどやったと思うよ。
ちゃんとウンコを鷲掴みにして豪速球で投げられることの証明を行ったうえでこの話をすることに意味があるんだよ。
草野球すらやったことのない奴がバットの振り方について語ってたら滑稽でしかないし、どの口が何を言うかが肝心だろ。
原点回帰させてもらうと、喧嘩はあくまで自由。
どの文化も最初は手取り足取りから始まって、次第に様式化されていく。
自然なことだよ。
このやり方が一番だと思っても、またそれを上回るやり方が出てくる。
ずっとそんなことを繰り返していくうちに文章や表現の定石が出来上がっていく。
格闘技でも構え方はみんな大体同じ。
格闘家がそれまでに積み上げてきた歴史があの形を生み出した。
自由を有効活用することは自由で在り続けることではなく、自由によってより良い価値を規定すること。
法律も数多くの先人が意見を出し合うことで体系化され、時にはその内容を変えたりしてきたわけだけど、喧嘩もそれと同じ。
そろそろ古臭い喧嘩観を更新してもいいのでは。
なごむはこの数年でありえないほど化けてるけど、それはセンパイ方の影響を受けてるからだよね。
今のお前はあのセンパイにそっくりだし、そのスタイルを模倣するということ自体収束に向かってるようなもんじゃない?
なんたって彼の一番の作品は、彼のやってきたことを「すごい」と思っている人たちの価値観を全否定したことでしょう。
俺たちはとっくの昔に置いてけぼりを食らって見捨てられている。
レベル高すぎて反応できねえ奴ばっかだとそりゃつまらんわな。
それ以上の価値ってのを喧嘩界には見出せなくなる。
必然的に優秀な奴らは消えていく。
だから俺はこの環境では優秀なユーザーを最優先に考える。
当然、話についてこられない奴らが今度は排除されていくだろうが、シーンはどんどん小さくなればいいと思ってるし、そうじゃなきゃ界隈の水準は上がらない。
そして今、喧嘩師でありながら喧嘩に喧嘩を売るといういつかのセンパイがやって見せたことを、今度は俺が逃げずに決着をつけてやろうって話だ。
「ーー」じゃなくて「──」。
こんなことは、一般には関係のないことかもしれない。
でも、物書きにとっては、大きな違いだと思う。
>> 30
…けっきょく、言葉の潰し合いじゃないですか
かなめさんが日本刀、髷を認めていたとしても、環境が変わってしまえば、死んでいくんです
喧嘩界は、そうやって、やり方を一新してきたんだと思います
一方で、言葉の活かし合いという新しい道を見せてくれたのも、あなたじゃないですか
喧嘩師 が知りたいのは、古臭いやり方も生きる方法です
ダッシュではないです…
古武道が今でも残っているように、けっして古いやり方を一新する必要はないと思うんです
わたしは、あなたの理屈の、ひとつの方法を見せたつもりです
次は、センパイの番ではないでしょうか?
古武道続ければいいじゃない。
誰も止めないよ。
一新する必要があるかどうかは各々が決めればいいのでは?
詠み人の言葉を借りればそれもひっくるめた多様性でしょ。
喧嘩師にとってのラスボスは「喧嘩そのもの」だと考えてるけど、今まで倒した奴見たことねーぞ。
自分の身にまとった鎧に喧嘩売るわけだから、自己否定になりかねないわけだけど、鎧だけ外して生身は平気です、なんてこともできちゃうわけだよね。
それによって鎧そのものが批判されることはなくなる。
陳腐な仮装パーティーとバカにされたくなかったらえなこ様のクオリティでコスプレすればええだけとちゃうか?
>> 32
…え、にげるんですか?
実は、わたしの最初の言葉にすべてが詰まっていると思うんです
古い表現・やり方を新しいスタイルの中に含める…それが、わたしなりの言葉の活かし合いです
たしかに変わっていくことは重要です
でも、そのなかで、死んでいく表現を生かしていくことが、真の言葉の活かし合いであり、真のコミュニケーションの多様性なんじゃないかって、わたしは思います
え。何。逃げるって何…。
ずっと俺のターンと言っても過言ではないくらい実践してるんすけど…。
最初の言葉に精子でも詰まってんのか。
出したいなら出せよ。
別に止めないって言ってるじゃん。
ただし褒めること(貶すこと)がキモく見えるかどうかはお前の技量次第だけどな?
古いやり方にしたってきちんと活かせるなら使えばいいんじゃない?
勝手にしなよ。
霧雨にも言ったけど解説いらない。
で、何が置いてけぼりなんだっけ?
>> 34
これはどこに行ったんですか?
失礼ですけど、わたしには、あなたが、ほんとうにそう思ってやってるようには見えないんですよね…
なぜその下を無視する。
逆も然りでしょう。
この「逆」というのは、事実として「優れていない」と感じたものに率直な意見を出すということだよ。
俺はこのトピックで無理矢理相手を肯定しろなどと要請した覚えはない。
よい結論を出すためには、否定することも同じくらい重要だと考えてるよ。
ただ俗に言う「喧嘩師」は、あまりに後者に偏ってるイメージ(あたりまえなんだが)だから、あえて「褒める」という補助輪をつけさせてもらったにすぎない。
結局なごむが何を言いたいのかいまいちわからないんだが?
古い文化も時代に合わせて取り入れたらいいじゃないですか、と言われても、取り入れたい奴は取り入れたらいいのでは?としか思えんぞ。
ただ、古い文化にも質が「良いもの」と「悪いもの」があるとは考えてるよ。
お前の判断がどこまで細分化されているのか、または何もされてないのか、それは知らんが、俺の中で結論は出てるぞ。
何か腑に落ちないことがあるなら言えばいい。
お前の疑問には一通り回答を示したはずだが、何かわからないことでもあるのか?
>> 36
わたしは、ただ、あなたが、コミュニケーションの多様性・自由という正論で、既存の喧嘩を潰していることを危惧してるんですよ
活かし合いに収束すれば、潰し合いは批判の対象になる
そうやって喧嘩界隈はやり方を一新してきた過去を持つと思うんです
でも、それって、けっきょく、潰し合いが死んでいくことにほかならないじゃないですか?
今、センパイが、かつてのやり方を使わないのは、「飽きた」ということ以外に、キモいと思っているからではないですか?
…わたしは、過去のいいところもわるいところもすべて受けいれたい
そうやって変わる方法もあるんじゃないかって思うんです
それだけなんです
なごむは本当に話が早くて助かるよ。
これが俺のしたかった喧嘩のひとつだけど、潰される程度ならそれまでじゃない?
ちょうどモノホンのセンパイもやってきたことだし、お手並み拝見って感じ。
過去のいいところもわるいところも含めてやればいいじゃん?
やれるもんならやってみな?ってのがこのトピックの本質的な趣旨ですけれども。
>> 41
それが、多様性の抱えるジレンマです
今日、サムライが世の中に存在していないように、いずれは既存の喧嘩というのも消えていくでしょう
でも、本当に多様性を掲げるなら、サムライだって生きる方法を考えるべきじゃないですか
わたしは、その、別の変わる方法を、かなめさんといっしょに見つけていきたいと思ったんです
ところが、センパイは、「勝手にしろ」と、なげやりな態度を見せた
だから、にげたと言ったんです
だって、それこそ既存の喧嘩の否定じゃないですか?
いいところもわるいところもぜんぶ、活かせる方法ってないんです?
活かし合いがしたいんです!
それをジレンマだと思うのは古き良き喧嘩観と今ここで行われているようなやりとりを両立させることができない人だけだよw
お前らの存在も十分「既存の喧嘩」とやらを殺してるけどな?
どこのトピックかは言わないが対応の仕方に声出して笑ったわw
「ぜんぶ」活かすことだけが「変わる方法」とも限らないけど、その足の掬い方は褒められたもんじゃないねw
一緒に見つけるどころか一方的に教えを乞う形になっているのは気のせいかな…。
もちろん建設的にこの議論を深化させることはできるけど、そんなことは自己解決させたうえでレスをするのがこのトピックで求められていることなのではないでしょうかw
>> 43
わたしの導き出そうとする答えは、かなめさんの足跡のようなモノだと思います
でも、おつむが弱いなりに、がんばってるんですよ…?
それを、足をすくうなんて、あんまりじゃないですか…
実はこのトピックに影響を受けて「あんまりじゃないか」と思っているのは、他所の掲示板にいるおじさんや、Twitterでマウントの取り合いをしている青年だったりするわけなんだけれどもw
反発して自己正当化に走る者、萎えてネット上での喧嘩をやめる者などなど。
すごくおもしろい現象起きてたりするんだなこれが。
既存の喧嘩に喧嘩を売るという行為はまさしく彼らのような喧嘩師の存在否定に繋がる。
しかしなごむがやろうとしていることは、ある意味俺の足跡より前にある獣道じゃん。
KANAMEのスタイルは素に近いから大した摩擦は生じないけど、普段からキャラ作りありきで文字を入力してる奴にとったら窮屈で仕方ないだろうね。
どこかのうさぎさんじゃないけど。
>> 45
たしかに、喧嘩師の存在を否定しているかもしれない
でも、わたしの本心は、全肯定です
私がどれだけ頑張っても、学者や芸能人には勝てない
こんなことは、あたり前です
つまり、わたしたちがすべきなのは、わたしも私である理由を考えることだと思います
そして、胸に手を当てて考える機会を狂 えてくれたセンパイ に、敬意を表して、この言葉を遺します
「最ッ低!」
というわけで一番褒められるべきなのは黒うさぎでした。
変えるだの変えないだのそれ自体の議論が実に不毛であり暇人という皮肉をたった一言にすべて込めてしまったのだから。