無視してたわけじゃないんだけど、なごむの話は言うなればフェーズ5だったので>> 24までの工程を踏ませてもらいました。
まずそのアングラな雰囲気から片付けさせてもらうと、具体的にはサイトの配色だったり、そこで行われるごっこ全開の言葉の組み合わせ方のことだよね。
なぜ10年より前の時代でそれが流行ったか。
今ではまったくと言っていいほど見られなくなったよね。
これはインターネットの歴史と密接に関わっていて、当時、電子上に文字を表示させるということ自体極めて革新的なことだったわけだ。
ある意味制限された環境だからこそ、アスキーアートが生まれ、独自のネットスラングが生まれた、という背景がある。
喧嘩界もその影響を多分に受けていた、というだけの話であって、それがあたりまえになると今度は適切な形に収束していくのが世の常だよね。
ガラケーでいろんなキャリアが競ってたと思いきや、今じゃ携帯はほとんどスマホ、とりわけiPhoneで統一されている。
それと同じことで、文字への価値も最適化されていったわけだよ。
ごく一部の古参はそういう文化に未だ何らかの可能性を見出そうとしてるのかもしれないけど、俺個人としてはマジで時代遅れっていうかもうそんなのどうでもいい次元まできてるって認識だ。
白うさぎについては、そもそも初期設定がうさぎのアイコンだったというのもあるけど、正直黒うさぎへのアンチテーゼとしての意味は最初から持たせてある。
一生気付かれないと思ったけどまさかそんなところまで拾ってくれるとは感動したぞ…。
喧嘩界の歴史上、すげえと思われている喧嘩師のレベルはとっくに超えている。
はっきり言って今の喧嘩界の水準は、全盛期より上なはず。
ここができてからネット喧嘩もそれなりに最適化されたってことだよ。
じゃなきゃお前らはこの一見意味不明なトピックに取り合えない。
最初は元のレベルにまで戻そうって感じだったけど、気がついたらくるとこまできちゃってるし、開設当初はこんな話ができるなんて思いもしなかった。
喧嘩界を利用してくれている人たちには感謝している。
江戸時代の侍が、その後刀を必要としなくなったように、侍という文化が消えていったように、喧嘩師と呼ばれる人たちも何か別のものに変わっていくのかな、と思う。
その中でなごむが絶えず刀を使うのもありでしょうよ。
ただそれはお前個人の問題であって、変わりゆく時代に強制させるものではないよね。
現に俺とお前の対話はこうして成り立っているし、そこには共通の享楽が存在していると言っていいだろう。
それをなんと呼ぶか、それを行う人たちをなんと名付けるか、なんて大した問題じゃないと思うよ。
今からtwitterで同じことをしてみたらわかります
おそらくブロックされて終わりでしょう
一般的な認識で言うなら、ただただウザい人でしかないだろうね。
でも、絡み方やある程度相手を選べば、十分ここで行われている喧嘩のようなやりとりも外部の人たちと行うことはできるよ。
というか俺は何度もそれをやってる。
相手が喧嘩と認識してなくても俺にとっては喧嘩ってことは過去に多々あったよ。
今はこうしてここに集ってくれてる人たちがいるから、別に外へ出向こうとは思わないけどね。
>> 16は本当に優秀としか言いようがないよ。
立派な文学作品ってのはまさにその通りで、要は「何らかの価値のあるテキスト」ってことだよね。
もちろん俺たちは物書きと言えどもそれをここで生業としているわけではない。
金銭が発生するなんてことはないし、どこまでいっても「趣味」や「遊び」、「暇つぶし」の枠ではあるけど、少なからずそれらを満たすことができる程度の価値は与えたいという一心で俺は書いてる。
それで十分じゃないかな?
他人になにを言われても、自分がそれを気にしないなら、それは我を通していることにはなりませんか?
それはただの自己中としか思わんけどね。
極めて主観的な視野しか持とうとしない奴にはお前がそれでいいんならいいんじゃないとしか言えんわ。
我にこだわることと、我を通すことはまた微妙に違うと思うけど。
多様性が認められていくなかで、ある表現が死んでいく昨今、なにかジレンマを抱えている気がしてなりません
ある表現が死ぬことによる問題ってある?
はたして、それはほんとうに多様性なのでしょうか
ただ、多様性というひとつの正論を否定できてないだけではないでしょうか…
喧嘩界における多様性について正論か否か語ることになんの意味があるのかわからない。
重要なのは自分たちがしたい喧嘩ができるかどうかで、その目的にあたって適者生存できるかどうかじゃない?
どっちが勝ってもいいようなくだらない弱肉強食の成れの果てを知らないわけじゃないよね。