では、お言葉に甘えて、フェーズ4に移行させていただきますけれども、結局台本なくてもこれくらいの言葉の売り買いできる奴が少なすぎるから実施してます。
以前、こういう話を説明してもまるでわからない、辛うじてわかったとしても実践できない奴らが多すぎたため企画倒れに終わりました。
なので今回は説明せずにやれとだけ要求してるわけであります。
もうできてる奴はいいとして、できない奴は残念ながらいつまで経っても不毛な言い争いで傍迷惑なだけの痛い奴止まりでしょう。
喧嘩師でもない人に不躾な態度でだる絡みしたり、有名人に噛み付いてみたり自己投影してみたり、SNSのメディア欄がマウントを取りたいがためのスクショまみれだったり、認めてくれる人だけ周りに置いて賢ぶってみたり、存在否定してる相手に粘着して時間を無駄に浪費したり、他所で「Selcia」のワードを出して知ったふうに語ってみたり、議論畑の人間ですら何かしらの信仰対象に依存してそれを否定されれば本質的な議論を放棄するような奴ら、つまり、自分は正解、優勢であることを強調したいがために雑な編集を加える下心が見え透いてるからごっこ『感』増し増しでキモいわけだ。
昔の喧嘩サイトにそんな香ばしい奴がいたら間違いなく袋叩きでしょう。
なんならそんな過程はとうに飛び越えてもはやメタ認知合戦だったはず。
それが一転して今ここ以外の喧嘩界隈、たとえばTwitterなんかでは叩くどころか無条件に同調しちゃってる場面をよく見る。
匿名の書き込みにいちいち過剰に反応してその中でしか通じないプライドのために尽力してる奴もいる。
滑稽にも程があるだろ。
それが普通に「キモいな」と思う視点を持つユーザー(批評家)の不在ってのがインターネットにおける喧嘩のシーンにキモい奴を増殖させてしまったんだと思うんだよね。
今Twitterで行われてる喧嘩なんて言うなればまさしく喧嘩ごっこだよ。
単に嫌がらせを目的としたピンポンダッシュみてーなもんだ。
それこそ140字とからぶりつとかいう仕組みによる弊害じゃね?とすら思うぞ。
彼らは自分がキモいって自覚がない。
あまりにその界隈に甘んじているがゆえに、このような指摘を受けると拒絶反応を起こす。
そして結局そこでしか通用しない風潮に守られてクソを垂れ流すことを正当化し続けているわけだけれども、これって端的に言い換えるなら一般に通用しないマイノリティーな弱者同士が力を合わせてウンチできる環境を作りましょう!みんなでウンチすれば怖くない!ってことだろ?
うすら寒いしキモすぎんか。
こんな奴ら昔いなかっただろ?叩かれるに決まってるし。そういう行為はさすがにキモいし恥ずかしいと感じてやろうとすら思わなかったはず。
だからたまに一歩間違えて外に出ちゃうとたちまち一般論の波、数の暴力に飲み込まれて死ぬパターンが多い。
お前はおそらく、幼児化したネット喧嘩の文化に触れる気はさらさらないだろうし、今となっては興味もなければ勝手にしてればって感じだと思う。
これはあくまでごっこ『感』の一例にすぎんけど、どの観点から見てもある程度編集されている言葉や態度を示せる奴があまりに少ないのが現状だよね。
この極端なトピックの立て方はそれが理由。
で、ここからが本題。
「ごっこ感をなるべく抱かせない」ってことだけど、褒める名目とはいえ、俺の褒め方には違和感ないと思ってるよ。
反論があるなら受け付けるが。
本心かどうかはともかく、客観的に見て素直にそう思えるようなことしか書いてないつもりだ。
俺の文字数の多さでもそれくらいのことはできんじゃねって感じ。
誰とは言わないけど、歯ぎしり奏でてる奴はナレーションとして考えればエンタメとしてはまだいける。かもしれない。
出ました、「消臭」。
まさかこんなに早くこの話にたどり着くとは思ってなかったよ。
かつてこのテーマの話をしたときは、途中で大した結論も出ず終わってたから俺の中ではずっと消化不良だった。
いわゆる、メタ的な立場で見たときにエンタメとして昇華しづらい「キモい」「イタい」「クサい」という三拍子揃った文章、または表現への感覚の話だ。
たとえば「今夜の月は綺麗だね。でもキミのほうがもっと綺麗だよ」なんて昔の映画にあったのかなかったのかわからん言葉を「クサい台詞だな」と感じるのも、過度な比喩表現に違和感が生じてるからだろ。
「オレ、将来は起業しようと思ってるんすよ」と言いつつもそのための行動を何一つしておらず、根拠のない自信で夢だけ大きく語り、体裁ばかり取り繕った中身がないような発言もイタいと感じるのはそこに現実との乖離があるからだろ。
「会いたくて震える」なんて、歌ってるときはいいにしろ文章単体で見たら内面になんの手も加えずぶちまけてる状態が赤裸々でキモいわけだろ。
やっぱりこういうのを消臭しようと思ったら、そこには多少なりとも人様に見せても恥ずかしくないレベルの編集を施す必要があるわな。
特にどの角度から突っ込まれるかわからん喧嘩だからこそ極力誰にも(界隈外であったとしても)文句を言われないように書くってのが大事なポイントで、これが自然にできる奴なんてほぼほぼ限られるよね。
ジャッキーNG集のように、より多くの人に受け入れられるように編集しなきゃいつまで経ってもガキの喧嘩、単にイキッてるだけみたいなイメージ払拭できないと思うわけ。
すごく極端な話するけど、議論的なコミュニケーションに馴染みのある人がここにやってきたときに一目見て「なんのために喧嘩なんてバカらしいことやってんだろ?しょうもない人たちの集まりだね〜」と思う側の認識力に問題があったとしても、結果としてそういう見解になってしまったのならば俺は書き手の責任だと思ってる。
俺にエンタメ性が足りなかった、あるいは喧嘩に馴染みはないがネットで頭を使って読み書きするコミュニケーションが好きだって接点がありながら彼らの目線に合わせた表現ができなかった俺の落ち度だと思ってるのね。
勘違いしてほしくないのは、何も喧嘩界じゃない場所にいる論客を呼び込みたいわけじゃなくて、喧嘩界じゃない場所にいる論客にも客観的に見て十分通用するレベルの言葉遊び(喧嘩)がしたいってことよ。
今いるメンバーが全員その水準だったらごっこ『感』 が増すだけの喧嘩界ランキングなんて邪魔でしかない不純物なんだよね。
俺はこう見えてもちゃんと順序立てて運営してきたつもりだけど、ここから先の喧嘩掲示板を見たことがないんだよ。
高級キャバクラの接客なんて基本の所作の礼儀正しさのみならず時事ネタにも哲学にも対応してるわけじゃない?
だったら高級喧嘩サイトがひとつくらいあってもいいよな?
LETのときは喧嘩師ではない論客を呼び込みまくったことでそういう環境を人為的に作り出すことができたけど、喧嘩師にはそういうのできんのか?とか思っちゃうわけ。
いやもう「喧嘩師」という呼び方すら適切なのかどうかわからないし、このやりとりが「喧嘩」なのかどうかすら怪しいところではある。
ありとあらゆる文章に耐性を持つユーザーだからこそ生まれるコミュニケーションや話の内容もあったりすると思うんだよね。
人生は死ぬまでの暇つぶしとはよく言ったものだけど、どうせ喧嘩で暇つぶすならおもしろいほうがいいに決まってんだろって感じなんすけどみなさんどうすか。