仏教のお話

Rの会:無量義経 / 17

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ダルマ太郎 2024/03/24 (日) 17:43:12 修正

其の身は有に非ず亦無に非ず

「その身は有るのではなく、無いのではない」というのは、非有非無の中道のことです。凡夫は、物事を有る、無いで判断しますが、真理においては、有るのではなく、無いのではありません。因縁によって生起し、滅しますから、個々の存在は、仮に存在し、仮に滅しています。あらゆる存在には実体はありません。これを「空」(シューニャ śūnya)といいます。大乗仏教の重要な教義です。

個の存在は空ですので、個そのものには特徴はありません。特徴とは、他と比べることによって認識されるのですから、個自体だけでは特徴は見出すことはできません。特徴とは、サンスクリットのラクシャナ lakṣaṇa の訳であり、中国語では、「相」と訳されました。特徴・形・しるし・記号などの意味があります。特徴が無いことを「無相」(アラクシャナ alakṣaṇa)といい、空と並んで大乗仏教では重視されます。

「因に非ず縁に非ず自他に非ず」という文以降は、無相について述べられています。凡夫は、言葉によって、そのものの特徴を知ろうとしますが、そもそも、真理においては特徴はありません。無相です。

真理

真理は、固定してとらえることができませんので、真理を表すときは否定形を使います。肯定をすれば、何らかの概念にこだわる結果になりますので、無我・無常・無相・無作のように否定して表します。空とは、「無自性」のことですので、これも否定形です。ただし、これらの表現がそのまま真理のことをいうのではなく、真理へと導く方便であると知っておく必要があります。

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  • 53
    ダルマ太郎 2024/03/30 (土) 08:35:29 修正 >> 17

    修徳の三身

    戒・定・慧・解・知見より生じ
    三昧・六通・道品より発し
    慈悲・十力・無畏より起り
    衆生善業の因縁より出でたり

    持戒・禅定・智慧・解脱・解脱知見より生じ
    精神集中・六つの超自然的な力・三十七の修行法より発し
    慈悲・仏が持つ十種の智力・畏れない態度から起こり
    衆生の善業の 因縁より出ます

    三学・五分法身

    戒・禅定・智慧を修めることを「三学」といいます。仏道修行者が修めるべき基本的な修行項目のことです。また、三学に解脱・解脱知見を合わせて「五分法身」といいます。五分法身とは、法身の大士が具えている五種の功徳性のこと。解脱身のことです。

    戒(かい)
    シーラ śīla
    自分自身をコントロールする内面的な道徳規範を戒といい、戒を守ることを持戒といいます。

    禅定(ぜんじょう)
    ディヤーナ dhyāna
    特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させることです。

    智慧(ちえ)
    プラジュニャー prajñā
    諸法実相を観察することによって、体得できる実践的精神作用を慧といい、煩悩を完全に断つ主因となる精神作用を智といいます。

    解脱(げだつ)
    ヴィモークシャ vimokṣa
    煩悩に縛られていることから解放され、迷いの苦を脱することです。

    解脱知見(げだつちけん)
    ヴィムクティ・ジュニャーナ・ダルシャナ vimukti-jñāna-darśana
    解脱していることを自分自身で認識していること。

  • 54
    ダルマ太郎 2024/03/30 (土) 12:24:57 >> 17

    三十二相に約して内証身を歎ず

    示して丈六紫金の暉を為し
    方整照曜として甚だ明徹なり
    毫相月のごとく旋り項に日の光あり
    旋髪紺青にして頂に肉髻あり
    浄眼明鏡のごとく上下に眴ぎ
    眉 紺舒に方しき口頬なり
    唇舌赤好にして丹華の若く
    白歯の四十なる猶お珂雪のごとし
    額広く鼻修く面門開け
    胸に万字を表して師子の臆なり
    手足柔軟にして千輻を具え
    腋掌合縵あって内外に握れり
    臂修肘長に指直く繊し
    皮膚細軟にして毛右に旋れり
    踝膝露現し陰馬蔵にして
    細筋鎖骨鹿膊脹なり
    表裏映徹し浄くして垢なし
    濁水も染むるなく塵を受けず
    是の如き等の相三十二あり
    八十種好見るべきに似たり

    身の丈は一丈六尺、体全体から紫金の輝きを放つなど三十二の徳相を具えています。前から、後ろから拝しても透き通るお姿で、泥水に染まることなく、たとえ塵が降りかかってもそれで身を汚すことはありません。仏はこうした三十二の徳相と共に、八十の優れた相(八十種好)を具えています。

  • 55
    ダルマ太郎 2024/03/30 (土) 12:50:19 >> 17

    有相の諸相好をのこって諸相好を示現する

    而も実には相非相の色なし
    一切の有相眼の対絶せり
    無相の相にして有相の身なり
    衆生身相の相も亦然なり

    このように特徴のある姿をされていますが
    実際には 相があるとかないということを
    超越された方であり
    すべての相は 見たままではありません
    真実としては 相はありませんが
    人々のために 相を持って現れられました
    人々の相も またその通りです

    相の用

    能く衆生をして歓喜し礼して
    心を投じ敬を表して慇懃なることを成ぜしむ
    是れ自高我慢の除こるに因って
    是の如き妙色の躯を成就したまえり

    人々は そのような仏さまの相をみて
    喜び 礼拝をなして
    心から帰依をし 敬意を表して
    真心を込めるようになります
    仏は 驕り高ぶりを捨てることによって
    このような素晴らしい相を得られました

    能敬所敬の無著

    今我等八万の衆
    倶に皆稽首して咸く
    善く思相心意識を滅したまえる
    象馬調御無著の聖に帰命したてまつる

    今 私たち八万の衆は
    ともに皆 深く敬意を表しています
    あらゆる思想や執着心 意識を滅せられ
    象や馬をうまく調教するように
    人々の心を善に導かれる
    執着のない聖なるお方に帰依いたします

    能説の教生

    稽首して法色身
    戒・定・慧・解・知見聚に帰依したてまつる

    心から礼をなし
    法身としても 色身としても
    戒律・禅定・智慧・解脱
    解脱知見を成しとげられたことに
    帰依いたします

  • 56
    ダルマ太郎 2024/03/31 (日) 01:21:15 >> 17

    所説の法輪

    稽首して妙種相に帰依したてまつる
    稽首して難思議に帰依したてまつる
    梵音雷震のごとく響八種あり
    微妙清浄にして甚だ深遠なり
    四諦・六度・十二縁
    衆生の心業に随順して転じたもう
    若し聞くことあるは意開けて
    無量生死の衆結断せざることなし
    聞くことあるは或は須陀洹
    斯陀・阿那・阿羅漢
    無漏無為の縁覚処
    無生無滅の菩薩地を得
    或は無量の陀羅尼
    無碍の楽説大弁才を得て
    甚深微妙の偈を演説し
    遊戯して法の清渠に澡浴し
    或は躍り飛騰して神足を現じ
    水火に出没して身自由なり
    如来の法輪相是の如し
    清浄無辺にして思議し難し
    我等咸く復共に稽首して
    法輪転じたもうに時を以てするに帰命したてまつる
    稽首して梵音声に帰依したてまつる
    稽首して縁・諦・度に帰依したてまつる

  • 57
    ダルマ太郎 2024/03/31 (日) 01:40:01 >> 17

    所説の法輪

    心から礼をなし
    素晴らしいお姿に帰依いたします
    心から礼をなし
    非常に深いお智慧に帰依いたします
    仏さまのお声は 雷が鳴り響くように
    多くの人々に広まります
    そのお声による教えは
    誰もが好きになれる声であり
    柔らかく 違和感がなく 智慧があり
    納得ができ 正しく 奥深く 尽きることがなく
    他と比べることのない程に優れ
    清浄で 非常に奥深い趣があります
    四諦 六波羅蜜 十二因縁など
    人々の心と行いに応じて
    教えを説かれます
    もし この教えを聞くことができれば
    心から執着が除かれ
    多くの変化へのとらわれから
    離れることができます

  • 58
    ダルマ太郎 2024/03/31 (日) 01:41:38 >> 17

    所説の法輪 2

    仏さまのみ教えを聞くことによって
    声聞の弟子たちは
    まずは 思想の迷いを捨てて
    須陀洹の位に入り
    次には 貪 瞋 癡の
    三毒を捨てて 斯陀含の位に進み
    次には 色欲 貪欲 財欲などの
    欲を捨てて 阿那含の位になり
    最後には 煩悩を捨てて
    阿羅漢の果を得ることができます
    または 煩悩なく 執着のない
    縁覚の境地に入り
    または 無分別の菩薩の果を
    得ることができます
    あるいは 多くの善をすすめ悪をとどめる言葉や
    障害を乗り越えて 自由自在に
    すすんで説法をする大いなる説得力を得て
    非常に奥深く 極めて優れた詩を説き
    修行を自由自在に行って
    法の清らかな水路で洗い清め
    または 身を躍らせて
    空を飛びまわる様な神の足を現じ
    水中 火中に出入りしても
    自由な身体を持てるようになります
    如来の教えは 以上の様に清浄無辺にして
    人々の考えの域をはるかに超えています
    私たちは また共に深く頭を下げ
    時に応じて説法をされる
    その教えに帰依いたします
    深く頭を下げ
    清きお声に帰依いたします
    深く頭を下げ
    十二因縁 四諦の法門 六波羅蜜の
    教えに帰依いたします

  • 59
    ダルマ太郎 2024/03/31 (日) 10:57:59 >> 17

    仏徳歎

    総じて因行を歎ず

    世尊往昔の無量劫に
    勤苦に衆の徳行を修習して
    我人天龍神王の為にし
    普く一切の諸の衆生に及ぼしたまえり

    世尊は はるかなる昔より
    非常に苦労をされ
    数々の徳行を修められました
    ご自分のためだけではなく
    人や天の神々のために
    様々な魔神たちのためにされ
    その功徳は 広く人々に及ぼしました

  • 60
    ダルマ太郎 2024/03/31 (日) 11:00:43 >> 17

    別して六波羅蜜を歎ず

    能く一切の諸の捨て難き
    財宝妻子及び国城を捨てて
    法の内外に於て悋む所なく
    頭目髄脳悉く人に施せり
    諸仏の清浄の禁を奉持して
    乃至命を失えども毀傷したまわず
    若し人刀杖をもって来って害を加え
    悪口罵辱すれども終に瞋りたまわず
    劫を歴て身を挫けども惓惰したまわず
    昼夜に心を摂めて常に禅にあり
    遍く一切の衆の道法を学して
    智慧深く衆生の根に入りたまえり

    とても捨てがたい様々な
    財宝 妻子 国城を捨てて
    それらの物質的な物
    外面的なものだけではなく
    内面的な執着も
    惜しむことなく捨て去りました
    その頭脳によって悟られたこと
    目で正しくとらえられた世界は
    すべて他者に施され
    諸仏によって唱えられました
    清浄なる戒律を大切に保たれて
    命にかけても破られる事はありませんでした
    もし 人が刀や杖を持って現われて
    振りまわし危害を加えようとしても
    悪口を言い 激しく罵っても
    一度たりとも
    お怒りになることはありませんでした
    非常に長い年月
    修行を続けられても怠けることはなく
    昼も夜も心を穏やかにして乱れる事がなく
    この世の一切の修行の道
    教えを学んでおり
    智慧が深く
    人々の機根を見通されています

     

  • 61
    ダルマ太郎 2024/03/31 (日) 11:01:51 >> 17

    果徳

    是の故に今自在の力を得て
    法に於て自在に法王と為りたまえり
    我復咸く共倶に稽首して
    能く諸の勤め難きを勤めたまえるに
    帰依したてまつる

    この様な理由から
    今、自在の力を得て
    教えにおいて自在にして
    法の王となられました
    私たちは また ことごとく
    皆ともに頭を深く下げ
    よく諸々の勤め難くを勤められた
    そのご努力に心から帰依いたします