その旅は↑ここ、さばんなちほーから始まった・・・
我々ジャパリパーク調査隊がLBの中でも「ボス」と呼ばれる個体のデータを解析していたところ、
ログからタイトルにあるようなフォルダが発見された。
鑑賞した結果、ぜひ広く後世に残すべきものとして、この公表に踏み切った次第である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ーなんて堅苦しい前置きは、さておき...
ここではirodoriメジャーデビュー作にして、大ヒット話題作&出世作となった
「けものフレンズ(無印)」の
すっごーい!(考察要素)、たーのしー!(ストーリー・キャラ)を
改めて語り合うスレです。
(音楽・BGM・スタッフ・キャストについてもOK)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※けものフレンズ2及びプロジェクトそのものについての話題は、
コチラ↑「けもねお」へどうぞ。
入園試験とも呼ばれた第1話ですが、
監督ケニアにいたからね。
野生の勘が培われていたのかもしれない。
「原作に忠実」はけもフレのオススメポイントのひとつでしたね。
巨大セルリアンとジャパリパーク、サーバル・かばん・ラッキービーストの旅、それぞれが結末を迎える。最後にゆうえんちにのこったもの、そして現れたものは――
「三幕構成」に関する考察動画でかばんちゃんとサーバルちゃんの旅の目的は別、って話があったけど、
このフェイク(?)予告から考えるとボスもまた目的を持ってたんだろうね。
でも「3人での旅、楽しかったよ」だったことは確かなんだ
その動画、僕も観ました。
目から鱗でしたね。
そして「ボスの目的」!?
盲点ですね。
考えてみると・・・フレンズを護り続ける、じゃないですかね?
恐らく禁じ手であろう虹色緊急招集(他のフレンズをも危険に晒す恐れ)まで使って。
黒セルリアンと共にbしたことでそれは達成された、と。
そして「ヒトのフレンズ:かばん」を護るために新たな旅のお供となる。
ーこんな感じかな?
二次創作(今見つからないけど)で、通信を受けたボスが各地のフレンズに救援要請をする場面がありました。
「大型セルリアン出現、パークに危機、援軍求む、援軍求む」みたいなせりふから
「かばんを、かばんを助けて・・・」ってなるの。もう泣けちゃってたいへんでした。
かばんがヒト(のフレンズ)だから優先してとかパークの危機だからとかの先に、
ボスの思いがそこにあったんだと受け取りたい感じです。
もう1つの可能性として
「パークガイド(ミライさん)の補佐をもう一度したい」を挙げてみます。
だから「お客さんじゃないよ」発言に暫定パークガイド権限を付与する。
→それを失いそうになる。
→かばんと共に旅を続ける。
いろいろ冷奴が捗るのも「よく出来たお話」だからなんでしょうね。
今、改めて1期を見直そうという動画が某niconicoで上がっている中、
「サーバルが、かばんちゃんに『ちゃん付け』で呼ばれたいから、一度別れた」という考察には
感心した。
あと「善意のけもリンクスパイラル」全開だった3話、の考察動画とか。
※本当は動画リンクを貼りたいのですが、ちょくちょく「例の続編」に対するトゲがあって・・・
本当にうれしいのは、
「1期のヒットは集団心理みたいなもので、実際は佳作くらいの作品」って言われて「うーん、確かにその可能性もあるな…」って思って見返すと、
「やっぱ面白いな!」ってなるところ
話が面白い作品は一度見て「面白かったなー」で済んじゃうんだけど、
登場人物に血肉が通ってるように見える作品は何回見ても楽しい
「本物の笑顔や涙が目の前にある」と錯覚できると、
生理的なレベルで楽しめるから飽きない
(それに加えてお話だって面白いしね)
何度見ても発見がある、何度見ても感動する。こういうアニメを作れるたつきって本当に凄いなって何度も思います。
#良い作品は、感想を発信して共有したくなるもの
これ放送当時考えてた自家製の冷奴なんですけど・・・
1期の話で「やさしい世界」って言葉が出てきますけど
自分はあれちょっと違うかなと思うんです。なぜなら1話でアードウルフ食べられちゃうから
もし世界や運命自体に意思があったりとか神のようなものがいて
それがフレンズにやさしいのであればアードウルフは助かるはず
でも実際は助かってない
だから実際は「やさしい世界」じゃなくて「やさしいフレンズ」だと思うんですよ
やさしいのは「助けなきゃ!」と思うサーバルや最終話でかけつけるフレンズ達
つまり困ってる他人を助けるフレンズ達の文化や心根であって
世界には意思も感情も一切ない。ではなぜフレンズ達はやさしいのか?
それはパークがやさしさを込めて作られた世界だからだと思うんです
意思も意味も理由もなくフレンズやセルリアンを生んだり消したりする世界にフレンズを守りたいという思いから人間たちがかぶせたレイヤーがパークだと思うんです
第一層は慈悲も無慈悲もないあるがままの自然
第二層はあの世界の人類が作り出したパークというシステム
第三層はフレンズ達が形成した文化と社会
優しいといわれているのは第三層でありそれを支えているのが第二層というわけです
しかし時間の経過により第二層にほつれが生じて第一層がむき出しになってきている部分がある
それがセルリアンで、運悪くそれに触れたものは消えてしまう。これがあの世界のシステムだと思います
「水がうまい」「砂って熱いんだ」「雪って冷たい」「車を運転してみたい」「新しい人と出会った」「景色の良いところで飯食うとうまい」「料理ってどんな物か是非食べたい」とか、
キャラがこの世界の新しい事、好きなものに出会うたびに逐一その感動と喜び、五感の動きをアニメ上で表現していたのが素晴らしかったな
すっごーいとかたーのしーとか何これ何これとかね
この「君(他者や物事や世界)をもっと知りたい、触れたい」という「好奇心」というテーマは、
動物園という「動物について知り、新しい出会い、発見をする」場所のテーマとぴったり一致する
それをきちんと映像で表現してくれているところは、他の作品ではなかなか見つからない長所だった
旭山動物園
「行動展示」の原理から展示・装置・施設が設計されている
展示=飛び込んで餌を狙うシロクマの生態を見せる ために
装置=頑丈な水槽・来園者が見やすい飼育場 を作り
施設=自然界におけるシロクマや別の動物の関連を来園者が「巡って」理解できる「ほっきょくぐま館」 を作る
1期『けものフレンズ』1話冒頭
イベント=サーバルのジャンプ力・強い好奇心・アニマルガールといった特徴を理解してもらうために
装置=ジャンプの起点となる木と枝・かばんという未知の存在・かばんが隠れる高めの草を配置し
エリア(ちほー)=自然界におけるサーバルなどのアニマルガール・ジャパリパーク関連を、
視聴者が「見て」理解できる「さばんなちほー」 を作る
各話はまるで動物園の展示を見て回るように進んでいく。
例えばサーバル・かばん・ボスの前に次々とフレンズが現れる2話前半などは、より顕著
ロードムービーを作ろうとしたのではなく、
動物園を順路ごとに巡る感覚を再現することが、ロードムービーを選択した理由のひとつ
ジャパリパークは
「野生動物だったフレンズの生態を踏まえ」
「フレンズが受け継いだ動物の特徴を自然に見せる」
超巨大総合「動物園」
ーであることを印象付けた
※ケムリクサ、へんたつで明らかになったように、
たつき監督の「実在するかのような世界観の構築力ぅ」は、もはや異能・・・
だから、けもフレを観た視聴者が実際に動物園に行きたくなったのかな、と
正直、自分も以前は
動物園って人間のエゴで動物を閉じ込めてる場所でしかないよなぁとか思ってたんですよ
でも、やっぱりこの作品を通じて動物園について少し知識を得て、意識がちょっと変わったんですよね
とりあえず、動物園って自分よりはるかに真面目に動物と関わっている人達がいるのに、漠然とした印象だけでそんな適当に切って捨てちゃいけないなって
当たり前だけど、関わっている人達は自分より遥かに深い考えを持ってるわけで
環境や動物を保護したいなら、まず人々が「世界って、動物ってこんなに魅力的なんだ」と思わないと話にならない
その入り口として動物園ってあるんだろうな
人間のやってきた事やこれからの動物との関わり方について語るのはいいけど、それってあくまでみんなが動物に興味を持った後にしかできないよなって思い直して
あまり動物園について真剣に考えたこともないのに、知った風な事考えてた自分の意識がちょっと変わりました
実は動物飼育専門学校の授業(ディベート)で「不要派」が圧勝したという事実がありまして・・・
それを元に「けものフレンズBBS NEO(サイドバーにリンクあり)」で話し合ったことがあります。
まとめてもらったものが上の記事になります。
ご参考になれば・・・