名前なし
2024/02/08 (木) 20:25:54
052b3@93feb
アメリカの殆どのジェット戦闘機は核爆弾が運用可能ですがソ連の機体はそうではありません。これはどのような運用思想の違いからでしょうか?単純にソ連に核を小型化できなかったからでしょうか?
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ソビエト連邦の最初の核実験の成功が1949年なんだけど、その核実験で使用された核弾頭は最初から航空機ではなくミサイルでアメリカ本土に打ち込む前提で実験されていて、1957年に完成したのがR-7、世界初の大陸間弾道ミサイル。だから小型化できなかったのではなく、撃ち落とされる可能性がある航空機で目標の上空に到達、投下する計画が最初からなかっただけ。 / なお、当時の技術で撃墜がほぼ不可能な弾道ミサイルで敵国に直接核弾頭をお届けする発想がなかったアメリカやイギリスは大パニックになったそうな。
いや、そもそもソ連の戦闘機が核積めないというのが誤りでは?前線戦闘機は大体積めると思うんだけど
ベトナムの頃までのアメリカは「爆撃機が全てを決める」と言う思想で動いてるから純粋な制空戦闘機を持ってない。全ての戦闘機には爆撃能力が必須で核も持てて当たり前。一方でソ連の戦闘機は対航空機用の攻撃機と言う様なもので、地上空中を問わず敵航空機を破壊するのが主な目的。複葉機の頃から地上の航空機を攻撃する為のロケットは使っても、地上爆撃は爆撃機や攻撃機のお仕事。その差じゃね?ソ連の戦闘機に核を運用する能力があったかは知らん。間違ってたらゴメンね
ソ連は現場に判断権の多くを下ろしていないかったので戦術核をポンポン打ち合うような事態を想定していなかった。基本、核兵器は報復措置として集中運用する体制だったので(フルシチョフの軍事革命について参照のこと)核兵器の開発が弾道弾中心に進んだ。その後トハチエフスキー機動戦理論に再度日が当たり、NATOの防衛陣の突破に核を使う戦略が編み出されたが、信用できない空軍ではなく、師団レベルに配備された短距離弾道弾を中核に戦略が練られた。海軍では米機動艦隊に対する基本戦略として核弾頭を持つミサイルの飽和攻撃ドクトリンが編み出されたが飽和攻撃はタイミングを合わせる必要がることから大型機からの多数同時発射が基本戦略とされ、これらのドクトリンに合わせて機器が開発されてた。後年、ソ連が崩壊し、大型機の集中運用が困難になったため、比較的搭載力のある機体で代用するようになったがあくまで代用。また、一部の戦術機も米国の柔軟戦略に対応するため、一定程度の対応力は持つように開発はされていたがあんまり本気ではなかった。そんなわけで米側に比べて航空搭載の核兵器は手薄。まあ、これらは当時通常兵力では東側が優勢という状況を踏まえてのものなので今後は分からんけどね。
MiG-23はM型から翼下に2発の小型核弾頭積めるぞ。MiG-21以前の機体は小型軽量過ぎて、そもそも核は愚か大型の通常爆弾すら搭載不可だったからな。