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航空機に関する質問を解決しあうスレ / 1558

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名前なし 2024/02/09 (金) 13:27:12 修正 0062e@c3efa >> 1552

ソ連は現場に判断権の多くを下ろしていないかったので戦術核をポンポン打ち合うような事態を想定していなかった。基本、核兵器は報復措置として集中運用する体制だったので(フルシチョフの軍事革命について参照のこと)核兵器の開発が弾道弾中心に進んだ。その後トハチエフスキー機動戦理論に再度日が当たり、NATOの防衛陣の突破に核を使う戦略が編み出されたが、信用できない空軍ではなく、師団レベルに配備された短距離弾道弾を中核に戦略が練られた。海軍では米機動艦隊に対する基本戦略として核弾頭を持つミサイルの飽和攻撃ドクトリンが編み出されたが飽和攻撃はタイミングを合わせる必要がることから大型機からの多数同時発射が基本戦略とされ、これらのドクトリンに合わせて機器が開発されてた。後年、ソ連が崩壊し、大型機の集中運用が困難になったため、比較的搭載力のある機体で代用するようになったがあくまで代用。また、一部の戦術機も米国の柔軟戦略に対応するため、一定程度の対応力は持つように開発はされていたがあんまり本気ではなかった。そんなわけで米側に比べて航空搭載の核兵器は手薄。まあ、これらは当時通常兵力では東側が優勢という状況を踏まえてのものなので今後は分からんけどね。

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