仏教的な『無』と『空』に関する知識が欲しいな
『空』は世界の有り様、あるいは世界そのもの
『無』は心の有り様
という風に読めるものが複数あったのだが、これに従えば『無』の方が適切に思える
よってemptyが誤訳の可能性もある
が、この解釈が適切なのか自分では分からない
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仏教的な『無』と『空』に関する知識が欲しいな
『空』は世界の有り様、あるいは世界そのもの
『無』は心の有り様
という風に読めるものが複数あったのだが、これに従えば『無』の方が適切に思える
よってemptyが誤訳の可能性もある
が、この解釈が適切なのか自分では分からない
…これ自分の解釈が違うな?
無→空 ってことか…?
分からないので教えてください
自分も仏教徒ではないので解釈が違う可能性があるのですが
固定観念に執らわれない、それゆえに変化しつつも常にそこに存在しているというのが"空"の本質だとお聞きしたことがあります。
(念のため調べましたがそこまで大きく外れてはいないはず…)
空虚だったり、空っぽだったり、何もなかったりするわけではないという事ですね。
無くなったように見えても形を変えて常にそこに存在するわけです。
なのであえて英語もなんとなくニュアンスを似せつつも"空"の本質から外れたEmptied(中身のない、 空(から)の、)を使っているのだと思っています。empty自体が空虚なとか中身のないというニュアンスが強いので…。
素人知識ではありますので間違いあったらすみません。
>> 45
>> 43です、ありがとう
素人なりに調べた結果と合わせると、やっぱり無の方が適切に思える
空即是色は「いろんな物体として変動しながらこの世での存在が認識される」という感じの意味らしい
水が雨や川、海といったものとして認識される、というのが例として挙げられるとか
あるいは構成物と言い換えることも出来るそうだ
例えばスマホという構成物はプラスチックや金属から構成されているが、その部分部分だけ切り取っても、スマホという構成物は見えてこない
つまりここで言う『空』は「形状を変えると無くなってしまう概念」とも言える
よって上の方の『無』の定義、解釈から言っても、無の方が適切に思える…というのが素人調べの結果なんだが、どうだろうか
原本は韓国語の方だから、あっちでなんて書いてあるか見るのが手っ取り早そうではありますね。
(調べる気はないけど)無我は韓国語で무아で原文が나는 비워내느니(私は空にします。)だからこの幻想体が主張しているのは無我ではないのか?
あるいは無我という単語を使わなかっただけなのか?