『僕は『チヌーク』。いつもはバディのお手伝いをしているんだ。
山小屋を見回って足りなくなっている物が無いか調べたり、
雪山で迷子になっている子を探したりとかしてるよ。
賑やかな場所も嫌いじゃないけど、やっぱり僕は雪山が好きかな。
一仕事終えた後、暖炉の前でひと眠り…これが一番幸せな時間だからね。』
米国・ニューハンプシャー州原産&州犬の『チヌーク』のオリフレです。
1896年8月アラスカと接するカナダ北西部・ユーコン準州でゴールドラッシュが起きた事で、
それに伴い物資や郵便物を運ぶためにユーコン川を起点にした貨物便が運航されるようになりましたが、
川から内陸までの輸送は犬橇を使っている事から、この貨物便は人々から『ドッグ・パンチャー』と呼ばれるようになりました。
一方、冒険心からそれまで住んでいたニューハンプシャーを飛び出し、アラスカを旅していたアーサー・T・ウォールデンはこの『ドッグ・パンチャー』に強い興味を持ち、その一員として犬橇を走らせる事にしました。
この時ウォールデンは北米先住民のガイドが使っていた『チヌーク』と名付けられたとても優秀なエスキモー・ドッグに惚れ込み、後にニューハンプシャーへ戻り農場兼宿屋を経営する傍ら『理想的な橇犬』を作る試みを始めます。
1917年1月17日に雌のグリーンランド・ドッグと雄のマスチフとセントバーナードのミックス犬との間に3頭の子犬が産まれ、そのうちの一頭がウォールデンの求めていた特性を持っていたため、元の名前である『リッキー』から『チヌーク』に改名されその後の品種としてのチヌークの根幹になりました。
ウォールデンの犬橇への情熱は留まるところを知らず、1922年にニューハンプシャーの隣の州であるニューイングランドでの犬橇レースの開催を後援し、1924年にはニューイングランド橇犬クラブを設立します。
犬橇のエキスパートとして広く名前が知られるようになったウォールデンは
リチャード・E・バード率いる南極遠征隊のメンバーとして1927年から1928年にかけての冬の間に犬橇担当の隊員の養成を行い、1929年には南極で上陸地点からベースキャンプまで物資を運ぶ任務に当時10歳の初代チヌークと共に従事しましたが、1928年1月17日に初代チヌークが行方不明となってしまいます。
更に1947年にウォールデンが自宅の火事で亡くなって以降、その育成は何人ものブリーダーに引き継がれていくものの、その徐々に頭数は減少していき、1981年には繁殖可能な個体が11頭のみという絶滅寸前の状況にまで追い込まれてしまいますすが、その後ブリーダー達の健闘もあり頭数の回復に成功し、現在の登録頭数は800頭前後を維持しています。
パークでは移動要員として重宝されそうなフレンズなのだ!
あったかモフモフな衣装もかわいいのだ
衣装は生みの親のウォールデン氏の着ていた物を参考にしてみました
モフモフ犬なのだ かわいいのだ
髪の色の表現とてもいいのだ
チヌークというとヘリコプターがパッと思い浮かんだのだ
偶然にも輸送ヘリだったのだ
ヘリのCH-47『チヌーク』と犬の『チヌーク』とは間接的に繋がっているのだ
ヘリの方は採用時の命名ルールに従って北米先住民のチヌーク族に由来した名前。
一方、犬の方は少し複雑で
チヌーク族の住んでいる米国北西部ではハワイ暖流由来の暖かい西風がよく吹き、
入植者たちがこの風を『チヌーク風(Chinook wind)』と呼ぶようになる。
→ロッキー山脈内陸部の暖かいフェーン風も『チヌーク風』と呼ばれるようになる。
→『チヌーク風』が『チヌーク』単体で『暖かい(西)風』というスラングとして広まる。
→ある北米先住民のガイドが性格の穏やかな自分の犬に『チヌーク(暖かい風)』と名付ける。
→ウォールデン氏が自分の創出した犬種に上の犬にあやかって『チヌーク(暖かい風)』と名付ける。
といった流れを辿ったようです。
とても勉強になったのだ
ありがとうなのだ
なんだか達観した感性を持ったフレンズですね
雪山を所せましと駆け回りそうです
橇犬や牧羊犬、猟犬といった所謂作業犬は運動量が多かったりするので
あまり都会暮らしに向いていないという事情もちょっぴり取り入れてみました