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みんみ教徒の集い / 2485

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流浪のみんみ教徒 2020/10/14 (水) 03:03:03 修正 457e0@9608d

本日は1892年にアーサー・コナン・ドイル氏による
シャーロック・ホームズシリーズの最初の短編集
「シャーロック・ホームズの冒険」が刊行された日であります。
・サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル氏は、
 イギリス・スコットランド出身の作家/医師/政治活動家であります。
 1868年イエズス会系の寄宿学校ホダー学院に入学され、
 1870年にはその上級学校であるストーニーハースト・カレッジに進学。
 大学卒業後の1881年10月にアフリカ汽船会社に船医として就職されましたが
 翌年に退職され、イングランドのプリマスでの診察所の共同経営を経て、
 1882年6月末からポーツマス郊外のサウスシーで診察所を開業されております。
 その傍ら、短編小説を雑誌社に投稿されるようになり、1884年には
 シャーロック・ホームズシリーズの長編小説第一作「緋色の研究」を発表され、
 1889年に歴史小説「マイカ・クラーク」、1890年にホームズシリーズの
 第2作である「四つの署名」、1891年に歴史小説「ホワイト・カンパニー」等で
 小説家としての名声を手にされております。
 1891年にこれまでの診察所を閉業、無資格の眼科医を開業されましたが、
 患者の方が全く訪れなかったのをきっかけに執筆業一本に絞られました。
 その年から「ストランド・マガジン」にて読み切りのホームズ短編小説を連載され、
 爆発的な人気を獲得。「シャーロック・ホームズの冒険」の単行本の初版は、
 イギリスでは1892年10月14日に、アメリカではその翌日に出版されております。
 1893年、「最後の事件」の出版でホームズシリーズを一旦終了させ、
 ナポレオン戦争時代を舞台にしたジェラール准将シリーズを連載されております。
 1900年にボーア戦争が勃発すると医療奉仕団に医師の1人として参加され、
 同年10月に行われた解散総選挙に出馬されるも落選されております。
 1902年には「南アフリカ戦争 原因と行い」を発表、ボーア戦争でのイギリス軍の
 汚名返上に尽力された功績で国王エドワード7世よりナイトの称号を授与され、
 自身の名前に「サー」の称号を冠せられております。
 1901年には久々のホームズ作品の長編小説で、「最後の事件」以前の話である
 「バスカヴィル家の犬」を発表、1903年から本格的に再開された短編連載では
 亡くなられたとされていたホームズ氏が生きておられ、この新連載13編は
 1905年に「シャーロック・ホームズの生還」として単行本化されております。
 1912年にはチャレンジャー教授シリーズの第1作である「失われた世界」、
 翌年には第2作「毒ガス帯」を発表されSF小説にも進出されております。
 1914年に第一次世界大戦が勃発すると政府や軍部の戦争遂行を全力で支援され、
 戦意高揚のための執筆活動や各前線にて士気高揚のための演説に努められました。
 その一方で、第一次大戦前から心霊主義に関心を持っておられ、
 戦中の相次ぐ身内の戦死や病死により戦後には心霊主義へと傾倒され、
 晩年の活動はほぼ全て心霊主義によるものでありました。
シャーロック・ホームズシリーズはあらゆる創作に影響を与えており、
タイリクオオカミ様が執筆しておられる「ホラー探偵ギロギロ」も、
おそらく何らかの影響を受けているものと思われます。
ジャパリパークが存在するあの世界でシャーロック・ホームズシリーズが
知られているのかは判然としませんが、図書館に所蔵されている蔵書の中には
探偵が活躍する小説が存在するのではないかと想像できます。
推理小説は敷居の高さが感じられるものの、物語の奥深さと趣向を凝らした展開等、
知性に溢れる娯楽であると同時に知覚を刺激する教材でもあります。
この日を機に、物語の世界に足を踏み入れられるのも良いかもしれません。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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