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みんみ教徒の集い / 2064

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2064
流浪のみんみ教徒 2020/01/12 (日) 00:03:03 修正 457e0@6693e

本日はスキー記念日/スキーの日であります。
1911年のこの日にオーストリア=ハンガリー帝国陸軍少佐の
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ氏が、
新潟県高田(現在の上越市)の陸軍高田歩兵第58連隊の青年将校に、
日本で初めてスキーの指導を行われた事が由来となっております。
スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店である、
エスポートミズノによって1994年に制定され、その後、全日本スキー連盟も
関係諸団体との協議を行って2003年に制定されました。
レルヒ氏は士官学校への入学後から少尉への任官、
複数の歩兵旅団や歩兵師団附参謀を歴任された後、
1900年にインスブルックの第14軍司令部附参謀に着任され、
山岳地帯の同地でスキー訓練に興味を持たれました。
1902年にアルペンスキーの創始者マティアス・ツダルスキー氏に師事され、
翌年の南チロルでの国境警備における環境がスキーの研究に絶好の地であり、
レルヒ氏がスキーにさらなる情熱を燃やす要因となりました。
1906年2月、シュタイアーマルク西南部ムーラウでの山岳演習時に、
雪崩に遭遇された騎兵部隊をスキーを使って救出に参加したレルヒ少佐は、
自身の立場を利用し直接的または友人知人を介してスキーの重要性を
軍高官らに説いて回り、参謀総長にスキーを正式に導入させる事に成功されました。
日露戦争でロシア帝国に勝利した日本陸軍の研究のため、
レルヒ少佐は1910年11月30日に交換将校として来日されました。
八甲田山での雪中行軍で事故を起こして間もない時期という事もあり、
日本陸軍はツダルスキー氏の弟子であるレルヒ少佐のスキー技術に注目されました。
陸軍のスキー技術の向上を目的として翌年1月12日、
新潟県中頸城郡高田(現在の上越市)にある第13師団歩兵第58連隊の営庭や、
高田の金谷山など14名のスキー専修員に技術指導を行われた事が、
日本での本格的なスキー普及の第一歩とされております。
なお、訪日時の階級の時にスキーを日本に伝えられたため、
日本国内では一般的には「レルヒ少佐」と呼ばれておりますが、
後に中佐に昇格された後に日本各地を回られたため、
北海道等では「レルヒ中佐」と呼ばれております。
けものフレンズにおいてスキーに関連する事といえば、
ゆきやまちほーにて使用された即席のそりであります。
多数のセルリアンが迫ってくる中、大きな桶と二枚の長板を発見され、
即興でそりを発案されるあたり、かばん様の機転が光ります。
荷重移動によるコーナリングも利用しての脱出はスリリングなものでありました。
スキーは冬の風物詩であり、自然を利用した娯楽でもあります。
ただ、例えゲレンデであっても冬の雪山には違いありません。
安全に充分に配慮して、大いに楽しみましょう。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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