瞑想はパーリ語経典ではJhāna(ジャーナ)と言い、サンスクリット経典ではDhyāna (ディヤーナ)と言います。
パーリ語は南伝仏教と呼ばれる上座部が拠りどころとする経典に用いられる言語で、サンスクリット語は北インドの広い領域で使用されていた言葉で、大乗が弘まっていった北伝仏教で使われていた言語です。大乗仏教はシルクロードを経て中国に伝わりインド語の「ジャーナ」、「ディヤーナ」といった瞑想を指す単語が漢訳経典では「禅定」や「禅那」と訳されました。
中国では道教と習合した、独特な「禅宗」が発達し、この禅宗が日本にもたらされ、日本の禅宗が興りました。「禅」はZenとして国際語にもなっており、日本仏教の瞑想法であると認知されていますが、これに対して異を唱えている人も居ます。ブッダの修行法の解釈は宗派に拠り異なりますし、日本仏教のZenが仏教(Buddhism)の修行法だと辞書的に定義されるのは問題があると考える人は少なくありません。
例えば、韓国仏教ではブッダの修行法はチャムソンと言い、日本の禅とは修行方法が異なります。同じように、スリランカやタイやミャンマーの仏教における修行方法も違います。この地域の南伝仏教(テーラワーダ)は欧米に広まっていますので、Zenと区別するためにMeditation(瞑想)と呼ばれており、日本の仏教徒でもこれにならい、南伝仏教系の修行方法は「瞑想」と呼んでいます。
日本の「禅」もそうですが道教の影響の強い中国系の禅は「頓悟禅」と言いまして、悟りというのは何かのきっかけでパッと得られるようなものだと考えます。それに対し南伝仏教の瞑想は保守的な仏教のスタイルである二種類の瞑想を行い、段階的に悟りの境地に入っていくというスタイルです。
いわゆる「サマタ瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」の二種の瞑想がそれにあたります。
北伝仏教では〝止観〟として伝わっております。止観の止はサマタ瞑想を意味し、観はヴィパッサナー瞑想を意味します。
初期仏教では『唯識』は未だ解き明かされておらず、第六意識までの表層意識しか詳しく明かされておらず、初期仏典にもとづいて行われる瞑想は、もっぱら心を無の境地へと向かわせる「九次第定」が主流でした。
『唯識』は、初期大乗経典の『般若経』の「一切皆空」と『華厳経』十地品の「三界作唯心」の流れを汲んで、中期大乗仏教経典である『解深密経』『大乗阿毘達磨経』として確立した大乗仏教の根幹をなす体系で、無著・世親の兄弟によって大成されました。その唯識では第八識まで解き明かされ、大乗仏教では深層意識へ入ってく「止観法」が瞑想の主流となっていきます。
止観の「止」は心を無にする瞑想でこれをサマタ瞑想といい、「観」は観察する瞑想でヴィパッサナー瞑想と言います。
『摩訶止観』を顕した天台の智顗は『天台小止観』で、
「まさに知るべし、この二法は車の双輪、鳥の両翼のごとし。もし偏えに修習すれば、すなわち邪側に堕す」
と申しておりまして、この二つの瞑想を「車の双輪、鳥の両翼」に例えて同時に行う事の重要性を説いております。サマタ瞑想で五蘊の働きを停止させ、仏の空観に入る事で仏の意識をヴィパッサナー瞑想で観じ取っていく訳です。
ヴィパッサナー瞑想は本来、五蘊を空じて仏の空観へ入って仏の智慧を観じ取っていく瞑想なので、その前提として五蘊を空じる(止滅させる)サマタ瞑想が行われるべきものなのですが、上座部でこの二つの瞑想を別々に行ったりします。なぜかと言いますと、サマタ瞑想は感覚器官を全て停止させる瞑想であるのに対してヴィパッサナー瞑想は、対象をつぶさに観察することで気づきを得る瞑想と上座部では考えられております。この場合、二つの瞑想は相反する瞑想となります。観察するには感覚器官の働き(五蘊の働き)が必要不可欠となりますので。
これは初期仏教では未だ深層意識まで詳しく解き明かされていなかったがゆえの誤った瞑想の捉え方です。
初期仏典である「パーリ仏典」には「止」と「観」について次のように書かれております。
比丘たちよ、「止」を修習するとどんな利益を受けるのか。心が修習される。心を修習するとどんな利益を受けるのか。およそ貧が断じられる。比丘たちよ、「観」を修習するとどんな利益を受けるのか。慧が修習される。慧を修習するとどんな利益を受けるのか。およそ無明が断じられる。比丘たちよ、貧に染汚された心は解脱せず、無明に染汚された慧は修習されない。比丘たちよ、実に、貧を離れることから心解脱があり、無明を離れることから慧解脱がある。(AN. I, P.61.)
ここで注目して欲しいのは「慧」即ち智慧を修習すれば無明が断じらると申しております。凡夫の心というのは迷いの心でありそれを「元品の無明」といいます。迷いの凡夫の心から「仏の智慧」を観じとる事はまずもってあり得ません。そして「無明を離れることから慧解脱がある」とあります通り、凡夫の心(第六意識)を離れなくては仏の智慧を観じ得ません。
しかし、残念ながら小乗仏教では仏の空観へ入る術が未だ解明されていませんでした。
比丘たちよ、何を証知して諸法は断じられるべきか。(中略) 無明と有愛である。(中略)何を証知して諸法は現証されるべきか。明と解脱である。何を証知して諸法は修習されるべきか。止と観である。(SN. V, P.52.)
諸法を修習するには止と観、即ち「止観」による瞑想法に依るしかないんです。
「解脱」という言葉が出てきましたが、初期仏教では修行者の最高位を「阿羅漢」と言いますが、阿羅漢となる為にはこの解脱を習得しなければなりません。お釈迦さまの十大弟子の中に侍者として常にお釈迦さまの説法を聴いていた多聞第一と言われた阿難がおりますが、第1回の仏典結集のさい、結集への参加資格であった阿羅漢果を未だ得ていなかったので、釈迦の後継者であった摩訶迦葉は、阿難の参加を認めませんでした。しかし、仏典結集当日の朝に阿難は阿羅漢果に達して無事結集へ参加します。如是我聞で始まる経典の「我は仏陀からこのように聞いた」の多くはこの阿難が聞いた話であるとされています。
仏の諸法の説法は、このような阿羅漢達が解脱によって仏の空観(色界)に入って行きそこで聞いて来たお話が経典にまとめられていきます。もちろん阿難のように直接説法をお釈迦さまから聞いた話も経典化されておりますが、それは仮設の世界における説法であって「法」としての諸法の説法は、全て空観でなされているはずです。なぜなら法(真理)というものは〝言葉〟という概念から離れたところにあるものですから。
解りやすい例が、『唯識』の元となった『解深密経』は、弥勒が説いたと記録に残っております。弥勒は天上界の兜率天にいると説かれている菩薩です。
第一回仏典結集はお釈迦さまが入滅されて直ぐに開催されてますが、それぞれの経典が説かれた時期を確定するためには経典が説かれた場所、参席した大衆、周辺の状況、説法の内容等を漏れなく調べなければなりません。こちらの「崔 箕杓 論文」では、そういった事をふまえて次のように論を進めておられます。
https://www.min.ac.jp/img/pdf/labo-sh17_27L.pdf
おびただしい数の経典を読解して比較するという作業自体が恐ろしく膨大なものであり、歴史を記録しないインドの風土においてはそもそも歴史的な証拠というものは十分には残っていないので、非常に困難な作業となるであろう。それよりも説法の内容のなかに年齢や年月など具体的な時期を明らかにするセンテンス(文)が存在することが知られているから、それらを根拠とするほうが、量的には多くはないとはいえ客観性が高いと言うことができよう。(P.28)
そういった趣旨で崔氏は、天台教判である、「華厳・鹿苑・方等・法華・涅槃」の経典が説かれた時期によって分類分けされた五時説をまず検証されています。
天台の教判のうち五時説は、経典(群)が説かれたおおよその時期を手がかりとして説法の目的を明らかにしようとするものであり、これに対する理解が確立されれば、膨大な経典を読解し意味を把握するにあたって大きな助けを得ることができる。ただしそのためには、この時期ごとの分類がどのような根拠から成立したものであるのか、妥当性があるのかどうかが問題となるであろう。また分類が妥当であるとしても、その次には各時期ごとの特徴が何であるのかを正確に把握する必要がある。(P.28)
五時の第一はお釈迦さまが正覚された直後に説かれた『華厳経』です。
この経典の説時は冒頭において明らかに記されています。
このように私は聞いた。ある時、仏陀は摩竭提国の寂滅道場におられ、初めて正覚を成し遂げられた。
釈尊が摩竭提国菩提樹下の寂滅道場において初めて正覚を成し遂げた直後に、この経典が説かれたことは明らかである。『華厳経』は場所を移しながら説法がなされている。旧訳である『六十華厳』によれば、最初の「世間浄眼品」から「盧舎那仏品」第二までは正覚を成就したその場で説法がなされ、「如来名号品」第三から「賢首菩薩品」第八までは普光法堂において、文殊菩薩が他の菩薩達と主に「信」について問答するという形式で説法がなされている。「仏昇須弥頂品」第九以後は、仏陀が菩提樹から離れないまま須弥山の頂上の忉利天に昇って「明法品」第十四までの説法がなされるが、この時には法慧菩薩が他の菩薩や帝釈天と問答形式によって十住菩薩の法を説く。「仏昇夜摩天宮自在品」第十五から「菩薩十無尽蔵品」第十八までは、さらに夜摩天に昇って功徳林菩薩が十行菩薩の法を説き、「如来昇兜率天宮一切宝殿品」第十九から「金剛幢菩薩十廻向品」第二十一までは、兜率天において金剛幢菩薩が十廻向地に位する菩薩の修行内容を説く。さらに仏陀が欲界の頂上である他化自在天に昇った後、金剛蔵菩薩が十地菩薩の法を説き、普賢菩薩等が菩薩の十種の神通等を説く部分が、「十地品」第二十二から「宝王如来性起品」第三十二までである。「離世間品」第三十三の説法の場所は、再び普光法堂である。善財童子が五十三の善知識と順番に出会い、法界に入っていく過程が旅行記のように描かれている最後の「入法界品」第三十四は、それ以前の諸品とは異なって仏陀が舎衛国の給孤独園に住しており、声聞衆もその場にいる。『六十華厳』ではこのように七つの場所において八つの法会が開かれるので、『華厳経』の七処八会の説法と呼ぶのである。(P.29-P.30)
こちらで三界図が紹介されておりますのでご参照ください。
https://kknews.cc/zh-hk/fo/b4x59e6.html
そして崔氏は、この『華厳経』の特徴として次のような内容をあげております。
「入法界品」を除いて、華厳時の説法には他の経典とは異なる顕著な特徴がある。第一に、「仏昇須弥頂品」第九以後は天界を上昇しながら場所が変わっていくが、「その時、世尊は威神力によって、この座から起き上がることなく、須弥山の頂上へ昇り、帝釈の宮中へと向かった」、「その時、世尊は威神力によって、菩提樹と帝釈宮とを離れることなく、夜摩天の宝荘厳殿へ向かった」というセンテンス(文)に見られるとおり、実際には釈尊は正覚を得た菩提樹から少しも動いていないと説明されている点である。第二に、法会の参席者だけでなく説法の主体が大部分、菩薩達であるという点である。ただし菩薩達は「仏陀の神通力を承けて(承佛神力)」三昧に入り、三昧から出た後に法を説く。つまり自身の智慧によって自ら説くのではなく、仏陀の智慧にインスパイア(刺激)され、仏陀の代わりに説法をするのである。このような内容は、華厳時の説法が人間界の日常的な言語伝達方式、つまり肉声を通したものではないということを示唆している。(P.30)
釈迦が正覚して行った説法は人間界の日常的な言語伝達方式、つまり肉声を通したものではなかった事がこの『華厳経』の内容から読み取れます。お釈迦さまは五蘊を空じて正覚しておりますので当然「しゃべる」という行為から離れております。(五蘊皆空)
しかし、未だ自己性は備えておりますので説法をします。
これは仏といえども未だ自我を備えもっているという事になります。自我(自己性)が有るから衆生を救いたいという慈悲の心も起こります。
仏には未だ自我は意識として備わっております。
ここのところが分からない人達は、仏は全ての煩悩を滅しているので自我は無いと思い込みます。そしてそれが「無我」という境地だと勘違いします。そのようにお偉い学者さん達が勘違いし、そういった解説本や仏教用語解説辞書などを世に出し、それをもとに今日ではウィキペディアなどにもその勘違いによる解釈があたかも正しいかのように世の中に弘まってしまってます。
間違いだらけの仏教の常識
https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/16
お釈迦さまは仏教の重要概念である〝空〟を「無我」という角度から説かれました。ですから初期仏教では、「自我」を滅した寂滅の境地を目指します。煩悩を断ち、身も心も無に帰す「灰身滅智」が理想の境地とされました。
仏とは果たしてそのような寂滅の境地を言うのでしょうか。
全てが無であるならばそこには自他の区別は起こりません。いわゆる「無分別」の覚りの境地ですが、自他の分別がない境地にあって他を救いたいという自身の存在があり得るのでしょうか。
実は仏と言えども自我は存在しております。
人間の意識は『唯識』で言えば第六意識となります。五蘊の働きの中の「色・受・想・行・識」の最後の「識」がこの第六表層意識となります。五蘊を全て空じている仏にあってはこの凡夫の表層意識は止滅しています。「人間の意識」は前五識(五つの感覚器官)を対象として起こる意識ですが、その表層の第六意識を空じることで深層の第七意識が意識として顕れてきます。この第七深層意識の事を「末那識」と呼びます。
ここに〝自我意識〟が潜んでおります。
この自我の存在を詳しく解き明かしているのが『唯識』です。
お釈迦様が「無我」を説き、 ---(仮諦)
龍樹が「空」を解き明かし、 ---(空諦)
世親が「唯識」を解明します。---(中諦)
こちらで四諦の「三転法輪」のお話をしておりますが、
三転法輪
https://zawazawa.jp/bison/topic/14
初転法輪にあたる蔵教では、実体に即した四諦が説かれます。ここでの瞑想は寂滅を目的とした九次第定(サマタ瞑想)です。上座部ではヴィパッサナー瞑想も実践しますがサマタとは別々に行われます。初期仏教では『倶舎論』に見られるように対象を細分化することで仮和合なる縁起によって実体が立ち上がって見えるといった「此縁性縁起」による空の理解(析空)です。
通教の第二法輪で更に詳しく空が『般若経典』で説き明かされていきます。ここでは主観を空じた縁起が龍樹によって「相依性縁起」として解き明かされます(体空)。
この段階で瞑想の有り方も進化します。
それまではただひたすら寂滅を目指すのみだった九次第定の瞑想から、〝逆観〟という相依性の縁起を起こす事で阿頼耶識に眠っている過去の因果を深層意識で観じ取っていきます。それがサマタとヴィパッサナーの二種の瞑想を同時に行う「止観」による瞑想です。サマタ瞑想で五蘊を停止させ第六意識を止滅させて第七末那識へ意識を向かわせます。いわゆる「従仮入空観」で仏の空観(天上界)に入りそこでヴィパッサナー瞑想で〝仏との因縁〟(三周の説法参照)を観じ取っていきます。
そうやって空観(天上界)で仏の意識を観じ取っていったのが>> 4と>> 5の「崔 箕杓 論文」で紹介されている内容です。
しかしこの瞑想(止観法)で解脱出来た阿羅漢は>> 3の阿難の話から考えましてもそんなには居なかっただろうと考えられます。世親の兄である無著ですら解脱出来ずに自殺しようとしたと言い伝えられている程ですから。
初期仏教ではお釈迦さまが説かれた教えの初歩的内容(初転法輪)しか理解に至っておらず「空」においても『俱舎論』で理解する「析空」でしかありません。その為、修行法としての瞑想で十八種類の諸法を空じていかなければなりません。これを「十八空」と言います。
ブログ『福聚講』で、大智度論の「十八空」を紹介されてます。
引用させて頂きますと次のような内容になります。
(1)内空(ないくう):眼耳鼻舌身意の六根は空である。
(2)外空(げくう):色声香味触法の六境は空である。
(3)内外空(ないげくう):内の六入(眼耳鼻舌身意)、外の六入(色声香味触法)は空である。
(4)空空(くうくう):空ということも空である。
(5)大空(だいくう):十方世界は空である。
(6)第一義空(だいいちぎくう):涅槃も空である。
(7)有為空(ういくう):三界は空である。
(8)無為空(むいくう):生住滅を離れた世界も空である。
(9)畢竟空(ひっきょうくう):諸法の至竟不可得の世界も空。
(10)無始空(むしくう):無始から存在するものも空である。
(11)散空(さんくう):法として存在するものも空である。
(12)性空(しょうくう):自性は空である。
(13)自相空(じそうくう):諸法の相も空である。
(14)諸法空(しょほうくう):諸法は空である。
(15)不可得空(ふかとくくう):諸法の自性は求めても得られないということも空である。
(16)無法空(むほうくう):法が無であるということも空である。
(17)有法空(うほうくう):法があるということも空である。
(18)無法有法空(むほううほうくう):法が有るということも無いということも空である。
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『俱舎論』によれば、
「法の種族の義、是れ界の義なり。一の山中に、多くの銅・鉄・金・銀等の族あるを説きて、多界と名くるが如く、是くの如く一身、或は一相続に十八類の諸法の種族有るを十八界と名づく」(正蔵二九・五上)
とありまして、あたかも一つの山が多種の鉱石から成り立っているように、我々の身心は十八種の法から成り立っていると説かれております。その十八の法は心身の構成要素なので「十八界」と呼ばれます。そして『阿含経典』において「無常」や「無我」を説き示すにあたり頻繁に用いられます。さらに『大般若経』においては五蘊や十二処と共に十八界を空と見ることが繰り返し説かれております。
教えと言いますのは、高度な教え程、修行はより簡素化されていきます。
なぜかと言いますと教えそのものが優れているからです。例えば今紹介しました「十八空」も蔵教の『俱舎論』では瞑想で空じていきますが、円教の『法華経』では教えで空じておりますので修行者はその教えである「経」を唱えるだけで、仮観→空観→中観といった意識の変化が起こります。
智顗の『摩訶止観』の注釈書に妙楽大師の『摩訶止観輔行伝弘決』というのがありまして、その中に「教弥実位弥下」という文句があります。解釈しますと次のようになります。
「正しく権実を判ず、教弥実なれば位弥下る。教弥権なれば位弥高し」
要訳しますと、教えが真実に近づくほど、それを行じる修行の段階はより低くなっていくといった事です。
この事を日蓮大聖人が『四信五品抄』の中で詳しく述べられておりますので現代語訳でご紹介致します。
質問する。末法時代に入って、初めて覚りを求める心を起こした修行者は、例外なく円教の戒・定・慧の三学を全て実践する必要があるのか。
答える、このことは、重要なことであるので、経文と考え合わせ、必要な個所を取り出して、あなたに送る。すなわち、五品のうち初品・第二品・第三品では、仏は紛れもなく戒と成という二つのものを制止して、修行の内容をひたすら慧も実践できなければ、信を慧の代わりとし、信という一字を究極としている。不信は一闡堤や謗法の原因であるのに対し、信は慧の原因であり、名字即の位である。
天台大師は次のように述べている。「相似即の利益を得た場合、一度死んで次に生まれても忘れることはない。名字即や観行即の利益では、次に生まれた時に、忘れてしまうが、忘れない場合もある。忘れた者も、正しく導いてくれる者に遭遇すれば、過去世の善い行いが再び効力を発揮する。もし悪へと導く者に遭遇すれば、もともとあった善の心を失ってしまう」と。
はばかりながら、少し前の天台宗の慈覚大師円仁・智証大師円珍のお二人も、天台大師・伝教大師という正しく導いてくれる人に背いて、善無畏や不空などといった悪へと導く者に心が移ったのであろう。釈尊の時代から遠く離れた現代の学者は、慧心僧都源信の『往生要集』の序分にたぶらかされて、もともとあった法華経を信じる心を失い、阿弥陀仏を信じる一時的な教えへと入っていく。「大乗から退き、小乗を取る」と言われる者たちであった。
過去世のことから推しはかると、未来には無量劫にわたって、三悪道に生まれることになるだろう。「もし悪へと導く者に遭遇すれば、もともとあった善の心をうしなってしまう」とは、このことである。
質問する。その証拠はどのようなものか。
答える。『摩訶止観』第六巻には、法華経より前の教えで、それを行ずる者の修行の段階が高い理由は、真実に導く手だてとしての教説だからである。完全な教えで行ずる者の修行の段階が低いのは、真実の教説だからである」とある。
『止観輔行伝弘決』では、これを注釈して「『前の教えで』以下は、一時的な教えと真実な教えを判別するものである。教えが真実に近づけば近づくほど、それを行ずる者の修行段階は低くなり、教えが一時的なものになればなるほど、修行段階は高くなるからである」としている。
また、『法華文句記』第九巻には「修行段階を判定するという箇所では、観察する対象が深くなればなるほど、真実の教えにおける修行段階ではそれだけ低くなることを明らかにしている」とある。
末法においては、最高峰の教えである『法華経』が声聞・縁覚・菩薩といった三乗の智慧によって解き明かされます。その時代にあって瞑想を修行として実践しても輪廻からの解脱を目的とする「無余涅槃」は得られても、覚りを得る「有余涅槃」を得る事はありません。
有余涅槃は「無漏の種子」を備えた本已有善の修行者が仏との過去の因縁を観じ取っていく中で覚りの境地を現実の世界の中で開き顕していく涅槃だからです。そこのところはこちらで詳しくお話させて頂いておりますのでご覧になられてない方は是非目を通されてみて下さい。
法介のほ~『法華経』その③
https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/17