法介
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2023/09/30 (土) 09:34:58
初期仏教では『唯識』は未だ解き明かされておらず、第六意識までの表層意識しか詳しく明かされておらず、初期仏典にもとづいて行われる瞑想は、もっぱら心を無の境地へと向かわせる「九次第定」が主流でした。
『唯識』は、初期大乗経典の『般若経』の「一切皆空」と『華厳経』十地品の「三界作唯心」の流れを汲んで、中期大乗仏教経典である『解深密経』『大乗阿毘達磨経』として確立した大乗仏教の根幹をなす体系で、無著・世親の兄弟によって大成されました。その唯識では第八識まで解き明かされ、大乗仏教では深層意識へ入ってく「止観法」が瞑想の主流となっていきます。
止観の「止」は心を無にする瞑想でこれをサマタ瞑想といい、「観」は観察する瞑想でヴィパッサナー瞑想と言います。
『摩訶止観』を顕した天台の智顗は『天台小止観』で、
「まさに知るべし、この二法は車の双輪、鳥の両翼のごとし。もし偏えに修習すれば、すなわち邪側に堕す」
と申しておりまして、この二つの瞑想を「車の双輪、鳥の両翼」に例えて同時に行う事の重要性を説いております。サマタ瞑想で五蘊の働きを停止させ、仏の空観に入る事で仏の意識をヴィパッサナー瞑想で観じ取っていく訳です。
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