教えと言いますのは、高度な教え程、修行はより簡素化されていきます。
なぜかと言いますと教えそのものが優れているからです。例えば今紹介しました「十八空」も蔵教の『俱舎論』では瞑想で空じていきますが、円教の『法華経』では教えで空じておりますので修行者はその教えである「経」を唱えるだけで、仮観→空観→中観といった意識の変化が起こります。
智顗の『摩訶止観』の注釈書に妙楽大師の『摩訶止観輔行伝弘決』というのがありまして、その中に「教弥実位弥下」という文句があります。解釈しますと次のようになります。
「正しく権実を判ず、教弥実なれば位弥下る。教弥権なれば位弥高し」
要訳しますと、教えが真実に近づくほど、それを行じる修行の段階はより低くなっていくといった事です。
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