しかしこの瞑想(止観法)で解脱出来た阿羅漢は>> 3の阿難の話から考えましてもそんなには居なかっただろうと考えられます。世親の兄である無著ですら解脱出来ずに自殺しようとしたと言い伝えられている程ですから。
初期仏教ではお釈迦さまが説かれた教えの初歩的内容(初転法輪)しか理解に至っておらず「空」においても『俱舎論』で理解する「析空」でしかありません。その為、修行法としての瞑想で十八種類の諸法を空じていかなければなりません。これを「十八空」と言います。
ブログ『福聚講』で、大智度論の「十八空」を紹介されてます。
引用させて頂きますと次のような内容になります。
(1)内空(ないくう):眼耳鼻舌身意の六根は空である。
(2)外空(げくう):色声香味触法の六境は空である。
(3)内外空(ないげくう):内の六入(眼耳鼻舌身意)、外の六入(色声香味触法)は空である。
(4)空空(くうくう):空ということも空である。
(5)大空(だいくう):十方世界は空である。
(6)第一義空(だいいちぎくう):涅槃も空である。
(7)有為空(ういくう):三界は空である。
(8)無為空(むいくう):生住滅を離れた世界も空である。
(9)畢竟空(ひっきょうくう):諸法の至竟不可得の世界も空。
(10)無始空(むしくう):無始から存在するものも空である。
(11)散空(さんくう):法として存在するものも空である。
(12)性空(しょうくう):自性は空である。
(13)自相空(じそうくう):諸法の相も空である。
(14)諸法空(しょほうくう):諸法は空である。
(15)不可得空(ふかとくくう):諸法の自性は求めても得られないということも空である。
(16)無法空(むほうくう):法が無であるということも空である。
(17)有法空(うほうくう):法があるということも空である。
(18)無法有法空(むほううほうくう):法が有るということも無いということも空である。
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『俱舎論』によれば、
「法の種族の義、是れ界の義なり。一の山中に、多くの銅・鉄・金・銀等の族あるを説きて、多界と名くるが如く、是くの如く一身、或は一相続に十八類の諸法の種族有るを十八界と名づく」(正蔵二九・五上)
とありまして、あたかも一つの山が多種の鉱石から成り立っているように、我々の身心は十八種の法から成り立っていると説かれております。その十八の法は心身の構成要素なので「十八界」と呼ばれます。そして『阿含経典』において「無常」や「無我」を説き示すにあたり頻繁に用いられます。さらに『大般若経』においては五蘊や十二処と共に十八界を空と見ることが繰り返し説かれております。