更にいいこと閃いた!
準備に取り掛かろう
エロ和尚がつられそうな気もするが、、、
ニコるんをおびき出す為に、あいつが喜びそうなCMも入れとこっと
Talk 掲示板宗教板のブキペディア https://zawazawa.jp/Bukipedia/
おおおー! 良い事、閃いた!
トピック名また変えようっと
釣られて晃がこんな感じで登場する
馬ちゃんとニコるんの
ヨーガコンビのツートップ
夢のタイアップ
OK! ほな皆でRXリダン言うてくれますか!
言うても、ぼーさつさん、
意味分からんやろなー
和尚の為にこれも張っておこう
あいつの場合は波動砲だけどな^^
ニコるんがこんなのを立てやがった。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13306723143
お前も一緒に去れ!
と言われるのがオチだろ^^
読みが甘いんだよおまえは、、、
これならしっくりくるな
トピックのタイトル名変えたいなー
何にしよう、、、
良い感じで替え歌が出来た^^
今日か明日には、 優しいぼーさつさんが俺を留置場から引き取るさ でも、ブン屋に話が漏れちまうだろ! お偉い司祭様が来て、俺の釈放を頼んでくれる頃には、 知恵袋でKarさんとsanさんが大喜びしてるだろうよ!
いいんだ、俺は俺のやりたいようにやる 先の事なんざ、知ったこっちゃねえよ! 俺の人生さ 気の向くままに生きるぜ、 どこに向かうのか解らないけどな^^
グッバイ! ニコるん、 ぼーさつさんはコロナの女王さ またいつか会おう、ボクとニコるんと知恵袋で またいつか会おう、ボクとニコるんと知恵袋で
zenさんは俺を見下ろして、地面につばを吐いた
「お前が何かしでかす度に、滅茶苦茶言われんだぞ!」
samジィは言ったそうだ
「あのクソ餓鬼、留置場でとっちめてやる!」
ヘッ、俺は俺のやりたいようにやる 先の事なんざ、知ったこっちゃねえよ! 俺の人生さ 気の向くままに生きるぜ、 どこに向かうのか解らないけどな^^
サイモン&ガーファンクルの『僕とフリオと校庭で』の替え歌です。
必ず音楽を再生して聞きながら読んでください
(雰囲気も大事なんです!)
『法介とニコるんが知恵袋で』 ぼーさつさんはパジャマのまま、 ベッドから転げ落ちるように 警察に駆けつけた samジィは俺の顔を見たとたん、 大声を出して拷問攻めさ
「それは犯罪だ、犯罪なんだぞ!」 「ぼーさつさんが見たこと、それは犯罪だぞ」
おし、準備完了。
えー、本日は晴天なり♪
日蓮大聖人は、紹介しました御文の最後で、このように言われております。
「身を十方法界の国土にいきわたらせ、心を一切有情の身中に入れて、内からは勧発し、外からは引導して、内外相応じ、因縁和合して自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞りがないであろう。」
もはや秘すべき内容もない今の世です。
一人でも多くの人に、このご本尊に縁させてあげたいという慈悲の心で曼荼羅本尊を公開する行為が、謗法だとは私は思いません。
自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞りがないご本尊なのですから。
ご本尊を写真に撮ってはいけないという教えも、
実はこういった秘められた実情があったのです。 https://syozou.blog.jp/archives/19133565.html
そういう時代の流れの中で出版された『三大秘法義』なのです。日蓮さんの時代は、宗門の教義を他宗が盗みとって自宗の教学に組み込むような行為が頻繁に行われていた時代です。既に宗旨が広く世間が知る事となった現代において「秘すべく内容」は、なくなった訳です。
在家が出家僧侶以上に教学を学ぶ時代が訪れたのです。
そういった時代の流れの中で、第五十九世堀日亨上人は、『富士宗学全集』全134巻から極力正系の資料を抄録した『富士宗学要集』全10巻を創価学会と共同出版された。
<参考文献> https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2022/01/05/000000 http://mikacolove.blog.fc2.com/blog-entry-27.html
それは時代が変わったからです。
創価学会が世に出現し、日蓮仏法が、民衆に根差した仏教として一気に世間に広まって行きました。
その創価学会では、それまで出家僧しか知り得なかった宗旨を会員に「仏教教学」として徹底的に教えこみ、個々人の〝信心〟をより強固なものへと構築させていきました。
元々創価学会は、教職員の学会として立ち上がった組織でしたので「教える」事に関しては専門家です。難解な仏教の教えも、彼らの明晰な頭脳と信仰で培われた信心とで、宗門で教える教学をあっというまに上回っていきました。
宗門の僧侶達が学会教学を学ぶようなあり様にさえなっていったのです。
この『三大秘法義』の著者は、
日蓮正宗総本山・大石寺の第67世法主を務めた日顕上人猊下です。
では、どうして時の法主が
この「総の三諦の教相」を世間に向けて公開されたのか。
日蓮正宗の『三大秘法義』の315ページから316ページに「三三九諦の相」として次の説明文と共に掲載されております。
「空・仮・中の三諦が円融である故に、各々にさらに三諦を具える義が成立する。すなわち、空諦の空は泯有の意、空諦の仮は立空の意、空諦の中は泯立融法の意であり、仮諦の空は泯空の意、仮諦の仮は立有の意、仮諦の中は泯立融法の意である。また、中諦の空は双泯空有の意であり、中諦の仮は双立空有の意、中諦の中は双遮双容の意である。ここに、三三九諦の相がある。 この九諦につき、空諦泯法の意としましては、泯有の空、泯空の空、双泯空有の空がある。次に、仮諦立法の意としては、立空の仮、立有の仮、双立空有の仮となる。次に、中諦容法の意としては、空においての泯立融法の中、仮においての泯立融法の中、双遮双容の中となる。この空諦泯法、仮諦立法、中諦容法がそのまま円融であり、元の三諦と開合の関係において互融するのである」
なぜそうなったかと言いますと、この総の三諦の教相が世間に向けて公開されたからです。
「この法門は秘蔵して他人に見せてはならない。」
と大聖人は大変強いお言葉で言いつけておられます。
にも関わらず、この総の三諦の教相は今日、このように世間一般の目にふれる事となっております。
この部分を分かりやすく現代語に訳しますと次のようになります。
この三諦を丸めて一つにするのを総の三諦というのである。この総の三諦はまた三身即一の本覚の如来である。また寂光土を鏡にたとえ、同居土と方便土と実報土の三土を鏡に映る像にたとえる。四土も一土である。三身もその体は一仏である。法華経では、この三身と四土とが和合して仏の一体の徳であるのを寂光の仏というのである。この寂光の仏をもって円教の仏となし、円教の仏をもって寤の実仏となすのである。他の三土の仏は夢中の権仏である。
以上述べたことは、三世の諸仏が同じ語をもって勘文した総の教相であるから、人の言葉を入れる余地もなく、会通会釈も必要ない。もしこの仏説に違うならば、三世の諸仏に背きたてまつる大罪の人であり、天魔外道である。
なんとなれば、このような人々は永く仏法に背くからである。この法門は秘蔵して他人に見せてはならない。もし秘蔵することなく、みだりにこれを披露するならば、仏法の奥義を証することなく、現当の二世に冥加を蒙ることがないであろう。万一誹謗する人が出てくるならば、三世の諸仏に背くことになるから、謗ずる者も披露した者も、二人ともどもに悪道に堕ちるということを知っているゆえに、みだりに見せることを戒めるのである。
ゆえに心ある者はよくよくこれを秘蔵して、深く妙法の理を証し、三世の諸仏の御本意にかない、二聖・二天・十羅刹女等の擁護を受け、滞りなく上上品の寂光世界に往生を遂げ、たちまちの間に九界生死の夢のなかに帰ってきて、身を十方法界の国土にいきわたらせ、心を一切有情の身中に入れて、内からは勧発し、外からは引導して、内外相応じ、因縁和合して自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞りがないであろう。
『三世諸仏総勘文教相廃立』では、次のような文章へ続きます。
永く仏法に背くが故に之を秘蔵して他人には見せざれ若し秘蔵せずして妄りに之を披露せば仏法に証理無く二世に冥加無からん謗ずる人出来せば三世の諸仏に背くが故に二人乍ら倶に悪道に堕んと識るが故に之を誡むるなり、能く能く秘蔵して深く此の理を証し三世の諸仏の御本意に相い叶い二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍し心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず。
図の左側の仮諦・空諦・中諦の三諦が総の三諦となります。三諦の各々が更に「仮・空・中」を具えているので〝総〟の三諦と大聖人は言われている訳です。
ここで日蓮大聖人が言われております「総の三諦」と言いますのは、こちらに示されている三諦となります。
『三世諸仏総勘文教相廃立』に次のようにあります。
此の総の三諦は三身即一の本覚の如来なり又居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う寂光の仏を以て円教の仏と為し円教の仏を以て寤の実仏と為す余の三土の仏は夢中の権仏なり、此れは三世の諸仏の只同じ語に勘文し給える総の教相なれば人の語も入らず会釈も有らず若し之に違わば三世の諸仏に背き奉る大罪の人なり天魔外道なり
フラッシュモブ(僕の誕生日編)
フラッシュモブ
カンヌ映画祭 銅賞って、まじ?
和尚の最新作
>> 11の「始成の三身」は別教の三種三観の相>> 8となります。(華厳経)
『法華経』に至って明かされる「五百塵点劫の法門」である「久成の三身」が如何なる法門であるかをこちらで詳しくお話しておりますので宜しかったらご覧くださいませ。
無為法(一念三千の法門) https://zawazawa.jp/bison/topic/25
色界に禅定で入る「定静慮」と転生で生まれいずる「生静慮」の二種があることは既にお話したかと思います。
間違いだらけの仏教の常識 https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/16
定静慮で色界禅定で色界に入り、次に無色界禅定で無色界へ入る「九次第定」は無余涅槃を得る為に行う瞑想です。無余涅槃ですので六道から離れて無色界へ転生(生まれいずる)します。無色界では肉体は伴わないので正真正銘の「無色」です(生静慮)。
日蓮大聖人の『撰時抄』に次のような下りがあります。
阿私陀仙人が悉達太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く現生には九十にあまれり太子の成道を見るべからず後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつらなるべからず正像末にも生るべからずとなげきしがごとし
「無色界に生れて」と書かれております。
これは阿私陀仙人が生静慮で無色界に転生した為、悉達太子(釈迦の出家前の名前)が成道して説法する坐につらなることができなかった事を嘆いたという説明をされている御文になります。
更にいいこと閃いた!
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俺の人生さ
気の向くままに生きるぜ、
どこに向かうのか解らないけどな^^
グッバイ! ニコるん、
ぼーさつさんはコロナの女王さ
またいつか会おう、ボクとニコるんと知恵袋で
またいつか会おう、ボクとニコるんと知恵袋で
グッバイ! ニコるん、
ぼーさつさんはコロナの女王さ
またいつか会おう、ボクとニコるんと知恵袋で
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サイモン&ガーファンクルの『僕とフリオと校庭で』の替え歌です。
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ぼーさつさんはパジャマのまま、
ベッドから転げ落ちるように
警察に駆けつけた
samジィは俺の顔を見たとたん、
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「ぼーさつさんが見たこと、それは犯罪だぞ」
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えー、本日は晴天なり♪
日蓮大聖人は、紹介しました御文の最後で、このように言われております。
「身を十方法界の国土にいきわたらせ、心を一切有情の身中に入れて、内からは勧発し、外からは引導して、内外相応じ、因縁和合して自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞りがないであろう。」
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一人でも多くの人に、このご本尊に縁させてあげたいという慈悲の心で曼荼羅本尊を公開する行為が、謗法だとは私は思いません。
自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞りがないご本尊なのですから。
ご本尊を写真に撮ってはいけないという教えも、
実はこういった秘められた実情があったのです。
https://syozou.blog.jp/archives/19133565.html
そういう時代の流れの中で出版された『三大秘法義』なのです。日蓮さんの時代は、宗門の教義を他宗が盗みとって自宗の教学に組み込むような行為が頻繁に行われていた時代です。既に宗旨が広く世間が知る事となった現代において「秘すべく内容」は、なくなった訳です。
在家が出家僧侶以上に教学を学ぶ時代が訪れたのです。
そういった時代の流れの中で、第五十九世堀日亨上人は、『富士宗学全集』全134巻から極力正系の資料を抄録した『富士宗学要集』全10巻を創価学会と共同出版された。
<参考文献>
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2022/01/05/000000
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それは時代が変わったからです。
創価学会が世に出現し、日蓮仏法が、民衆に根差した仏教として一気に世間に広まって行きました。
その創価学会では、それまで出家僧しか知り得なかった宗旨を会員に「仏教教学」として徹底的に教えこみ、個々人の〝信心〟をより強固なものへと構築させていきました。
元々創価学会は、教職員の学会として立ち上がった組織でしたので「教える」事に関しては専門家です。難解な仏教の教えも、彼らの明晰な頭脳と信仰で培われた信心とで、宗門で教える教学をあっというまに上回っていきました。
宗門の僧侶達が学会教学を学ぶようなあり様にさえなっていったのです。
この『三大秘法義』の著者は、
日蓮正宗総本山・大石寺の第67世法主を務めた日顕上人猊下です。
では、どうして時の法主が
この「総の三諦の教相」を世間に向けて公開されたのか。
日蓮正宗の『三大秘法義』の315ページから316ページに「三三九諦の相」として次の説明文と共に掲載されております。
「空・仮・中の三諦が円融である故に、各々にさらに三諦を具える義が成立する。すなわち、空諦の空は泯有の意、空諦の仮は立空の意、空諦の中は泯立融法の意であり、仮諦の空は泯空の意、仮諦の仮は立有の意、仮諦の中は泯立融法の意である。また、中諦の空は双泯空有の意であり、中諦の仮は双立空有の意、中諦の中は双遮双容の意である。ここに、三三九諦の相がある。
この九諦につき、空諦泯法の意としましては、泯有の空、泯空の空、双泯空有の空がある。次に、仮諦立法の意としては、立空の仮、立有の仮、双立空有の仮となる。次に、中諦容法の意としては、空においての泯立融法の中、仮においての泯立融法の中、双遮双容の中となる。この空諦泯法、仮諦立法、中諦容法がそのまま円融であり、元の三諦と開合の関係において互融するのである」
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この部分を分かりやすく現代語に訳しますと次のようになります。
この三諦を丸めて一つにするのを総の三諦というのである。この総の三諦はまた三身即一の本覚の如来である。また寂光土を鏡にたとえ、同居土と方便土と実報土の三土を鏡に映る像にたとえる。四土も一土である。三身もその体は一仏である。法華経では、この三身と四土とが和合して仏の一体の徳であるのを寂光の仏というのである。この寂光の仏をもって円教の仏となし、円教の仏をもって寤の実仏となすのである。他の三土の仏は夢中の権仏である。
以上述べたことは、三世の諸仏が同じ語をもって勘文した総の教相であるから、人の言葉を入れる余地もなく、会通会釈も必要ない。もしこの仏説に違うならば、三世の諸仏に背きたてまつる大罪の人であり、天魔外道である。
なんとなれば、このような人々は永く仏法に背くからである。この法門は秘蔵して他人に見せてはならない。もし秘蔵することなく、みだりにこれを披露するならば、仏法の奥義を証することなく、現当の二世に冥加を蒙ることがないであろう。万一誹謗する人が出てくるならば、三世の諸仏に背くことになるから、謗ずる者も披露した者も、二人ともどもに悪道に堕ちるということを知っているゆえに、みだりに見せることを戒めるのである。
ゆえに心ある者はよくよくこれを秘蔵して、深く妙法の理を証し、三世の諸仏の御本意にかない、二聖・二天・十羅刹女等の擁護を受け、滞りなく上上品の寂光世界に往生を遂げ、たちまちの間に九界生死の夢のなかに帰ってきて、身を十方法界の国土にいきわたらせ、心を一切有情の身中に入れて、内からは勧発し、外からは引導して、内外相応じ、因縁和合して自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞りがないであろう。
『三世諸仏総勘文教相廃立』では、次のような文章へ続きます。
永く仏法に背くが故に之を秘蔵して他人には見せざれ若し秘蔵せずして妄りに之を披露せば仏法に証理無く二世に冥加無からん謗ずる人出来せば三世の諸仏に背くが故に二人乍ら倶に悪道に堕んと識るが故に之を誡むるなり、能く能く秘蔵して深く此の理を証し三世の諸仏の御本意に相い叶い二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍し心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず。
図の左側の仮諦・空諦・中諦の三諦が総の三諦となります。三諦の各々が更に「仮・空・中」を具えているので〝総〟の三諦と大聖人は言われている訳です。
ここで日蓮大聖人が言われております「総の三諦」と言いますのは、こちらに示されている三諦となります。
『三世諸仏総勘文教相廃立』に次のようにあります。
此の総の三諦は三身即一の本覚の如来なり又居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う寂光の仏を以て円教の仏と為し円教の仏を以て寤の実仏と為す余の三土の仏は夢中の権仏なり、此れは三世の諸仏の只同じ語に勘文し給える総の教相なれば人の語も入らず会釈も有らず若し之に違わば三世の諸仏に背き奉る大罪の人なり天魔外道なり
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和尚の最新作
>> 11の「始成の三身」は別教の三種三観の相>> 8となります。(華厳経)
『法華経』に至って明かされる「五百塵点劫の法門」である「久成の三身」が如何なる法門であるかをこちらで詳しくお話しておりますので宜しかったらご覧くださいませ。
無為法(一念三千の法門)
https://zawazawa.jp/bison/topic/25
色界に禅定で入る「定静慮」と転生で生まれいずる「生静慮」の二種があることは既にお話したかと思います。
間違いだらけの仏教の常識
https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/16
定静慮で色界禅定で色界に入り、次に無色界禅定で無色界へ入る「九次第定」は無余涅槃を得る為に行う瞑想です。無余涅槃ですので六道から離れて無色界へ転生(生まれいずる)します。無色界では肉体は伴わないので正真正銘の「無色」です(生静慮)。
日蓮大聖人の『撰時抄』に次のような下りがあります。
阿私陀仙人が悉達太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く現生には九十にあまれり太子の成道を見るべからず後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつらなるべからず正像末にも生るべからずとなげきしがごとし
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これは阿私陀仙人が生静慮で無色界に転生した為、悉達太子(釈迦の出家前の名前)が成道して説法する坐につらなることができなかった事を嘆いたという説明をされている御文になります。