この投稿内容がYahoo!知恵袋で投稿できない理由を考えると、以下の点が原因となる可能性があります。
1. 内容が規約違反に該当している可能性
Yahoo!知恵袋の利用規約では、以下の内容が禁止されています:
- 広告や宣伝目的の投稿(ネット仮想政党の立ち上げはこれに該当する可能性があります)。
- 意味不明、またはジョークのように見える投稿(「ジョークだと思って記憶から消してほしい」などの記載があるため)。
- 公序良俗に反する内容や、性的なニュアンスを含む可能性がある表現(「スケベ心」などの文言が問題になる可能性)。
これらの理由で自動検知システムにより投稿がブロックされている可能性があります。
2. NGワードの使用
Yahoo!知恵袋では、特定のキーワードが投稿を制限されるトリガーとなることがあります。
- 「女性だってセールぐらいやりますよ」などのフレーズが誤解を招く表現として引っかかる可能性があります。
- 「スケベ心」や「覚醒」といった単語が、不適切と判断される可能性もあります。
3. 内容が質問として適切でない
Yahoo!知恵袋は「質問サイト」であるため、以下の場合に投稿が拒否されることがあります:
- 明確な質問形式になっていない(「~についてどう思いますか?」などの形にする必要がある)。
- 質問の趣旨が曖昧で、回答を得る目的が不明確。
4. 文法や表現の不備
投稿内容にタイポ(誤字脱字)が含まれているため、内容が意味不明だと自動判断される可能性があります。
対策方法
表現を見直す
以下のように修正すると、通りやすくなるかもしれません:- 宣伝目的やジョークと受け取られる部分を削除。
- ユーモアを控え、具体的かつ真面目な質問形式に変更。
- 公序良俗に反しない言葉を選ぶ。
NGワードを避ける
例えば、「スケベ心」や「覚醒」といった表現を使わずに、別の言葉に置き換えましょう。質問形式にする
「この考えについてどう思いますか?」や「あなたの意見をお聞きしたいです」といった形式にすれば、質問として認識されやすくなります。内容を簡潔にする
長文だとシステムに拒否されやすい場合もあるため、ポイントを絞り、簡潔にまとめるのが良いです。
修正例:
女性が堂々と意見を言える社会を目指すにはどうしたら良いと思いますか?
皆さんのアイデアをお聞かせください!
このように変更すると、投稿できる可能性が高まります。
毎度おさわがせ致します、宗教カテ住民の法介です。
以下の内容に関して質問します。
本当は質問ではないんですけど、
そういう事にしないと投稿出来ないんです。
ご了承ください。
この度、『女性だってオナニーぐらいやりますよ! と胸を張って言い切れる嘘偽りのない健全な社会を築こう!』という名のネット仮想政党を立ち上げます!
参加したいと言う方は是非、ここに名乗り出て下さい。
企画倒れに終わった時は、恥ずかしいのでジョークだったと思って記憶から抹殺してください。
退屈な人生なんてご免だ !!
人生楽しまなきゃ損だろ!!
という気概溢れる人材を待っています。
気概は無くてもいいです。
ただ面白そうだからでもいいです。
スケベ心からでも良いです。
小さい事は言いません。
広く大きな心で伸び伸びとやりたい事が出来る、生きるに値する世の中に変えたいだけです。
これを気に、あなたの人生を覚醒させませんか?
これは決して怪しい新興宗教などではありません。
が、しかし発起人の法介はかなり怪しい奴かもしれません。
日ごろ培った「空」で、あたまの中を空っぽにして、
何も考えずにまずに無意識で入って来てください。
どうするかは、それから考えましょう。
宜しくお願い致します。<m(__)m>
以下は、安澄の『中論疏記』の該当部分を現代日本語に訳したものです。この部分は「法無我」や「生空」といった仏教の核心的な教義を説明し、特に小乗仏教における「空」の理解を詳述しています。
和訳
疏(注釈)の中で、「もし我が存在しないとすれば」という部分では、第二に「法無我」を明らかにしている。この解釈は、『中論』第18巻に基づいており、論主(龍樹)が小乗経を引用して次のように述べている。
「空門とは、生空(個々の生命に関する空)と法空(現象や法則に関する空)を意味する。『頻婆娑羅王迎佛経』の中で、仏は王にこう説いている。『色(形あるもの)が生じるとき、それは単に空が生じるのであり、色が消滅するときも、それは単に空が消滅するのである。すべての行い(諸行)も同じであり、この中には「我」や「人」や「神」といった実体は存在しない。また、人がこの世から次の世へ移るといった実体も存在しない。ただ、因縁によって和合し、仮に名付けられたものが存在するだけである。凡夫や愚かな人々は、その名にとらわれて実体を求めてしまう』」。
仏は『大空経』の中でも、十二因縁について次のように説いている。「無明から老死までの過程は空である。もし誰かが『これは老死である』と言うなら、または『誰が老死するのか』と言うなら、そのどちらも誤った見解である」。
「『誰が老死するのか』という問いは、衆生(人)の空性を意味する。この問い自体が誤った見解である。『これは老死である』と主張することは、法(事物そのもの)の空性を示している。無明についても同様に空である」と述べている。
慧影の注釈では、小乗仏教の立場から説明されている。小乗経典では、生空については説明するが、法空を十分には説明しきれていない。例えば、「誰が老死するのか」という問いが誤りであるとされるのは、自己や他者といった実体を想定すること自体が誤解であるためである。
「これは老死である」という場合、老死という法が実体的に存在すると執着することも誤解であり、それを「法空」として解釈する。
また、『楞伽経』や『摂論』では、小乗仏教では「人空」は理解できるが、「法空」には至らないと指摘している。『楞伽経』第七巻では、菩薩が仏に次のように質問している。「声聞は無我(自己の空性)を理解するが、法無我(現象の空性)には到達していない」と。また、『摂論』でも「声聞は人空には通達するが、法空には到達しない」と述べられている。
ポイント
生空と法空の違い
小乗仏教の限界
大乗仏教の優位性
安澄の注釈は、小乗仏教の「空」の理解を批判的に検討しつつ、大乗仏教の哲学的深さを強調しています。この解説により、仏教の核心である「空」の教えが一層明確になります。