ご本尊のありかたについて
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法介
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『三世諸仏総勘文教相廃立』に次のようにあります。
此の総の三諦は三身即一の本覚の如来なり又居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う寂光の仏を以て円教の仏と為し円教の仏を以て寤の実仏と為す余の三土の仏は夢中の権仏なり、此れは三世の諸仏の只同じ語に勘文し給える総の教相なれば人の語も入らず会釈も有らず若し之に違わば三世の諸仏に背き奉る大罪の人なり天魔外道なり
ここで日蓮大聖人が言われております「総の三諦」と言いますのは、こちらに示されている三諦となります。
図の左側の仮諦・空諦・中諦の三諦が総の三諦となります。三諦の各々が更に「仮・空・中」を具えているので〝総〟の三諦と大聖人は言われている訳です。
『三世諸仏総勘文教相廃立』では、次のような文章へ続きます。
永く仏法に背くが故に之を秘蔵して他人には見せざれ若し秘蔵せずして妄りに之を披露せば仏法に証理無く二世に冥加無からん謗ずる人出来せば三世の諸仏に背くが故に二人乍ら倶に悪道に堕んと識るが故に之を誡むるなり、能く能く秘蔵して深く此の理を証し三世の諸仏の御本意に相い叶い二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍し心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず。
この部分を分かりやすく現代語に訳しますと次のようになります。
この三諦を丸めて一つにするのを総の三諦というのである。この総の三諦はまた三身即一の本覚の如来である。また寂光土を鏡にたとえ、同居土と方便土と実報土の三土を鏡に映る像にたとえる。四土も一土である。三身もその体は一仏である。法華経では、この三身と四土とが和合して仏の一体の徳であるのを寂光の仏というのである。この寂光の仏をもって円教の仏となし、円教の仏をもって寤の実仏となすのである。他の三土の仏は夢中の権仏である。
以上述べたことは、三世の諸仏が同じ語をもって勘文した総の教相であるから、人の言葉を入れる余地もなく、会通会釈も必要ない。もしこの仏説に違うならば、三世の諸仏に背きたてまつる大罪の人であり、天魔外道である。
なんとなれば、このような人々は永く仏法に背くからである。この法門は秘蔵して他人に見せてはならない。もし秘蔵することなく、みだりにこれを披露するならば、仏法の奥義を証することなく、現当の二世に冥加を蒙ることがないであろう。万一誹謗する人が出てくるならば、三世の諸仏に背くことになるから、謗ずる者も披露した者も、二人ともどもに悪道に堕ちるということを知っているゆえに、みだりに見せることを戒めるのである。
ゆえに心ある者はよくよくこれを秘蔵して、深く妙法の理を証し、三世の諸仏の御本意にかない、二聖・二天・十羅刹女等の擁護を受け、滞りなく上上品の寂光世界に往生を遂げ、たちまちの間に九界生死の夢のなかに帰ってきて、身を十方法界の国土にいきわたらせ、心を一切有情の身中に入れて、内からは勧発し、外からは引導して、内外相応じ、因縁和合して自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞りがないであろう。
「この法門は秘蔵して他人に見せてはならない。」
と大聖人は大変強いお言葉で言いつけておられます。
にも関わらず、この総の三諦の教相は今日、このように世間一般の目にふれる事となっております。
なぜそうなったかと言いますと、この総の三諦の教相が世間に向けて公開されたからです。
日蓮正宗の『三大秘法義』の315ページから316ページに「三三九諦の相」として次の説明文と共に掲載されております。
「空・仮・中の三諦が円融である故に、各々にさらに三諦を具える義が成立する。すなわち、空諦の空は泯有の意、空諦の仮は立空の意、空諦の中は泯立融法の意であり、仮諦の空は泯空の意、仮諦の仮は立有の意、仮諦の中は泯立融法の意である。また、中諦の空は双泯空有の意であり、中諦の仮は双立空有の意、中諦の中は双遮双容の意である。ここに、三三九諦の相がある。
この九諦につき、空諦泯法の意としましては、泯有の空、泯空の空、双泯空有の空がある。次に、仮諦立法の意としては、立空の仮、立有の仮、双立空有の仮となる。次に、中諦容法の意としては、空においての泯立融法の中、仮においての泯立融法の中、双遮双容の中となる。この空諦泯法、仮諦立法、中諦容法がそのまま円融であり、元の三諦と開合の関係において互融するのである」
この『三大秘法義』の著者は、
日蓮正宗総本山・大石寺の第67世法主を務めた日顕上人猊下です。
では、どうして時の法主が
この「総の三諦の教相」を世間に向けて公開されたのか。
それは時代が変わったからです。
創価学会が世に出現し、日蓮仏法が、民衆に根差した仏教として一気に世間に広まって行きました。
その創価学会では、それまで出家僧しか知り得なかった宗旨を会員に「仏教教学」として徹底的に教えこみ、個々人の〝信心〟をより強固なものへと構築させていきました。
元々創価学会は、教職員の学会として立ち上がった組織でしたので「教える」事に関しては専門家です。難解な仏教の教えも、彼らの明晰な頭脳と信仰で培われた信心とで、宗門で教える教学をあっというまに上回っていきました。
宗門の僧侶達が学会教学を学ぶようなあり様にさえなっていったのです。
そういった時代の流れの中で、第五十九世堀日亨上人は、『富士宗学全集』全134巻から極力正系の資料を抄録した『富士宗学要集』全10巻を創価学会と共同出版された。
<参考文献>
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2022/01/05/000000
http://mikacolove.blog.fc2.com/blog-entry-27.html
在家が出家僧侶以上に教学を学ぶ時代が訪れたのです。
そういう時代の流れの中で出版された『三大秘法義』なのです。日蓮さんの時代は、宗門の教義を他宗が盗みとって自宗の教学に組み込むような行為が頻繁に行われていた時代です。既に宗旨が広く世間が知る事となった現代において「秘すべく内容」は、なくなった訳です。
ご本尊を写真に撮ってはいけないという教えも、
実はこういった秘められた実情があったのです。
https://syozou.blog.jp/archives/19133565.html
日蓮大聖人は、紹介しました御文の最後で、このように言われております。
「身を十方法界の国土にいきわたらせ、心を一切有情の身中に入れて、内からは勧発し、外からは引導して、内外相応じ、因縁和合して自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞りがないであろう。」
もはや秘すべき内容もない今の世です。
一人でも多くの人に、このご本尊に縁させてあげたいという慈悲の心で曼荼羅本尊を公開する行為が、謗法だとは私は思いません。
自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞りがないご本尊なのですから。