名前なし
2024/06/06 (木) 23:22:30
11abb@c3665
零戦同士の機種転換が前線でどのように行われたのかご存じの方はいますか?部隊レベルで一気に21→32みたいに改編されたのか、それとも少しずつ新型が補充されて新旧入り交じりながらゆっくり改編していくのか教えて欲しいです。前者を前線でやる余裕はないように思うけれど、後者だと航続距離や速度、操縦性の違う複数機種で一部隊が編成されるのは作戦しにくいように思えます。
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補給記録はあまり残っていないか残っていても機種ごとに一纏めになっている事が多いので断言はできませんが、ある程度残っている話を見ると基本は後者ですね
零戦同士なら、多少の違いは認識されつつも零戦は零戦だから同じようなもの、という認識も存在してたように思える。例えば32型も22型も同じA6M3の名称で管理されてたりするし、空母でも21型に32型が混じってようと区別して運用してたわけでは無いようだし、新しく来た零戦はなんか違うな?くらいに思われはしただろうが、性能や整備作業の違いは現場で吸収して零戦隊は零戦隊として混ざって運用されてたんではないだろうか。数値とかで比べると我々には2号零戦系と21型とか全然違うだろうと思えるけど、当時の現場の人にとっては違いはあっても別扱いが必須なほどじゃない、大体同じようなものと認識されてた可能性はある。
もちろん、32/22型と52型では登場時の事情が違う事は考慮する必要はあるけども…32型の時点では、21型も十分に主力として通用してる状況でちょっと良い改良型が出てきたくらいの認識だったと思われるし、32/22は生産配備が限定的で大量の機種転換は難しかっただろうから、似たようなもの扱いで少しずつ21型隊に混ざっていったんだろう。52型の場合は大量生産の立ち上がりがそこまで遅くないうえに航空隊の改編や新設の時期も重なってまとまった配備が少なくなかっただろうし、さらに21型じゃ厳しいって言う声も出始めて1号/2号零戦の違いが切実にわかるほど戦況が難しいとこに至ってただろうから、52型登場時には「零戦だったらどれも同じようなもの」という認識は薄れてたんじゃないかと思うが…なんかごっちゃな長文になってすまんな
32型と22型は前者のほうが航続距離が短いんで、燃料満載でも21型と同じようにラバウルから敵基地制空に飛んでったら帰り道で燃料切れで全機墜落すると思うんだけど。大日本帝國海軍って航続距離も理解できない池沼だったの?
ラバウルからの長距離飛行は特殊な例だから、引き合いに出すのは適切ではないと思うぞ。艦隊上空の2時間前後の警戒任務や200海里ほど進出しての洋上航空戦が通常の運用であって、その範囲で考えれば32型の航続距離は問題にならないはずで、そういう意味では21型も32/22型も同じ零戦として運用して問題なく、わざわざ分ける意味はない。ラバウル・ガダル、往復でおよそ1000海里近い超長距離作戦は艦戦としてはそもそも通常運用の範囲外で、強いて言うなら航空戦略としては本来は空軍(陸軍航空隊)の大型長距離戦闘機の任務に思える。
それと、ガダル行きの任務には陸攻だけでなく九九艦爆隊も参加してたはずで、こちらは航続距離が足りないのは最初から承知の上で、帰りは救難目的の駆逐艦が派遣された水域で機体を放棄して搭乗員だけ帰還する前提だったはず。帰りに燃料足りないのは織り込み済みの部隊すらいたわけよ。それほど切羽詰まった臨時の作戦だから、これを引き合いに出してしまうのはスペックを語るには適切でない…と思う。これで32型零戦が航続距離足りないと言われてしまうと、それこそ九九艦爆や九七艦攻も海軍機として航続距離が足りないという事になってしまうし、艦攻爆に比べて艦戦だけが異様に航続距離長くても、航続力確保のために何を妥協するかのバランスを考えると無駄になってしまうし。