貴方こそ上の方のコメントを「解釈」していらっしゃいませんか?
「幸せそうもしくは楽しそう」”だから“「適性」があるというのが私の主張だと貴方は「解釈」していますが、
私の逆張りは、N社ドンキホーテが本当に楽しんでいるのか又は幸せそうなのかという話であって、貴方の誤解です。(だから、貴方と私とではズレているように感じていますし、死に際にハッピーなのかという話になります。)
「N社に洗脳がまずある時点で適性のあるなしがそもそも不毛な気がしなくもないけど 洗脳済みでも言動が正義を執行するって言ってたりドンキっぽい~って思えるのが適性がある」はある意味「この仕事の適性な“能力”がある」という意味では真理を突いているし、同意はいたしますが、今回の話からはずれます。
あと、これは私の理念なのですが、私の意見は「解釈」を極限まで減らそうと努力し、「理解」によって行われた意見なのですよ。この違いわかりますか?
死に際がポジティブかネガティブかの話はドンキホーテの原作を参照した上で言っていますので、かなり難解で、狂人だった彼が「後悔」があっても、どうして「こんなにも安らかにそして満足そうに逝けるのだろうか」(これは解釈ではなく事実です。また、これが善良な信仰心によるものなのか、旅を経なければ得られなかったのか、あるいはただベットの上で皆に看取られているからかは謎であり、「解釈」の範囲です。)
あるいは、狂人のままであれば、あのような逝き方はできるのだろうかといった観点で行われていて、完全な狂気と化してしまっているN社ドンキホーテにはこのことが(他のN社人格や目にハイライトが無いことから)可能ではない事を示しているだけです。
幸福であったかは、結局の所、死の間際で本人がどう思い、どう過去を受け入れ、どう満足したのかが重要だと思うんだけどね。
(逆に上記を見たさない死は倫理的ではないと言えます。狂気のまま亡くなるのは勿論、含まれないのでしょうね。)