みなさんこんにちは
朝の内はどんよりとした窓外でしたが、風が吹き雲が割れ、日が差したらあら不思議、景色の隅々まで夏だったことに気付かされます。すがすがしいを判で押したような一日になりそうであります。
さて、「どんな込み入ったる話?」なんでありますが、自身のへら師としての立ち位置が問われるお話でもあるのですが・・・。
私はただの一へら師であります。集合で行けばへら師たる全体集合の中の一員なのですが、日研会員といった部分集合にも属しており、そこの更に部分集合であるところの北海道地区会員でもあります。
こうした、立ち位置は北海道には日研北海道地区会員として30名弱居るのでありますが・・・、さらには新べらクラブ会員であり・・・兎に角そうした立ち位置をもってこの書き込みを20年近く続けております。
最近、そうした立ち位置を「ショウザフラッグ!」と迫られるそれをこの春ぐらいから受けております。
「ショウ・ザ・フラッグ」「どっちに付くんだ」ぐらいの和約になるんでしょうか、日本が湾岸戦争の時に米国から「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」「紛争地区に自ら降り立て」と並んで迫られたる文言と記憶しております。
ままっ、凡夫たる管理人にとっては勝手にそんな言葉を思い返しているだけで、実際のところは誰からも何物からもそうした圧を受けているわけではないのですが・・・。
「込み入ったるらしい話を更に謎かけで面倒にしている?」
ごもっとも、では先ずは結論をば、それはネオ〇コチノイドとした農薬の存在であります。
ご高覧の諸兄におかれましては既知との向きも多数あるかとは思いますが、この農薬の功罪について日本釣振興会がユーチューブにUPしている動画があるのですが、そこでこの農薬が起因である『魚の減少』が報告されております。
詳細等興味のある方は、同財団のHPから山室教授とでも検索(2時間弱の動画です)すればたどり着けるでしょう。
私も、件の動画を拝見したのが不勉強極まりなく恥ずかしながらですが、この春のことでした。
みなさんがこの動画を見た後にどんな感想を持たれるのかは別として、私は正直今までのへら鮒釣歴に大きくしかして影をひそめるように横たわっていた『違和感』に、説明がついてしまいました。
「合点がいった」といっても良いかもしれません。
私がへら鮒を始めたのが25歳、昭和34年生まれの管理人です。昭和で行くと59年になります。
これを西暦に直すと25を足せばよいので1984年といったことになります。
現在2023年ですから随分と永く飽きもせず・・・、であります我ながらハイ
同農薬が世に出たのが1993年、北海道にそして実際に釣り場周辺での散布が行われたのはいつか?
これについては調べることは骨が折れることになります。
恐らく、調査の目的が農家の協力を得られる方向にむかっていないことと、何より販売者であるところの農協などの協力は同じ理由で聞き取りには非協力的になることは明白です。
それでも、「じゃ責任をとれよ」などとした、センナキコトをセンナキコトとして一旦外に置きなおして、「過去にとらわれず未来のために」とした建設的な調査であるのならば、それも進むかもしれません。
さて、「昔の北村は釣れたなー」「今の北村は、すっかり様変わりして」「だいたい小べらが釣れなくなった」等々、我が意と同としていただけると思います。
こんな感想もないでしょうか「あれだけ小べらが釣れたかの釣り場が、今や『来ればデカイ』のしか釣れない、もっともそもそもなかなか来ないけど」、管理人の時間軸上の実感で行けば浦臼の新沼がその典型でしょうか。
同沼は新ベラクラブの創成期1997年から例会をほぼ切らさずに続けていますが、往時の釣れ方と現在の釣れ方に全くの違いがあります。
デロリアンに乗って1997・ジュライ⇒BACK TO THE FUTURE、「頭とるならで80枚でも足りないかもな―」同沼例会の朝の打ち合わせでの会話であります。
「オデコだけは嫌だなー来ればデカいけど」現在というか今月の例会での会話になります。
デロリアンに乗って2050・おっと管理人は亡くなってましたーコラー!!
そうなんです、現在あれほど小べらの数釣りとした浦臼新沼は「兎に角来ればデカいけど数は二桁もなかなか」とした沼になっているのであります、そして10年後を考えるとそれは恐ろしいばかりであります。
更には、実は水路で繋がっているお隣の『月沼』は「寸足らずが半分だけどへらはメチャ濃い」だったのですが、新沼の釣れ方とほぼ同じような釣れ方になって、あの寸足らずはほぼ皆無(昨年数回釣行し、本書込み上でも既報)なのであります。
同じような釣り場はどこの釣り場にも当てはまると管理人は思っております。
他方、先日の書き込みにも為しましたが新十津川の野崎沼、昔の北村をほうふつとさせる出色の釣れ味でした。
管理人の最も好きな、「小べらの数釣り」がそこに待ってくれておりました。
また、この地方には北光公園沼もそうした釣れ味が堪能でき得る釣り場といってよいでしょう。
ただし野崎沼はもう一つの側面を持っております。
この沼は3つに分かれております。最上流の沼は現在周りに田んぼはありません。
入川も田んぼとは無関係のようであります。
しかして最下流の沼には道を挟んで田んぼがあります。
そして、管理人の個人的な感覚ですがこの最下流の沼のへら鮒の型が昔と比べると大きくなったのです。
敢えて逆説すれば、「小べらが釣れなくなった」のであります。
そうした実例は枚挙にいとまはありません、北村の公民館裏、同田んぼの中の四角三角沼、同鉄板沼、月形皆楽公園沼も然りであります。
『小べら』イコール『子』べらなのでありますれば、昨今の日本の少子化問題に例を習わずとも、自明の理の行き着く先は『資源の枯渇』に他なりません。
実はこうした現象に、「鳴らす警鐘が響いた”所”」もあります。
ヨーロッパがそれであり、新潟の佐渡島などでも、既に公的な規制や、自主規制がなされたようであります。
「海外の例」に弱い日本(欧米コンプレックス)ならばこそ、恐らくは極近い将来、何かの規制がなされる方向であると思います。
さて、こうした話がある一方で、管理人の立場は誠に微妙であります。
日本釣振興会の役員の末席を配している管理人でもあり、言い換えれば釣振興会とした部分集合にも属していることになります。
日本釣振興会のショウザフラッグは誠に明快で、規制を望む!であります。
他方日研のショウザフラッグは、正直「今のところ誰からもそれ(ショウザフラッグ)を言われていないので明確な立ち位置は示していない」といったところが実情なのであります。
底流には農家の方々への配慮等々もありましょう、田んぼや農薬といった問題と直面しているのはへら鮒釣に他なりませんから、言わずもがなで農家の方々とは良い関係を構築しそれを維持しなければならないからであります。
一方で釣振興会の立場は微妙です、主に海での釣りをその骨格としており農家の方々との直接的な接触の機会はあまりないのであります。
漁師の方々との接触が少ないへら鮒釣と相反ですが、極身近なそれになるでしょう。
といったことで、釣振興会のショウザフラッグは表明しやすくなりますし、他方で日研が表明しがたいそれがあることもこれまたセンナキコトなのであります。
しかも、ここまで書き進めてきたことの真偽、要は「果たして研究者(山室学説)の言う通り」なのかは、諸説紛々もまたこの世界ではあることで、受益者は別要素を唱える御用学者を使って反証をテーゼするものでありましょう。
凡夫たる管理人でありますれば、こうした諸説をいちいち紐解いて検証し、己が説まで昇華させることは困難であり、経験や勘に頼って自説を組んでいきます。
”賢者は歴史に学び愚者は経験に従う”とか、「だから何が悪いの、だって俺愚者だから」、ならばこそその”勘”が、この山室学説にはピッタリとした感覚を持ってしまいます。
長年感じていたあの違和感に最もピッタリの感覚を持たせてくれるのです。
トンボが減った、モツゴ(クチボソ)が減ったそんな感覚も、そう言えばです。
最も顕著な実例としては、何度も引き合いに出しますが、浦臼新沼です。
昨年の例会でした、「あれ、菱藻が全く無くなってる」その日の朝集合場所へ続く取り付け道路上から見る南側の沼の菱藻が完全に消失しておりました。
「はっはぁあー、さては石狩川から草魚が入ったんだなー」と、起きた事象に都合の良いジグソーピースを当て嵌めて自身の驚きに無理やり終止符を打ち、新べらクラブの例会を終えました・・・、その時残った違和感の消えぬままにです。
20年以上毎年夏に通ってなお、”始めてみる景色の異常さ”を”違和感”を、そっぽの当て推量で無理やり納めてしまったのです・・・。
世の習いは、利益に沿って流れます、米を得ることと魚と遊ぶことは比較になりません、一方しか取れないのであれば、人はパンを執るのです、一方では”人はパンのみに生きるにあらず”とした言葉もあります。
また”一日・・・一週間・・・一生幸せになりたかったら釣りをしなさい”とした言葉もあります。
もし、「どちらかを取る」とした短絡的な結論を急がないのであれば、「どちらも取る」とした結論をじっくりと出していく知恵が”人”にはあると思うのです。
そしてへら師はそうした”人”を目指せる存在であると思っています。
私にショウザフラッグと迫らないでください。
もし迫られたら、この書き込みが私の全てです。