日研北海道地区 新べらクラブ掲示板

いよいよでした(10・12・13・14・次世代)

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 みなさんおはようございます
 三連休が終わって新たな週が始まりました。
 土日は、年度の最重要行事であるところの『へら鮒放流』が、開催されました。
 土曜日は苫小牧地蔵沼だけですが、日曜日は旭川藤沼から始まって最終の中津湖までの格場所で、ご協力・参加・お手伝い・見守り等々の支援をいただいた関係各位には、心より御礼を申し上げます。 
 おかげさまで詳報は日研北海道地区のHP上で正式にご案内いたしますが約1.2tのへら鮒放流が達成できましたことをまずもって報告させていただきます。
 
 土曜日は苫小牧地蔵沼(同呼称は通称で観音沼が地図上の名前「どこ?」の方は参考になれば)への放流を致しました。
 昨年度から苫小牧支部の高齢化といったことで、新べらクラブからお手伝いを出しておりますが、今年は管理人を含めて3名の会員がお手伝いしてくれました。
 放流車の到着は例年ならお昼前といったことですので、管理人は麩エサの練習もかねて午前7時過ぎに現地に入って、釣りをしながら「そを待つ」といったことにしました。
 で、ウキなどのセッティングを換えたり、はたまたエサを工夫って「もう来たのかい!」。
 9時過ぎにアッキさんが隣に座って、「練習・練習」とか言い始めた10時前ぐらいに、「到着しました!」とのことで、釣りを中断して、「それー」で120kgを放流しました。
 そのあとは要漁業者さんと情報交換をして、業者さんを見送ってから、夕刻ワンボール打って合計43枚でありました。
 後半は型も良くなって8寸から時折9寸も混じって楽しい釣りでありました。
 
 カラスカーも未だの午前1時にムックリ、朝食(?)を流し込み、家を出たのが午前2時、「じゃ鷹栖インター5時で」の前日の苫小牧・地蔵沼の打ち合わせに適うように自宅を出ました。
 で440到着し、業者さんを時間ギリギリまで休ませてあげるべく、駐車場で待機していると道北支部長のW辺支部長が定刻の5時少し前に到着し、先導をお願いし管理人は殿で藤沼へ入りました。
 現地の人とまずは「おひさー」挨拶と、軽い打ち合わせを済ませて予定時間の530には「やりますかー」で、無事に済ませました。
 次の放流場所の池ノ前で待機している新べらクラブの会員に、「今出ました」のLINEを入れて先導の道北支部S戸さん放流車管理人の3連で向かいました。
 例年ならば、池ノ前は放流車を6丁目の放流ポインまで入れますが、枝が伸びて放流車にぶつかるといけませんので、急遽今年からコロコロで、手運びにいたしました。
 少し時間は押しましたが、何とか予定数量をこなして、「おっと北光公園は行政の都合で前日に急遽中止になったので」月形に向かったのであります。
 地元滝川のS井会員が「私が念のため」といったことで、月形には向かわず(後に合流)現地で居残りして事情を説明してくれました、同地区の釣会や協力者には事前に「カクカクシカジカ」をお伝えして「横横の連絡拡散を」とでき得る根回しはしてはいましたが、事程左様に全網羅は難きことであります。
 「うーん、残念」を、「3名の方が来た」、とのS井会員の事後報告を聞き及んでは、「思いは同じ」の管理人の心の内でありました、来年こそは砂川地区の愛好者に報いるべく量的な補填を含めた予定を組んで対応することをお約束いたします。

 月形では町長もご参加いただき『まんまるはーと』トマトジュースをご寄贈いただき、お手伝いや放流に参加いただいた子供たちに配らせていただきました。
 「管理棟に貼ってある放流の告知を見て参加しました」とのキャンパー家族もおられたことは、管理人にとっては「報われた」と、心の中でガッツポーズはご想像のとおりであります。
 たとい仕掛けが不発で終わろうとも、毎年でき得る最大を手を変え品を変えて、ここまで頑張ってきているつもりですので、このことは本当に嬉しく感じました。
 次は、ふれあい公園沼です。
 ここもキャンプ場管理等に事前告知掲示をさせてもらっておりましたことと、当日放流車が到着して「さあいざ」の時点で、管理棟から「放流やりまっせー」の放送をかけてもらえるウルトラCもいただいたことで、北村小中学校の放流体験教室とも相まって、「やばっ!!お祭り」状態に突入したのであります。
 余勢をかって隣のへら鮒公園も「お代わり」の子供もいたりで、にぎやかに済ませて、最終の中津湖へいざ!!
 予定数量よりも多く入って(業者さんのご厚意で)兎にも角にも、2024放流は無事に終了したのであります。

 中津湖で業者さんと情報交換して、話は尽きなかったのですが、小樽経由で舞鶴へ(フエリー)といったことで「丁度お時間の方がよろしい」といったことで、現地で放流車を見送ったのが正午頃だったでしょうか。
 毎年ごとですが、見送り後一拍あって、「立っているのもやっと」というぐらいの疲れが襲います。
 生来は「どっしりと構える」キモは持ち合わせておりませんので、背骨を抜かれたようにへなへなになってしまします。

 「時間もあるし釣り?」「ムリムリ・オレカエル」ミナミクニキタクし、夕刻までスイジョウ、泥眠と相成ったのであります。
 「ねる」「めし」からのー、「ねる!!」で、気づけばカラスはとっくにカーの午前6時であります、やばっ!!
 ってことで、『放流翌日』までが事業のワンセットですから、とりあえずは中津湖へ向かいました。
 朝もやがうっすらの中、釣り人が入っておりました。
 モジリはいまいちでしたが『翌日写真』を数枚撮って、ふれあいとへら鮒公園の写真を撮るべく向かいました。
 へら鮒公園はトイレ裏周辺は満員御礼で、対岸も同といった状況で『人気』を写真に収めて、ふれあい公園に行き写真を撮っていると「おじさん」と声がかかりました。
 どうやら昨日の放流に参加してくれたちびっこ2名が、「釣りする?」と聞いてきたので、つい「一緒にやる?」なんて答えちゃったからああ大変です。
 東屋並びの真ん中ほどにお店開きしたのですが、荷物を降ろした瞬間から「これなーに」のオンパレードが始まりました。
 かの発明王トーマス・エジソンになれるかもしれない子供たちが、同氏よろしく攻めに攻め立てるのでありますれば、しかして将来のエジソンを邪険になぞ出来ましょうか、丁寧に、ああ丁寧に・・・「見てれば分かるよー」、「っとごめん」全部の説明は無理ーーーー、と相成ったのはご想像のとおりであります。
 そうして「とりあえずおじさんがみんなが釣れるように少しやるのでよく見ててね」30分ほどで「次私」「今度はおれ」状態に突入し釣り台は次々と持ち主を換えていきました。
 で、「よしこんな感じで次からいいよー」と手渡したときは確か小さいながらも2枚釣り上げていたはずも、元来のこの日の不調も相まって、クチボソ祭りが始まったのであります。
 で、アタシ頑張りました子供釣り教室を先生一人VS生徒7~8名で開催し、道中で沼に近づこうとする子供たちを監視しながら、たも網はハラハラドキドキの悶絶の使いまわしもニッコリで・・・。
 2時間強のそれでしたが、「一旦テントに帰ったら?」を潮にして子供たちは帰っていったのであります。
 嵐が過ぎ去った釣り座周辺を片付けて、残りのエサを打ち切って、30分ほど待ったのですが一人も戻ってこなかったので竿をたたんだのでありました。
 でで、へら鮒公園に行くと満員御礼の同沼ながらも、トイレ裏に居抜きの釣り座が丁度空いたので、そこに入らせてもらって正午前ぐらいから午後3時半ごろまで釣って30枚でありました。
 型は7寸主体で、放流べらと思しき個体も半数近くいたように感じました。
 場所ムラは結構あるようで、場所によってはこぼしが入るようなところもあったようです。

 で、月形に向かった新べらクラブの主力組は中洲に入って50枚近い釣りを堪能したようであります。

 以下に、この3日間のスナップを並べておきます。
 
 次世代を
 地でも水でも
 我願う
 モジリをみとり
 笑顔を受け取る

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北村レンギョトイレ裏

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皆楽小沼中洲

管理人
作成: 2024/10/15 (火) 09:15:40
最終更新: 2024/10/15 (火) 09:35:15
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