熊:ご隠居やっとあっしにも来やした
ご隠居:おや熊さん、どんな塩梅ですか
熊:どうもこうも、このへら鮒ってやつはなんとも、っとよっと、小振りの割には良く引きますねー
ご隠居:そうですねー、おやいいへらですねー
熊:とっ、これはなんともきれいな魚でやすね―ご隠居!
ご隠居:熊、早速女にモテだしましたね、それはメスですよ
熊:ご隠居―、ってーと魚でこれほどの器量良しべっぴんってことなら、くーっこの先がたまんねー
人生初の熊のへら鮒釣りで、べっぴんべらを娶(めと)った格好になったのが余程熊の心根を射たのか、まあ現代的にはどストライクという奴だったんでしょう、この後は夏が過ぎ秋が過ぎで、いつの間にか「嫁を取るまでの腰掛辛抱」だったはずの熊のへら鮒釣りも、一方では、すっかりへら鮒釣りそのものに夢中になってしまいました。
熊:ご隠居、今日は面白かったですねー、来週は何処に連れて行ってくれるんですと、すっかり嫁取りは脇に置かれるようになっておりました。
嫁:あなた、ここのところ熊さんはあなたと一緒ですっかりへら鮒釣りにはまってますねー、あれほど荒かった気性にもすっかり丸みが出てきて、男っぷりが上がったなんて横丁では噂になってますよ
ご隠居:そうさね、熊の野郎ときたら生来の負けず嫌いで、それでいて腕の差には敏感だから、何でもどんなことでもいつの間にか確りと吸収して、しかも吸収したことに上乗せしてそれ以上に仕上げるもんだから、今じゃー遊水境でも頭一つ抜きんでてここのところは私でも奴の半分釣るのがやっとですよ、しかも私が釣りをしながら都々逸をうなっていると、熊が合いの手を入れるようになってねー
ご隠居:この前は私が「会えて嬉しい、会えねば悔し、今日はいずれと渡す浮子」なんてのたまったんですが、熊の野郎ときたら、ご隠居申し訳ないがもう少し色っぽさが欲しいですよねと、「二人の間で咲く花摘んで合わせ望むも空振りに」なんてうなりやがったんですよ
嫁:熊さんのは何で色っぽいんですか
ご隠居:何言ってんだよ、へら鮒釣りってえのはね、相手はほとんどは女メスなんだよ、釣りのやり取りは男女のそれみたいなもんだ、熊の句には浮を花と例えて合わせてもカラツンを食らったという、ままよしましょうこれ以上はヤボってもんだ
嫁:もうすぐ、雪と氷で釣りもできなくなるし、この冬の間にいよいよ仕立てますか
ご隠居:そうさな―、見積もりよりも、仕立ては早まりそうですねー
あくまでも嫁取りが本懐、性根を治して下地を整えるがための熊さんのへら鮒釣りでしたが、図らずもすっかりへら鮒釣りのとりこになって、ばかりかご隠居に感化されたのか件の都々逸まででるとは、随分と「気の余裕」まででてきた熊さんでありました。
しかも、ここのところは食えもしない魚のために、道具も自分で取り揃えて、完全な一人前になっておりました。
そうしたある日、この日は馴染みの遊水境がへら鮒に病気が出たとのことでお休みになっておりました、慣れ親しんだいつものところから別口に河岸を換えることになったのであります。
ご隠居:熊、遊水境がこんなだから、今日は別のところへ行きましょう
熊:ご隠居、どこでもいいから早く釣ができるところに行きやしょう
ご隠居:ここだ、皆楽園
熊:早く早く