2021年 1月26日(火)17時40分24秒
みなさんこんばんは
実は大変に唐突ながら、管理人は昨年度の後半から『桶ション』を止めることにしました。
でっ、一昨日の発寒川釣行時も一度その機会があったので、それを為した(非桶ション)のですが・・・。
ここに至る、否至らせる原因は憤怒からでありました。
某雑誌で「日研は何もしていないし、何をしているかもわからない、所詮は放流しているだけの団体だ」、ままっ発信者はこんな風には為したのではないのかもしれませんが、管理人にはそんな風にとらえざるを得ないと読み解きました。
事実、日研の本部ではトップが同誌上でその後反証記事を数回に分けて発信しました。
確かに直情径行が激しい管理人ですが、日研会員の中には憤懣やるかたなしとの賛同は相当数あったと思います。
それでも、日研会員はまあ紳士ばかり(勿論のこと管理人は抜きますが)です、その後も柳に風で、突然の風にも実にたおやかな揺れで受け流したようであります。
ただ、管理人的にはこの際はっきり申し上げておきますが、へら鮒釣りの将来を本当に心配・危惧し次代への襷の継承を実際の活動を通じて、継続し続け確実に実績を上げているのは、過去の実績に鑑みるだけでなく、日研を置いてどこぞにありましょうか。
勿論のこと、ここ北海道においても、個人や、人徳で、それぞれの方法で高齢化や若手育成などの、奔流を土手を積み修理して対応してくれている人もいます。
しかして、個人は個人であります、言葉は悪いのですが「死んでしまえばはいそれまでよ~」、如何な善行も功徳もその先には及びえません、残念ながらであります。
日研はそうしたことをしっかりと見据えて、戦後間もない混乱期に、組織を創り上げ、放流のシステムを練り上げ、誰もが放流の効能・効果を享受できるように野釣り場所を中心に放流を続けて、現在のようにたくさんの釣り場を全国に生み出してきたのです。
また、一人の賢人が倒れても、組織の中で人材を教育・育成し続けてきたからこそ、北海道地区だけも、建立時の昭和60年から今日まで一度もへら鮒の成魚放流を中断させずに継続させてきたのです。
全国レベルで見れば、各地の規模などによってそれぞれですが、この場で申し上げる必要はないと思います。
そして何より、「俺たちのお蔭でお前ら釣れているんだからなー」、そんな言葉を日研会員が発したことを聞いたことがあるでしょうか?
確かに、過去には北海道地区にもそうした会員のいなかったわけではありませんし、全国レベルで見ても、そんな話が聞こえてこなかったわけではありません。
しかして、そうした会員は気付けば消えていきます、そうです、本物の会員なら、バッチを買ってくれ仲間に奨めてくれる、そんな会や仲間意識の垣根を超えた純粋なへら仲間の協力が底流に流れていることを、知っているからです。
「組織の中にあるから、一人では難きことも組織でならできる」それを知っているのです。
話を戻します、「日研は何もしてくれない・・・」の下りですが、まず過去にやってきたことと今後のことに話を分けましょう。
で、今後ですがとりあえず日研発信で『桶ション』を止める方向に舵を切るべく、言い出しっぺの管理人からなすことにしました、『櫂より始めよ』であります(現時点では管理人が提唱しているのみです)。
中国の諺になるんでしょうか、史実で賢人を沢山招き入れたい者があり、櫂という賢人に相談したところ「それなら、まずは私を破格の報酬で取りなしなさい。さすれば私よりも優れた賢人が、櫂であれなら俺ならもっとと、集まります」転じて、何かを発信するものはまずは自分が率先して・・・。
当会にはカイ君がおります、この春には「カイも始めよ」と水を向けるつもりです。
こんな小さなことでも、日研なら上意下達を取らずとも、先輩の良いことは真似ようと、北海道地区長として本部に「お恐れながら」と提案していることが、きっとクサビになると本気で思っているのです。
愚息をひり出して桶にション、それを今まで高価な竿をウキを浸けていた水面に返す・・・、成分の98%は水分だし、十分に自然界で分解されるとのことなれど・・・、これでは果たして、女性を若者をウエルカムと言えましょうか。
具体的には、管理人は現在携帯トイレと、予め袋に入れた尿取りパットに放つ、二つの方法を取っていますが、後者の方が圧倒的に使いやすく思います。
1枚の尿取りパット(夜用)で、2回のそれに対応できます。
写真で取ったものもありますが、ままっこうしたものは各自のサイズ感や量的なものもありですので、各人の方法はあろうことと思います、何よりあまりに生々しく白黒に加工しましたが、掲載には耐えがたき代物なので割愛します。
実際に管理人は20回近くの実証実験をしてきましたが、一応チャック付き(スライダータイプMサイズで100円ショップなら7枚入りで買える)に、夜用の尿取りパット大人用を中表に折り返して詰めて、2回使用としております、参考まで(一袋あたり40円ほどで済みます)。
で過去の実績ですが、放流や釣り場の整備などはさておき、あくまでも管理人の記憶ですが、現在のように遊び釣り時はフラシを出さなくなったのは、日研北海道地区の故林建一初代地区長時代に往時の故中島魚仙日研理事長から『ノーフラシ運動』が提唱されて、それが北海道地区でも瞬く間に広がったと記憶しているのですが・・・。
もしこれが事実なら、これこそも日研の功績に他ならないと思うのです。
実際に、この話の裏を取るべく、日研の先輩の一部にお話を伺ったり、本部の古参の先輩会員にも少しばかり取材をしてみたのですが、不明でありました。
ただ「そうした広がりが一気になったのは日研会員が率先してのスタンスを取ったことは間違いない」とのことを、先輩2名からは承っております。
実は往時の管理人はぺーぺーであったこと(上の方の話は知りません)、往時の幹部クラスで現在まで北海道地区に残っている人もなく、「伺える人が身近にいない」といったことで、もしこの書き込みをご高覧の方に往時のそれが管理人の記憶で有るのかないのかをお教えいただけると、大変に嬉しく思うのですが、如何でしょうか。
話は昭和60年~62年ぐらいだったのではと記憶しております、それまではたとえ遊び釣りでも、当然のようにフラシを出し、最後にぶら下げ秤で検量して再放流しておりました。
勿論のこと、管理人も同でありましたし、見える範囲の人でフラシを出していない方は皆無でありました。
本部に伺うと時間軸はどうも合致しているようで、ある日を境に一気にそれが進み、「えっ、なんでフラシを出してるの」といった空気になったことだけは覚えているとのことも、北海道地区の旧先輩会員の記憶とも完全に合致しておりました。
『ノーフラシ運動』、「例会や大会以外はノーフラシで行こうじゃありませんか―」、記憶では故林建一初代北海道地区長が「魚仙さんが言ってきたんでよろしくねー」そんなことを、仰っていたように記憶しているんですがはてー?
こんな大事なことが日研本部にも北海道地区の記録にも残っていないことは、逆接すれば日研は良いと思ったことは、上意下達を取らずとも各人・各会・各地区の判断で、向くべき方角に自身の舵を切れる船団であり、船頭には上下の別なく権限と責任が割り振られている、そんな大人な確りとした組織であると証明しているのではと思う今日この頃であります。
見せてやるよ、日研魂を、と大上段に振りかぶるも、内容がシーではショナイのココロダー。
桶ション、俺は辞めたよー、シー