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無の証明は本当にできないのか / 56

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パルス 2019/11/27 (水) 20:37:49

こんな感じで『あらゆる主張は例えそれが公理と呼ばれるほど自明な内容であっても完璧ではない』みたいなベースラインで話してたヤツの口から
まさかまさか「無実を主張する場合、頑張って認めさせようとするだけでいい」なんて見解が飛び出すとは思ってもいなかったわけよ。

ベースラインの中身すり替えてるんですね。分かります。

もし詠み人くんが>> 55で明示した「パルスが示したとかいうベースライン」がさっきまでと変わらないんだとしたら、

>ここにきて「証明しなくても主張すること自体はできる」とか「それは主張としての最善策の話に過ぎない」みたいな異なるベースラインの話

という詠み人くんの発言、「異なるベースラインではなくなる」ので「詠み人くんの発言内容が間違っていたことになる」わけですしね。

そして、「飛び出すと思ってなかったもん!」についてですが俺は例まで出して説明しましたよね??

例えば、野球をしましょうというベースラインで、ランナーの詠み人選手が守備の人(論理)をぶん殴りました(破綻させました)。これに対して、パルス選手は「野球の進行に問題が出るし、そもそも今ここでぶん殴ること自体間違っている」という指摘をしました。すると詠み人選手は、「だから?」と言いました。

これですね。
詠み人くんの言いたいことってなんなんですかねw

もしかして:ぶん殴ったことを指摘されるとは思いもしなかった

流石にこれは草。

あくまで論理的な観点から見るなら「全く同じDNAを持つ人間が複数いる可能性を完全には否定しきれないので、その証明はあくまで仮説に過ぎません」みたいな反論が通っちゃうよね~完璧な証明って不可能だよね~・・・っていうベースラインで話してるつもりだったんスけど?

その通りですよ。我々の行う証明とは、あくまで「事象Aが正しいと仮定したときなら、証明が成り立つよね」って話です。

もう一度聞くけど、上記の水準(論理的に突き詰めていく方針)において、無実であることの蓋然性をどうやって高めればいいわけ?

蓋然性はいくらでも高まりますよね。
帰納法で、たくさんの事例を取り上げれば良いだけですから。

「無実かどうかは分からない」に対して「否、無実である!」と否定的立場をとるのであれば
推定無罪などの法的な公理には頼らず現代論理の視座から答えを追及していくのであれば
遅かれ早かれ証明する必要性が出てくる

詠み人くんの、この争点に対する最初の意見を見てみましょう。

>「無実だ(不明ではない)」と主張する場合は証明する必要が出てくると思うぞ。

とまあ、こういうものです。

さりげなく、"主張"から"否定的立場"に言葉変えちゃってるんですね。

かわいい。

まあどちらにせよ間違っていることに変わりはないのですが。

「三角形の内角の和は180度とされているが、それは仮説であり実は違うかもしれない」という不完全性定理に則った論理的結論に対して「否!三角形の内角の和は180度ではないことが明確だ!」と完 全 否 定する場合、どうやってその意見の蓋然性を高めればいいわけだ?
おい、答えてみろ?

こりゃまぁ冷静さを欠いてしまっているようですね。
意見の蓋然性を100%にすることこそが完全否定です。
つまり、完全否定が成立する時点で蓋然性はカンストしています。
「相対的に高める」のではありません。
そもそも話の流れからして"完全否定は無理だ"ということは理解できていたのでは?
また、上記よりあなたはトートロジーもしています。
冷静になってくださいね。

そして詠み人くんは、上記以外にもう1つ勘違いしているようです。
帰納法は蓋然性を高める行為ですよ。
おそらくこのことが分かれば詠み人くんなら理解できるでしょう。

社会通念上の正論だとかそういうステージを軽く超越し、シミュレーション仮説の可能性さえ考慮するほど厳密な論理的視座から無罪か否かを考察する、という水準において

なぜ「無罪」の話になっているのですか?
自分が間違っていたことに気付いて、「刑事訴訟の話だ!」とすり替えるおつもりでしたか???
残念。
今回の話は「無実」についてです。

ベースラインをそこまで引き下げるのであれば、そりゃ証明する必要なんてねーよw

ベースラインというのは、言葉の通り、思考する基準のことですよね?

無の証明を現代の論理の常識から思考するというベースラインで、なぜ「細かい部分までの論理の追及」をするという、ベースライン上の行為に、「引き下げる」なんてまるでオーディエンスを騙すようなことを言っちゃうんですかね。

まあ、なんだかんだ言って認めるところに素直さとかわいさを感じました。

俺からは以上です。

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  • 57
    詠み人知らず 2019/11/28 (木) 04:36:49 >> 56

    帰納法で意見を構築するにせよ
    その根底には公理の役目を果たす何らかの土台が必要になってくるだろうが。

    この一言で大体の部分に反論できちゃうわけだが?


    • 三角形の内角の和が180度なんてのも、言ってしまえば単なる信仰・・・いわば公理を教典にしたユークリッド教みたいなもんだからな。「数学的には正しい」とか「法的には正しい」とか教典を絞ることでカンペキの近似を得ることくらいしかできないだろうね。
    • 「無実かどうかは分からない」という論理的結論に対して「否、無実である!」と否定的立場をとるのであれば、論理的な手段で無実を証明する必要性が出てくると思うんだけど、これって詭弁なんですかね?
    • 推定無罪などの法的な公理には頼らず現代論理の視座から答えを追及していくならば、遅かれ早かれ証明する必要性が出てくるんじゃないスか?無実であることの証明ってのは「犯人である蓋然性が0の近似であることの証明」ってことスよね?そういうベースラインでの会話だと思ってたけど、違ったんスか?

    コピペですまないが・・・ちゃんと読み直してくれんか?

    トピックの表題には
    人生のストーリーすべてが完全に記録されていて何も悪事を働いていなければ無実は証明できる
    こんなことが書かれている。
    論理的に考えるならそのデータに人生のストーリー全てが本当に記録されているかどうかは分からないので、その記録により導き出せる結論も「無実である見込みが非常に高い」といった内容であるはずだが、ここでは蓋然性を100%の近似に近付けようとする行為を証明として扱ってるわけだ。
    いわばこれも公理の信仰に該当する内容だろう。

    それを踏まえたうえで。
    無実かどうか分からないという状況において「無実だと主張する」ってのは
    即ち「無実かどうか分からない」に対して否定的立場をとることになるわけだが
    その場合、無実である蓋然性を100%の近似に近付けようとする必要性は生じてこないのか?って話だよ。

  • 58
    パルス 2019/12/02 (月) 17:31:02 >> 56

    うんだから扱ってねーよって言ってんの。

    詠み人くん認めてたじゃん。完璧な証明はできないこと。

    完璧じゃないんなら成り立ってないことぐらい分かるでしょ。あのね、証明っていうのは演繹のことなんだ。

    「無の証明」というのは「完全否定の状態の成立を演繹的に求めること」なんだよ。

    論理的に考えるならそのデータに人生のストーリー全てが本当に記録されているかどうかは分からないので

    何言ってんだか。算数と一緒だよ。仮定したらだよ。分かるかな。仮定したら。

    これこそ詠み人くんが言ってたことと一緒だと思うんだけど、詠み人くんは詰めが甘いから僕はそこを突っついてるんだよ。

    あのね?「もし仮定が正しければ、証明は成り立つ」というのは、証明が成り立つなんてわけじゃないんだよ。君は背理法の過程の結論さえも真であると思い込んでしまうのか?

    具体的に見てみよっか。
    「もし昨日晴れだったら、散歩しに行った。」

    詠み人くんのさっきまでの主張(詰めが甘い主張)っていうのはね?
    この黄色背景の文章を見たときに、「散歩しに行ったことを認めているじゃないか!」って言ってることと同じなのね。

    ほらね?詰めが甘いでしょ?

    「無の証明を条件が真であると確定した、蓋然性がカンストしたときに、その条件に基づく演繹による結論は真であると導くことが証明」だよ。
    ここのトピックは、言い換えればそれが「現実的に行えるものか否か」だよ。

    ところで

    君は「証明する必要がある」と言っていたんだ。

    実際は、詠み人くんが「仮定演繹法による結論をパルスが真であるとしている、そのパルスのベースラインに従ったのだ」とかいうとんでもない間違いをしているだけだった。

    これを俗に論理破綻といい、そういった論理破綻を指摘し、論理的に間違いを明らかにすることを論破と言うのだが、僕は君を論破した、といいことでいいのかね。

    59
    詠み人知らず 2019/12/02 (月) 22:54:46 >> 58

    「仮定演繹法による結論をパルスが真であるとしている、そのパルスのベースラインに従ったのだ」とかいうとんでもない間違いをしているだけだった。

    σ(o´・Å・`o)???

    何 言 っ て ん だ ?

    とある人物が無実か否かを考察する際に
    法律や常識など社会通念上の判断に頼るようなことはせず
    シミュレーション仮説の可能性さえ考慮するほど厳密な論理的視座で推論する

    この水準がベースにあったはずだ。

    仮説演繹法、つまり『人生のストーリーすべてが完全に記録されていたならば(仮定)無実を証明できる』ってことだろ?

    • シミュレーション仮説などの可能性を排除しきれないので
      完璧に証明する(100%の蓋然性を示す)ことは不可能
    • しかし、参照するデータが人生すべてを記録したものだと仮定することにより
      完璧に近似する内容の証明を行う(蓋然性を100%に近似させる)ことは可能

    っていう内容のベースラインだったハズだろーがよ。
    脳みそ溶けてんのか?

    それに加えて、無実を主張したいなら無実であることの蓋然性を高めればいいんだよな?

    それってつまり『無実であることの蓋然性を100%に近似させようとする行為』じゃねーのかよ

    仮説演繹法(とどのつまり推論)により無実である蓋然性を100%に近似させようとする行為について
    他の誰でもないお前自身が『証明』と銘打ってたんだが?


    あのな?
    現代の論理の常識からするとな?
    いくら演繹的な理論を繰り広げたところで太郎くんが無実かどうかは分からねーんだよ。
    論理的に突き詰めて紐解いていけば、何事も最終的には公理や定理にぶち当たるからな。
    三角形の内角の和は180度・・・という壁にぶち当たってしまったら、そこで論理はガイドの役目を終えるわけだ。
    いわゆる、ゲーデルの不完全性定理ってやつよ。

    防犯カメラの映像や目撃者の証言、指紋や採取されたDNA
    ・・・とかいう甘っちょろい証拠をいくら並べたところで
    シミュレーション仮説やスワンプマンなんかの可能性が付け入る隙はいくらでもあるわけだ。

    そういうベースラインの話だったよな?

    「太郎くんは無実だ!」という主張は、すなわち無実かどうか分からないという論理的結論を否定する内容なわけで、その主張をおこなう場合は無実である蓋然性を100%に近似させようとする必要性が生じてくるだろう?って話だ。

    詰めが甘いとか散歩に行くとか言ってる場合じゃねーぞ?

    60
    パルス 2019/12/04 (水) 16:59:05 >> 58

    落ち着こうぜ。ゾンビやめよ?
    1位がそんなじゃみっともない。

    もう一度、詠み人くんのレス踏まえて噛み砕いてみるからね?
    難しい言葉使わないで説明してみるから、冷静に読んでみよう。

    まずこの詠み人くんのレス。

    それに加えて、無実を主張したいなら無実であることの蓋然性を高めればいいんだよな?
    それってつまり『無実であることの蓋然性を100%に近似させようとする行為』じゃねーのかよ

    俺いつそんなこと言った?
    ちゃんと読んでますか??

    俺さ、「『無実であることの蓋然性を高める行為』は『主張』じゃねーよ」って言ってんじゃん。
    逆になんで一緒だと思ってんのか聞きてーな。論理的に接続すらさせてないっつうのに。

    >> 50を見てみようぜ??
    俺は「無実の蓋然性を高めること」は「主張」に"必要なものである"なんて書いたか???
    俺は「無実の蓋然性が高まってないと"無実の主張ではない"」なんて書いたか???

    もちろん書いてねーよ。

    俺がしてんのは「具体的な手段の話」だろうが。

    論理云々に顔突っ込んできといて、必要条件と手段を履き違えるとか、そんなくだらねえアホみてえなことしてんじゃねーぞ。

    根本的に履き違えてんのか知らないけど、俺は「無実の主張」は「内容の蓋然性に関わらず可能だ」って話をしてんのね。
    俺の内容理解してない上に、そんなのあり得ない!って思ってるからそうやってゾンビやっちゃってんでしょ?

    だから、「蓋然性要らずで無実の主張となり得る具体例」出すよ。

    「弁論術」

    こんな簡単にお前の主張崩れるものなんだな。理論上のものが具体例に批判されれば、理論に欠陥があるんだもの。

    はい。わかったね?

    次。詠み人くんのこの発言。

    とある人物が無実か否かを考察する際に
    法律や常識など社会通念上の判断に頼るようなことはせず
    シミュレーション仮説の可能性さえ考慮するほど厳密な論理的視座で推論する

    その通りだよ。
    でも、上で俺が散々書いてた内容って、この厳密なる論理的視座には反しないから大丈夫だよね。

    ところで、ちょっと気になったんだけど、
    詠み人くんって最初さ、「パルスは無の証明はできるかどうかのベースライン敷いてたのに関係ないとこで批判してきやがって!!」とか大騒ぎしてたのに、
    今はもう間違ってたこと否定しないんだ。

    そらそーよね。

    だってどこにもそんなベースライン無いんですもの。

    まあでも冷静さを欠いちゃってただけだろうし、詠み人くんもそこまでバカじゃないだろうから、「無の証明というベースライン」についてに追求はこのぐらいに、ね?
    もし異論があるとかいうならいくらでも返すけどね。

    次いこう。

    仮説演繹法、つまり『人生のストーリーすべてが完全に記録されていたならば(仮定)無実を証明できる』ってことだろ?

    そうだよ。

    それで、これを踏まえて詠み人くんは、「人生のストーリすべてが完全に記録されていない可能性を排除できない」って言いたいんでしょ?

    ごめんね。君がこれ言ってるの見て、すっごく呆れた。

    人生のストーリーすべてが完全に記録されていないケースでは無実を証明できないのなんて当たり前でしょ。

    「完全には記録されていない可能性」を「シミュレーション仮説が否定できない」に言い換えて誤魔化したいのか知らないけど、なんの話か分かってる?

    「仮定」だよ?

    「か て い」

    だからね?
    "シミュレーション仮説が否定できないケース"は、"完全には記録されていないケース"に内包されるんだから、『仮定外』なの。『仮定には含まれていない』の。」

    論理が集合であることを考えれば、こんなこと簡単に分かるでしょう?

    次いこう。

    あのな?
    現代の論理の常識からするとな?
    いくら演繹的な理論を繰り広げたところで太郎くんが無実かどうかは分からねーんだよ。

    うんだから俺それずっと言ってんだろ???
    アホなんけ??

    あくまでこのトピックで挙げた例っつーのは、「完全に記録がされていれば(仮定)、証明が可能」って話なんだよ。

    その「仮定」が、現実的にあり得るものですか?って話をしてんの。

    低次元なとこで勝手にぐるぐる回ってんのやめようぜ?

    最後ね。

    「太郎くんは無実だ!」という主張は、すなわち無実かどうか分からないという論理的結論を否定する内容なわけで、その主張をおこなう場合は無実である蓋然性を100%に近似させようとする必要性が生じてくるだろう?って話だ。

    はいもう一度!

    皆さんご一緒に!!!

    「 弁 論 法 」

    次にまた理解せずにおんなじ内容を反芻するようであれば、俺はお前を軽蔑するし、俺だけじゃなく多くの人間がお前を軽蔑するだろう。この喧嘩界での、井の中の蛙的な評価に泳がされるのも大概にな。

    言っとくが、ここのランキングって「論争の強さのランキング」じゃねーぞ??ほんでネットに転がってるネット全体論争ランキングとやらも、「喧嘩のランキングだろ?」笑っちゃうよ。外出りゃ誰も宛にしてねーよ、喧嘩師のランキングなんぞ。お前の論理性は評価なんてされてねーっつうことだ。

    62
    詠み人知らず 2019/12/04 (水) 23:24:26 >> 58

    詠み人くんって最初さ、「パルスは無の証明はできるかどうかのベースライン敷いてたのに関係ないとこで批判してきやがって!!」とか大騒ぎしてたのに

    だから何を言ってるんだお前は

    俺が いつ どこで そんな内容について大騒ぎしていたんだ?

    俺が言ってる「ベースラインのブレ」について理解せずに同じ内容を反芻しているのはお前で、しょうじき俺はとっくに呆れてたわけだが、ついにはランキングがどうのこうの~なんてラベルの話にまで手を出しちゃうのかよ。
    論理学をリスペクトしておりバカなりに理論を遵守している・・・っていうお前の数少ない長所まで見事に崩れ去ってしまうぞ。軽蔑待ったなしはこっちのセリフだっつーの。

    • 公理や定理は自明だと信仰されているが、論理的に言えば完璧ではなく疑う余地がある。
      そうした社会通念上の信仰(常識や正しさ)に頼ることなく、徹底された論理的視座から無実か否かについて推論しましょう

    とかいう水準をベース部分に敷いていたにもかかわらず

    • 無実を主張する場合、口先で言いくるめようと試みるだけでいいんだ!
      非論理的な内容であったとしても主張したことにはなる!

    なんて見解が飛び出してきちゃった時点で、コッチとしては「あ~この子あれだ、会話が下手糞なタイプだ」って思ってたわけだが、いい加減そろそろベースラインのブレについて理解してくんねーかな?

    分かるか?

    野球には一応のルールがあるけど、ルールとは絶対的なものではない!
    ランナーが守備をぶん殴ったり蹴飛ばしたりする競技を野球と呼んでもいいはずだ!

    みたいなベースラインを敷いたのは、他の誰でもない、お前自身なんだよ。

    そのお前が「守備妨害をしたランナーはアウトです、広く採用されているルールブック(公理を信仰する際の教典)にそう書いてあるので」とか言い出したもんだから、コッチとしては当惑せざるを得んわけよ。


    さて、俺としては散々待ちくたびれたんだけど、必要条件がどうのこうのって段階までようやく追いついてくれたらしいので、話を進めさせてもらおう。
    既に>> 41>> 55で言った内容の反芻になっちまうわけだが
    くれぐれも、理解せずに同じ内容をこれ以上反芻することがないようにしてくれよな。

    『人生のストーリーすべてが完全に記録されていたならば(仮定)無実を証明できる』

    お前はこの発言について、仮定がどうのこうの、ド・モルガンがどうのこうのと、実にくだらねー部分にこだわって必死の抵抗を見せているが、仮定はあくまで仮定だろうが?って話だ。

    お前の言うように、論理ってのは同じ信仰対象(いわゆる公理)から派生した内容で構築された集合だよ。
    いかなる証明であっても、その集合の中における蓋然性しか導出することはできねぇ。

    だからこそ、公理や定理でさえも完璧な蓋然性を示すことができない仮定なわけだろ。
    公理や定理に対する非論理的な信仰心を土台にして組み上げられたあらゆる証明は不完全であり、完璧な証明ではない、というベースラインが俺とお前の共通認識として敷かれていたはずだが?

    「AするためにはBが必要」というフレーズにおいて
    シミュレーション仮説の可能性なども考慮するのであれば、ある特定の論理体系内では自明なものとして信仰されている公理や定理でさえ疑うことが可能であり、『そもそもAする必要はあるのか?Aする必要がないのであればBをする必要も生じないのでは?』という疑念を挟む余地も当然あるわけだろ。
    で、その問答を突き詰めていったら、最終的に行きつくのは公理なわけで。

    逆に、弁論法が付け入る隙なんてどこにあるんだ?w

    言っちまえば弁論法なんてのは「公理が自明であると信仰させる技術」のことだぞ?
    お前はド・モルガンさんに謝ったほうがいいよ・・・