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無の証明は本当にできないのか / 62

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詠み人知らず 2019/12/04 (水) 23:24:26 >> 58

詠み人くんって最初さ、「パルスは無の証明はできるかどうかのベースライン敷いてたのに関係ないとこで批判してきやがって!!」とか大騒ぎしてたのに

だから何を言ってるんだお前は

俺が いつ どこで そんな内容について大騒ぎしていたんだ?

俺が言ってる「ベースラインのブレ」について理解せずに同じ内容を反芻しているのはお前で、しょうじき俺はとっくに呆れてたわけだが、ついにはランキングがどうのこうの~なんてラベルの話にまで手を出しちゃうのかよ。
論理学をリスペクトしておりバカなりに理論を遵守している・・・っていうお前の数少ない長所まで見事に崩れ去ってしまうぞ。軽蔑待ったなしはこっちのセリフだっつーの。

  • 公理や定理は自明だと信仰されているが、論理的に言えば完璧ではなく疑う余地がある。
    そうした社会通念上の信仰(常識や正しさ)に頼ることなく、徹底された論理的視座から無実か否かについて推論しましょう

とかいう水準をベース部分に敷いていたにもかかわらず

  • 無実を主張する場合、口先で言いくるめようと試みるだけでいいんだ!
    非論理的な内容であったとしても主張したことにはなる!

なんて見解が飛び出してきちゃった時点で、コッチとしては「あ~この子あれだ、会話が下手糞なタイプだ」って思ってたわけだが、いい加減そろそろベースラインのブレについて理解してくんねーかな?

分かるか?

野球には一応のルールがあるけど、ルールとは絶対的なものではない!
ランナーが守備をぶん殴ったり蹴飛ばしたりする競技を野球と呼んでもいいはずだ!

みたいなベースラインを敷いたのは、他の誰でもない、お前自身なんだよ。

そのお前が「守備妨害をしたランナーはアウトです、広く採用されているルールブック(公理を信仰する際の教典)にそう書いてあるので」とか言い出したもんだから、コッチとしては当惑せざるを得んわけよ。


さて、俺としては散々待ちくたびれたんだけど、必要条件がどうのこうのって段階までようやく追いついてくれたらしいので、話を進めさせてもらおう。
既に>> 41>> 55で言った内容の反芻になっちまうわけだが
くれぐれも、理解せずに同じ内容をこれ以上反芻することがないようにしてくれよな。

『人生のストーリーすべてが完全に記録されていたならば(仮定)無実を証明できる』

お前はこの発言について、仮定がどうのこうの、ド・モルガンがどうのこうのと、実にくだらねー部分にこだわって必死の抵抗を見せているが、仮定はあくまで仮定だろうが?って話だ。

お前の言うように、論理ってのは同じ信仰対象(いわゆる公理)から派生した内容で構築された集合だよ。
いかなる証明であっても、その集合の中における蓋然性しか導出することはできねぇ。

だからこそ、公理や定理でさえも完璧な蓋然性を示すことができない仮定なわけだろ。
公理や定理に対する非論理的な信仰心を土台にして組み上げられたあらゆる証明は不完全であり、完璧な証明ではない、というベースラインが俺とお前の共通認識として敷かれていたはずだが?

「AするためにはBが必要」というフレーズにおいて
シミュレーション仮説の可能性なども考慮するのであれば、ある特定の論理体系内では自明なものとして信仰されている公理や定理でさえ疑うことが可能であり、『そもそもAする必要はあるのか?Aする必要がないのであればBをする必要も生じないのでは?』という疑念を挟む余地も当然あるわけだろ。
で、その問答を突き詰めていったら、最終的に行きつくのは公理なわけで。

逆に、弁論法が付け入る隙なんてどこにあるんだ?w

言っちまえば弁論法なんてのは「公理が自明であると信仰させる技術」のことだぞ?
お前はド・モルガンさんに謝ったほうがいいよ・・・

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