俺は頭わりぃからムズカシーことはよく理解んねーんだけどよぉ
法律用語としての「無実の証明」については、原告や検察が出した証拠に対して無実を主張するとき、何らかの手段で反証する必要があるよな。
「原告側の出した証拠は不十分である(有罪かどうか不明である)」と主張する場合は具体的に無実を証明する必要性も無いけど、「アリバイがあるので無実である」を主張する場合は証明する必要があるはず。
それって現代の論理の常識からすれば詭弁なんですか?
推定無罪ってのは論理的な正誤を担保してるわけではないと思うんだが。
・・・というのが1つ目の意見。
そして『無であることのカンペキな証明』については、到底不可能だと思ってるよ。
三角形の内角の和が180度なんてのも、言ってしまえば単なる信仰・・・いわば公理を教典にしたユークリッド教みたいなもんだからな。
「数学的には正しい」とか「法的には正しい」とか教典を絞ることでカンペキの近似を得ることくらいしかできないだろうね。敬虔な数学者であればあるほど教典に懐疑的な目を向けるのは面白いところではある。
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いや「法的用語としては使ってないことが読み取れるよな?」っていう話をしたんやぞ。前半のレスに関してはそれ以前の話をしてんのやで。
2つ目の意見に関してはおんなじことが言いたい、てか俺がここで言いたかったのそのことやで。
なんか「カンペキな証明」だと周りで見てるやつらが理解できなさそうな気がするから補足を。
「この命題は真であると仮定したら、証明できますよね」ってことよ。