7. 十二因縁 1
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初期仏教において、十二因縁は、非常に重視される教えです。しかし、まともに説ける説法者は、ほとんどいません。十二の支分でさえも、把握していないので、ある教育の場では、説法の途中で説法者が泣き出してしまうこともありました。数百人の受講者がいたのに、十二因縁に関しては穴があいてしまいました。説法者は、泣けばいいというものではなく、受講者の為に徹夜してでも理解しようという意気込みが必要だと思います。
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若い頃は、何回か講習会に参加し、十二因縁についての講義を受けました。説法者の多くは、自信がなく、緊張して話すので、言いたいことがまるで伝わってきません。この会は、十二因縁は不得意なんだなと思いました。教育に対しての意欲が感じられず、教育が不足している会は先が短いので、この会も長くは無いなと思いました。
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しかたなく、独学で勉強しました。ところが、市販の仏教書の十二因縁は、単に十二支分の説明があるだけで、深い教えがありませんでした。そこで、サンスクリット語のそれぞれの意味を調べて、考えてみました。漢字だとどうもピンとこなかったからです。まずは、十二の支分を一つづつ解釈していきます。その後に全体的な内容を解釈いたします。
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十二因縁
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①無明 むみょう〉アヴィドャー avidyā 無知
②行 ぎょう〉サンスカーラ saṃskāra 意志
③識 しき〉ビジュニャーナ vijñāna 識別作用
④名色 みょうしき〉ナーマルーパ nāmarūpa 心と体
⑤六入 ろくにゅう〉シャダーヤタナ ṣaḍāyatana 眼耳鼻舌身意の6感官
⑥触 そく〉スパルシャ sparśa 接触
⑦受 じゅ〉ヴェーダナー vedanā 感受
⑧愛 あい〉トリシュナー tṛṣṇā 渇愛
⑨取 しゅ〉ウパーダーナ upādāna 執着
⑩有 う〉 バーヴァ bhava 生存
⑪生 しょう〉ジャーティ jāti 生まれること
⑫老死 ろうし〉 ジャーラーマラーナ jarā-maraṇa 老いと死
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十二因縁 1
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十二因縁 2無明 行 有為法 のことです。諸行無常の場合は、この意味です。もう一つは、「行為」です。行為には、身口意がありますが、ここでの行は、「意志」のことをいいます。五蘊 の行は、この意味です。無我や無常などの真理を知らない意志は、誤った方向に趣いてしまうことでしょう。識
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①
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アヴィドャー avidyā
無知 真理を知らないこと
ヴィドャー vidyā-は、知識、学問、学術、教義、呪力です。否定を意味するa-という接頭辞がつきますので、avidyāとは、知識が無い・学問が無い・学術が無い・教義が無い・呪力が無いということになります。仏教では、「真理を知らないこと」という解釈がされます。
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②
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サンスカーラ saṃskāra
意志 行為
サンスカーラは、「一緒になったもの」「纏めるもの」という意味です。これには、二つの意味があります。一つは、「因縁によって作られたもの」で、
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③
ビジュニャーナ vijñāna分別 分別 という言葉は、世事に関して、常識的な慎重な考慮・判断をすることの意味で使われており、善い印象ですが、仏教では、本来一つのものを分けるので、真理を探究する認識とはされていません。分別を否定する無分別が勧められます。無我という真理を知らなければ、自分という存在が有るというように意志を持ちます。それが高じれば我執となり、自他を分け、自分を可愛がります。まるで、自分の皮膚が境界線であるかのように、皮膚の外側は他だと認識し、比較し、区別し、差別し、対立を起します。名色 五蘊 と同義です。自他を分別し、次に心と体を分別します。六入 触
識別作用
ビジュニャーナとは、分けて認識することです。私たち人類は、世界をバラバラに分け、その一つ一つに名前をつけ、意味づけをしています。このような認識方法を分別といいます。日常使う
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④
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ナーマルーパ nāma-rūpa
名称と姿 心と体
ナーマは「名称」、ルーパは「物質的現象」です。しかし、仏教では、心と体の意味で使っています。
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⑤
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シャダーヤタナ ṣaḍāyatana
六つの感覚器官
眼耳鼻舌身意の六つの感覚器官のことです。自他を分別し、心と体を分別し、次に感覚器官を分別します。このことで、外界と内界との区別は明確になります。
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⑥
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スパルシャ sparśa
接触
外界の対象、感覚器官、識別作用によって、接触が起こります。
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十二因縁 2
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十二因縁 3受
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⑦
ヴェーダナー vedanā愛 取 有 生 老死
感受
外部との接触によって起こる感情のこと。快・不快・中立の三つがあります。
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⑧
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トリシュナー tṛṣṇā
渇愛 渇望 欲望
トリシュナーとは、渇き・欲望・願いのことです。感受することで、快・不快・中立という感情を起し、快であれば近づいて手に入れようとし、不快であれば離れようとし、中立であれば無視します。近づくのも、離れるのも、欲望に変わりありません。キリスト教の愛とは意味が違います。もともと仏教用語だった愛を聖書を訳すときに使ったため、混乱が起こりました。
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⑨
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ウパーダーナ upādāna
執着 しがみつく
ウパーダーナの原意は「燃料」です。火に燃料を与えれば燃え続けるように、欲望に執着すると欲求は高まっていきます。欲しいものが手に入らないのなら、あきらめるのがいいのですが、何とかしようと執着することがあります。ストーカーになったり、盗んだり、騙したり、暴力を振るったり、悪行に走ることになってしまいます。嫌なことから離れたいのに、離れられない時も同じです。そのことに執着すると、ろくなことにはなりません。生物は、食物を見つけて、それを手に入れることによって生きています。よって、欲求・執着は必要なことです。しかし、必要以上に欲しがり、執着すれば、悪い結果を招くことになります。
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⑩
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バーヴァ bhava
生存 存在
バーヴァとは、生存のことです。欲望・執着を繰り返すことで、我執を強めていき、迷いの存在に成ります。
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⑪
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ジャーティ jāti
生まれること 出自
ジャーティとは、誕生のことです。生きることだと解釈する人もいますが、ジャーティにはそのような意味はありません。生まれなければ、苦しむこともなくなります。特にインドには、カースト制度があり、出自によって一生の苦楽が決定するようなものですから、生まれること自体を苦だととらえる傾向があります。カースト制度を知らない私たちには、分からない世界です。
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⑫
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ジャーラーマラーナ jarā-maraṇa
老いと死
ジャーラーが老化、マラーナが死の意味です。⑪の生と合わせて「生老病死」を意味します。なぜか病については触れていません。
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十二因縁 3
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