仏教のお話

02 インドの仏教 / 41

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ダルマ太郎 2024/04/16 (火) 19:57:55 >> 11

十二因縁 2
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無明(むみょう)
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アヴィドャー avidyā 
無知 真理を知らないこと
ヴィドャー vidyā-は、知識、学問、学術、教義、呪力です。否定を意味するa-という接頭辞がつきますので、avidyāとは、知識が無い・学問が無い・学術が無い・教義が無い・呪力が無いということになります。仏教では、「真理を知らないこと」という解釈がされます。

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(ぎょう)
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サンスカーラ saṃskāra 
意志 行為
サンスカーラは、「一緒になったもの」「纏めるもの」という意味です。これには、二つの意味があります。一つは、「因縁によって作られたもの」で、有為法(ういほう)のことです。諸行無常の場合は、この意味です。もう一つは、「行為」です。行為には、身口意がありますが、ここでの行は、「意志」のことをいいます。五蘊(ごうん)の行は、この意味です。無我や無常などの真理を知らない意志は、誤った方向に趣いてしまうことでしょう。

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(しき)

ビジュニャーナ vijñāna 
識別作用 分別(ふんべつ)
ビジュニャーナとは、分けて認識することです。私たち人類は、世界をバラバラに分け、その一つ一つに名前をつけ、意味づけをしています。このような認識方法を分別といいます。日常使う分別(ぶんべつ)という言葉は、世事に関して、常識的な慎重な考慮・判断をすることの意味で使われており、善い印象ですが、仏教では、本来一つのものを分けるので、真理を探究する認識とはされていません。分別を否定する無分別が勧められます。無我という真理を知らなければ、自分という存在が有るというように意志を持ちます。それが高じれば我執となり、自他を分け、自分を可愛がります。まるで、自分の皮膚が境界線であるかのように、皮膚の外側は他だと認識し、比較し、区別し、差別し、対立を起します。

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名色(みょうしき)
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ナーマルーパ nāma-rūpa 
名称と姿 心と体
ナーマは「名称」、ルーパは「物質的現象」です。しかし、仏教では、心と体の意味で使っています。五蘊(ごうん)と同義です。自他を分別し、次に心と体を分別します。

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六入(ろくにゅう)
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シャダーヤタナ ṣaḍāyatana 
六つの感覚器官
眼耳鼻舌身意の六つの感覚器官のことです。自他を分別し、心と体を分別し、次に感覚器官を分別します。このことで、外界と内界との区別は明確になります。

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(そく)
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スパルシャ sparśa 
接触
外界の対象、感覚器官、識別作用によって、接触が起こります。

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十二因縁 2
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