仏教のお話

Rの会:無量義経 / 3

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ダルマ太郎 2024/03/20 (水) 15:17:17 修正 >> 2

法華経を学ぶ上での心構え
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まず、法華経を学ぶ上での心構えが4つ説かれています。
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①又如来の滅度の後に、若し人あって妙法華経の乃至一偈・一句を聞いて一念も随喜(ずいき)せん者には、我亦阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の記を与え授く。
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この経文は、法華経の法師品(ほっしほん)第十からの引用です。講師は、「如来が亡くなった後に、もしある人が法華経の一行でも一句でも聞いて、一瞬でもいいから「ああ、ありがたい」と思うのなら、成仏することを保証しましょう」というように解釈しています。つまり、法華経をすべて学び尽くそうとするのではなく、一行でも一句でも聞いて喜びを感じるのであれば成仏に通じるということなのでしょう。確かに何事でも学び修得するためには、最初の喜びが重要だと思います。喜びを得ることができれば、学習意欲は高まることでしょう。
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しかし、ここに出てくる随喜(ずいき)という言葉は、「ああ、ありがたい」というような単純な意味ではありません。随喜とは、サンスクリットのアヌモダナー anumodanā の中国語訳であり、「共感的喜び」のことです。つまり、他者の言動を受け入れ、承認し、喜ぶことをいいます。共感がなければ随喜とはいえません。法華経の一行でも一句でも聞いて、自分勝手に解釈したのでは随喜とはいえません。法華経を深く学び、共感し、喜びを得ることが成仏に通じます。そのためには、法華経に書かれたことを正しく読むことが重要です。
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②其の習学せざる者は 此れを暁了(ぎょうりょう)すること能わじ
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この経文は、法華経の方便品第十からの引用です。暁了とは、「明らかに理解すること」「明らかにさとり知ること」です。習学とは、「知識を学んで身につけること」です。「其の習学せざる者は」とありますから、何を修学するのかが分かりません。方便品には、次のように説かれています。
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舎利弗(しゃりほつ)当に知るべし 諸仏の法是の如く
万億の方便を以て 宜しきに随って法を説きたもう
其の習学せざる者は 此れを暁了すること能わじ
汝等既已(すで)に 諸仏世の師の
随宜(ずいぎ)方便の事を知りぬ 復諸の疑惑なく
心に大歓喜を生じて 自ら当に作仏すべしと知れ

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つまり、「随宜方便の事」を修学することが勧められています。諸仏は、「万億の方便を以て 宜しきに随って法を説きたもう」のですから、方便を方便として学ぶことが大事だということです。
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③「習学」の3つのステップ「聞解(もんげ)思惟(しゆい)修習(しゅしゅう)
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この経文は、法華経の法師品第十からの引用です。聞解とは、教えを聞くこととその教えを理解することです。思惟とは、教えを理解した上で思索することです。修習とは、思惟した内容を身体で実践することです。
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法師品第十には、次のように説かれています。
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若し是の法華経を未だ聞かず、未だ解せず、未だ修習すること能わずんば、当に知るべし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を去ること尚お遠し。若し聞解し思惟し修習することを得ば、必ず阿耨多羅三藐三菩提に近づくことを得たりと知れ。
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教えを聞いて理解するだけではなく、教えを思惟するだけではなく、教えを実践するだけはなく、聞解・思惟・修習を行うことで最高の覚りに至ります。聞解を得意とする声聞(しょうもん)、思惟を得意とする縁覚(えんがく)、修習を得意とする菩薩(ぼさつ)。人にはタイプがあって、得意とすることは違いますが、聞解・思惟・修習をバランスよく行うことで、成仏への道は開けます。
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④『十分の一でも実践できれば、いや、その一つにでも徹することができれば、りっぱな精進(しょうじん)といえる』
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法華経は、菩薩への教えですから、法華経に書かれている修行内容は、非常に難しいです。六波羅蜜(ろくはらみつ)にせよ、五種法師(ごしゅほっし)の行にしろ、凡夫はなかなか続けることはできません。できることから、こつこつの実践することが大事です。頑張ることと精進は違います。精進は、具体的に行動することを続けます。

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法華経を学ぶ上での心構え
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    ダルマ太郎 2024/04/17 (水) 01:43:07 >> 3

    「新釈法華三部経」発刊に向けての願い、主眼
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    教えを日常生活にいかに実践すべきかを主眼に置いた
    法華三部経の真精神を学ぶため
    …義に依って語に依らざれ

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    宗教の本義を明らかにしたい
    あらゆる宗教に含まれているはずの共通の真理
    人類すべてが進めるような「融和と協調」の場をつくらなければならない
    〈宗教の本義〉をきわめ、その実践を最大の目的としてまとめた

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    これは、庭野開祖の主眼なのでしょう。法華三部経の真精神を学び、教えを日常生活にいかに実践するかを重視されたようです。また、宗教の本義を明らかにし、世界の宗教の共通の真理を明らかにして、「融和と協調」の場をつくることを目的にされたようです。宗教者として、立派な考えだと思います。しかし、法華経がはたして日常生活で実践可能な行なのかが疑問だし、宗教協力に法華経が役立つのかも疑問です。その辺のところをこの勉強会を通して学んでいきたいと思っています。
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    義に依って語に依らざれ
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    この経文は、「法四依」といい、涅槃経にあります。「仏の所説の如き、是の諸の比丘、当に四法に依るべし。何等かを四となす。法に依って人に依らざれ、義に依って語に依らざれ、智に依って識に依らざれ、了義経に依って不了義経に依らざれ」。
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    法に依って人に依らざれ(依法不依人)
    …真理(法性)に依拠して、人間の見解に依拠しない
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    義に依って語に依らざれ(依義不依語)
    …意味に依拠して、言葉に依拠しない
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    智に依って識に依らざれ(依智不依識)
    …智慧に依拠して、知識に依拠しない
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    了義経に依って不了義経に依らざれ(依了義經不依不了義經)
    …仏の教えが完全に説かれた経典に依拠して、意味のはっきりしない教説に依拠しない
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    どれも重要なことですが、逆の人が多いのも事実です。真理を無視して人の解釈に依る人、意味を知ろうとせず言葉に依る人、智慧を求めず知識に依る人、真実が完全に説かれた教えを学ぼうとせず不完全な経典に依る人など。仏教を学ぶ人は、法四依を念頭に置いておく必要があります。特に市販の解釈本に依り、経典を読まないのは誤った理解に通じますので注意が必要です。
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    「新釈法華三部経」発刊に向けての願い、主眼
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  • 71
    ダルマ太郎 2024/04/17 (水) 22:20:02 修正 >> 3

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    宗教の本義とは
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    英語のリリジョン religion の訳語として、宗教という言葉が当てられました。宗教とは、もともと仏教用語で、「重要な教え」という意味です。華厳経(けごんぎょう)などに出てくる言葉です。キリスト教と仏教とでは、思想が違うし、儀礼・儀式、習慣が違いますから、宗教という言葉でくくることはできないのですが、キリスト教的な宗教の概念が広く伝わってしまい、仏教に大きな影響を与えています。
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    広辞苑によれば、「宗教とは、神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事」だと定義されています。この定義は、キリスト教的であって、仏教には当てはまりません。少なくとも、釈尊の仏教とは異なります。インドでは、思想を三つのタイプに分けてとらえました。信仰タイプ・儀礼儀式タイプ・覚りを目指すタイプです。信仰タイプはヒンドゥー教、儀礼儀式タイプはバラモン教、覚りを目指すタイプは仏教です。仏教は、神への信仰はせず、儀礼儀式をしません。覚りを目指して道を進みます。キリスト教は、神への信仰のタイプでしょうから、仏教とはタイプが違います。
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    現在の日本の仏教をみると、如来・菩薩・明王・神への信仰をするし、葬式などの儀式を中心にしているので、本来の仏教とは大きく異なります。しかも、覚りを目指すという大事な目的を失っていますので、果たして仏教と呼べるのかも疑問です。仏教の道は、(かい)(じょう)()という三学、八正道、六波羅蜜などが有名ですが、その最も基本となる持戒を日本仏教は捨てています。在家であれば、五戒を持ちますが、五戒とは何かを記憶している人は少ないでしょう。殺生(せっしょう)や窃盗はしなくても、邪淫(じゃいん)・嘘・飲酒は平気でしているように思えます。新興宗教であっても、仏教系ならば、五戒は守る必要がありますが、忘年会などの宴会でお酒を楽しみ、会員同士で不倫をしている人もいます。戒律の無い宗教ってどうなのでしょう?
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    宗教の本義を明らかにしたいのなら、まずは戒を守ることから始めるのがいいと思います。持戒によって心を浄めれば禅定(ぜんじょう)に入りやすくなるし、禅定に入ることで智慧(ちえ)を求めやすくなり、智慧を得れば成仏に近づきます。仏教の本義は、智慧を完成させ、成仏することなのですから、まずは、持戒からでしょう。
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    大乗仏教の修行者である菩薩は、菩薩戒を受持します。それは、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)と呼ばれるもので、止悪・修善・利他という三つの戒です。つまり、悪をとどめ、善を修め、人々のために尽くすというものです。止悪とは、すべての戒を守ることですから、菩薩戒を受持する者が五戒を破ることはありえません。
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    宗教の本義とは
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