オスロ合意って双方にとって理想にはなりうるけど、実現するのは難しい絵に描いた餅だった、ということに尽きてくるんだよね。「人間同士、戦いを止めて話し合えばわかる」で交渉が進むにつれてそれが無理って現実がどんどん浮き彫りになってきちゃったっていう悲しい歴史なんだ。2000年のキャンプデービット会合での決裂がその結末として表れてしまった。例えばパレスチナ難民の帰還権の問題だけど、これは中東戦争で追い出されたパレスチナ難民500万以上をイスラエル国内に帰還させる権利を履行するかどうかというもの。もしこれを完全に履行してしまうと、国内でユダヤ人が少数派になってしまうから、イスラエルにとって安全保障上は受け入れられなけがない。だって千年以上さまよってやっと作ったユダヤ人が主権を持つ国が、そうでなくなっちゃうわけだからね。「俺らまたいじめられる側になっちゃうじゃん!」っていう。一方のパレスチナ人からすれば、「力での現状変更のやり逃げ得かよ、ふざけんな。国境線は譲歩してやったんだから、人が帰還する権利くらいはそっちが譲れや」って形で妥協点が見いだせなかったんだ。ちなみにこの帰還権についてはアラブに融和的な極左ユダヤ人すら拒否反応してる時点で、どんだけオスロ合意の実現が無理ゲーだったか想像してほしい。結局はユダヤ人という世界中から虐められるだけ虐められてきた民族に、「大丈夫だよ、虐められないから安心して、これまで散々ぶち殺してきて恨みを買えるだけ買った敵を、自分たちより多数派になるくらい受け入れてね♡」って納得させるのは無理ってことだね
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